【エッセイ】「なんで?」と「どうして?」はちがう。【言葉偏愛】
最近、英語の本を意識的に読むようにしている。
ジャンルはもっぱら小説で、【レイ・ブラッドベリ】からはじまり、【オー・ヘンリー】【ロアルド・ダール】【シェイクスピア】の『ロミオとジュリエット』なんかも読んだ。
読んだ、と偉そうに言っているけれど、実際には文字を追っていた、というのが正しいかもしれないレベルの内容理解度だと思う。
英語というのは、僕のなかで筋トレとかと同じ枠の行為のひとつだった。
なぜそんなことをしているかというと、ひとつには好奇心。もうひとつは、いまワーキングホリデーでアイルランドにいるMUちゃんが帰国して、彼女を出迎えた僕が小説すらすら読めるくらいにまで英語力を伸ばしていたら、きっと惚れ直してくれるのではないか、という企てがあったからだった。
純な動機も、不純な動機もあるからだった。
◇
英語には『Why~?』という言い回しがある。
たいていは地の文ではなく、台詞で。
英語が不得手な日本人の例に漏れず、僕も読みながら脳内で日本語に置き換えたりするのだけど、『Why~?』が出てくるたびに、考えてしまうことがある。
『これ日本語なら「なんで?」か「どうして?」のどっちなんだろう』
◇
『Why~?』という言葉の訳を、『なぜ~?』と習ったひとは多いと思う。
無論これは間違いじゃないし、別にその訳自体にいちゃもんをつけたいとか、これだから学校教育は、とかいった嘆きとか、あの詰め込み教育の名残りのせいで英語がつまらなくなったんだゆるさん、という怨恨をここに書きたいわけでもない。思ってるけど、書きたいわけじゃない。書いたけど、そういうわけじゃない。
でも日本人で『なぜ~?』という言葉を日常的につかうと、ちょっと違和感があるのではないだろうか。
『なぜ?』
使われたとしたら、その相手はきっと裾の長い白衣とか着ているに違いない。
こちらに問うているというよりは、自らの頭のなかを整理するために声に出しているに違いない。
なにかにつけて、眼鏡クイってするに違いないのだ。
◇
「なんでって、言わないで」
だいぶ前、なにかの言い合いのときにMUちゃんがそんなことを言っていたのを思い出す。
「なんか、怒ってるみたいだから」
言われた僕はちょっと面食らってしまって、「わかったよ」としか言えなかった。
彼女の主張は言ってみれば単純明快なもので、「なんで?」を「どうして?」に言い換えて、というものだった。
僕はひどく狼狽してしまったことを覚えている。
僕はそのときも普段も、別に怒っているつもりではなく、単純に彼女に興味があって、その「なんで?」という言葉をつかっていたのだ。
でもたしかにそう言われてみれば、「なんで?」という言葉が持つパワーは「どうして?」という言葉よりも、強い。
僕は知らずにMUちゃんにそんな印象を与えていたのか、と猛省した。
『Why~?』という気持ちが訪れた時、それを「なんで?」から「どうして?」に変換できるよう、日夜トレーニングをはじめた。
◇
自分が「どうして?」を装備して辺りを見回してみると、世界はこんなに「なんで?」で溢れているのか、と目をみはった。
「なんで、そんなことするの?」
「なんで、そう思う?」
「なんでやねん!」
どれもパワーがある気がする。
「なんで?」の存在に気づいた僕は、胸のうちで密かにそれを「どうして?」に変換していった。
「どうして、そんなことするの?」
「どうして、そう思う?」
「どうしてやねん!」
うん。
なんか違うのもある気がするけれど、それはまあ「どうして?」に慣れていないせいだろう、と自分を納得させた。
こうして世界は、僕が「どうして?」を変換した分だけ、少しずつ優しい手触りのものになっていった。
◇
しかし、なぜ、この差が生まれるのだろうか。
あ。
どうして、生まれるのだろうか。
いまの『なぜ?』はちょっとノーカンにしていただきたい。
思うにこの『なぜ?』という言葉には、【自己解決】というニュアンスが含まれる気がする。
人が『なぜ?』という言葉をつかうとき、その対象は【自己解決】すべきもの、として現れる。(気がする)。
【自己解決】できるもの。
しなければいけないもの。
すべきもの。
つまり『なぜ?』という言葉は自分に向けられているのだ。
『なぜ?』の皿に盛られた料理は、肉の脂身からハーブの茎に至るまで、あますことなく自分が食べなくてはいけない。
