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【言葉偏愛】『人それぞれ』は議論の着地点ではないよ。#第一回サイゼ文学賞(非公式)


そのとき僕はサイゼにいて、書店員の先輩であるDさんと二人で話していた。

かつてコロナが流行る前、僕たちの働く書店は、深夜まで営業をしており、締め作業を終え、帰りにどこかで駄弁りたいね、でもこの時間までやってる店といえば駅前のサイゼくらいなもんだね、じゃあ今日もそこいこうぜ、というのがお決まりのパターンだった。

がらんとした店内に、やけに大きく響くチャイムの音。

注文は決まってデカンタのワインとマルゲリータ。

「乙川くん」

駄弁りのさなか、だしぬけにDさんが会話をきる。

「『人それぞれ』は議論の着地点ではないよ」



Dさんについて、軽く触れておく。

彼は僕が勤めていた書店の一年上の先輩で、お笑い芸人だった。

彼の誘いで、何度かライブにも足を運んだ。

舞台上のDさんはツッコミで、ちょっとひねった感じのするネタは彼が書いているという。

僕はライブに行くときは毎度、わくわくした気持ちになった。

彼のコンビはネット上で、とある時期に、本人たちのあずかり知らぬことで大きな話題になったこともある。

飲みや遊びに誘ってくれ、いろいろなことに詳しく、常になにかおかしいことを探すような姿勢に、お笑い芸人然としたところが感じられる人。

例えば街なかでなにか奇妙な行動をしている人をみつけると、イジったりボケたりして、そのことについて僕がツッコんだりする。

そういうものの見方は、今の僕の創作にも少なからず影響を与えていると思う。

Dさんと話していると本気なのか、ボケで極端なことを言っているのかわからないようなこと結構ある。

「『人それぞれ』は議論の着地点ではないよ」

でもこのときの口調は本気のそれだとすぐにわかった。

たしかこのとき、話の卓上にあったのは僕の小説についてだったように記憶している。

Dさんもネタを書く手前、二人でいると、ついつい創作論みたいな談義になる。

というかほとんど僕が仕掛けるのだけど。

自分の小説について話したいというのもあったが、普段目にしている『漫才のネタ』というのが、どう出来上がっているのかにもすごく興味があった。



次の小説のアイデアについて、みたいな話。

僕が持っているアイデアを机の上に広げてみせる。

Dさんはそれを聞いて、質問したり意見を言ったり、アドバイスをしたりする。

どこかの地点で、僕らの意見に食い違いが生じる。

僕は言う。

「でもまあ、こういうのって人それぞれの好みですよね」

その返し。

「乙川くん。『人それぞれ』は議論の着地点ではないよ」

僕はどう答えたのだったか。

覚えているのはちょっとした反感の気分と、赤ワインのぬるさ、冷えて固まったマルゲリータのチーズ。それだけ。

遠い記憶。

なぜか今になって、そのことを考える。


#なんのはなしですか

#サイゼ文学賞



▼こういうものを書くきっかけは、いつもsanngoさんがくれる。


▼何でもありとのことなので……。



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