そんなイメージ。
◇
では『なんで?』と『どうして?』はどうか。
どちらも『なぜ?』とは違い、相手を必要としている。
異なるのは、問いを発する側の姿勢なのだ。
『どうして?』という言葉には、相手のかたわらに寄り添って、同じ目線で。というニュアンスが含まれている気がする。
『なんで?』にはそれがない。
『なんで?』には、相手と自分を切り離して別のところに置いて、遠ざけるようなニュアンスがどうにも拭いきれないように思う。
『なんで?』に答えるとき、その先にはなんとなく、否定が待っている予感がする。別のレイヤーからの否定。俯瞰からの否定。対局からの否定。
『なんで?』は外。
『どうして?』は内。
『どうして?』はアメ。
『なんで?』はムチ。
だからもし仮に僕がなにかとんでもなく悪いことをしてしまい、取り調べを受けることになり、事件についてどうしても口をつぐんでおきたかったとしても、この『どうして?』アメと『なんで?』ムチを駆使した応酬には抗えないかもしれない。
◇
「なんで、こんなことをした」
「フン」
「貴様がしたことは、立派な犯罪なんだぞ」
「オマエには一生わからねえよ」
「っち、生意気なガキめ!」
「まあまあ。そのへんにしといたらどうです。【なんで刑事】」
「【どうして刑事】。しかしこいつは……」
「そんなに詰め寄っちゃあ、出るものも出ませんって。な、乙川」
「……知らねえよ」
「なあ、どうして、人んちの敷地に入ったりした。教えてくれないか」
「……」
「困ったねえ。これじゃあ君のおばあちゃんも悲しむんじゃないかな」
「やめましょう。【どうして刑事】。こいつは根っからのワルです。なんでか、オレにゃわかります。どうせ金目の物を探してたに違いありません」
「まあまあ、そう言わずに。【なんで刑事】。捜査に先入観はご法度ですよ。もし仮に盗みだったとしても、どうして、乙川くんはそうなってしまったのか。どうして、理性をはたらかせなかったのか。いや、もしかしたら理性をはたらかせたうえで、こういうことをやったのかもしれない。あらゆる可能性に寄り添うんですよ」
「なんで、そんな周りくどいことを。ああ、やっぱりあんたとはウマがあわねえなあ……」
「なぜ、か。気になりますか」
「なんだ。この科学者みてーなヤロウは」
「【なぜ博士】。なんで、ここに!」
「科学捜査の結果をお伝えしに来ました。結論から言いますと、事件は解決です」
「なんで、そんなことが言える!」
「事件当時、この乙川くんは軍手を携帯していた。そうですね。【どうして刑事】」
「ええまあ。【なぜ博士】、でもそれが、どうして……」
「あったんですよ。軍手の『指紋を残さない』という以外の使い道が」
「ばかな。軍手にそれ以外の使い道なんて……。すべり止めまでついてるんだぞ!」
「ええ、そう。すべり止め。それこそが我々の目を眩ませていた先入観なのです」
「なんだと!」
「なぜ、乙川くんはすべり止めの軍手を携帯していたのか」
「なんで」
「どうして」
「それは『栗を拾うため』です。そうでしょう、乙川くん」
「……」
「栗……だと」
「科学捜査の結果、犯行現場に栗の木が生えていることがわかりました。最新の科学技術によれば、今は秋。栗がなる季節なのです。しかし調査によれば、田舎の栗というのは早いもの勝ちで、部外者の素人が栗をとろうと思うと、昔から住んでいる人に先を越されてしまう。しかし人んちの敷地なら、まだたくさん栗が残っている、というわけです」
「じゃあなんで、わざわざすべり止めの軍手なんか……」
「普通の軍手ですと、栗のいがいがが貫通してしまうのです。この資料をご覧ください。これは被験者が、栗のいがいがを普通の軍手で持ったときに発生する脳の電気信号の量を赤色で表したものです。そしてこちらが、いがいがをすべり止めの軍手で持ったときのもの。なぜ、乙川くんがすべり止めの軍手を携帯していたのか、これでご理解いただけたかと思います」
「なるほど。でも、乙川くん。君はどうして、このことを隠す必要があったのかな」
「……おばあちゃんに、サプライズを、と思って」
「くそ、なんで、オレたちはこんな簡単なことに気付けなかったんだ……」
「……」
「お二人とも。少し働きすぎなんですよ。ケーキの差し入れを持ってきましたから、少し休んでください。乙川くんの分もあります。紅茶を入れましょう。甘い、甘い、モンブランケーキによく合う紅茶を」
眼鏡クイ。