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短編小説『セルラ』(3000字)


この作品は、noteで交流のある中山明媚さんの「蛾の話」という短編小説の二次創作です。

乙川アヤトの個人的解釈による産物であるため、世界観や作品の温度感などは異なるものとしてお楽しみいただければ幸いです。

なお、作者には許可をいただかないままの投稿となるので、明媚さんやフォロワーの皆さまで、もしもなにか意にそぐわないと思われる方がおられましたら、お知らせください。






「【セルラ】をつかまえるの」
 アキちゃんが言ったその単語は、セ、の部分がつぶれて、シェ。シェルラをつかまえるの、と聞こえ、わたしはそうだ、アキちゃんはいま前歯が一本抜けているんだ、ということを思い出した。
「なぁに、それ」
 アキちゃんはきいたわたしではなく、わたしの後ろの教室で舞っているホコリを追うような目をした。

「蛾」
「どうして、その蛾をつかまえたいの」
「ヨウちゃんには、関係ない」
「関係ないのに、わたし一緒に行くの」
「一人じゃ、危ないから」
「危ないの」
「わからないけど、お母さんがそう言ってた」

 その後いろいろ質問してみたけれど、アキちゃんが意見を曲げないことはなんとなくわかった。普段から聞き分けのないことが多いアキちゃんだけど、お母さんのこととなると余計に、だ。

 放課後のピアノ教室が終わったあと、家に帰るとママがじゃがいもの皮をむいていた。
「ねえ、ママ。【セルラ】ってなあに」
 きくと、ピーラーが止まる。
「ヨウ、それどこで聞いたの」
「アキちゃんから。アキちゃんは、お母さんから聞いたみたい」
 ママは、ボールの底に張り付いたぺらぺらのじゃがいもの皮をじっとみつめていた。
「しらない」
 再びピーラーが動き始め、台所にはその一定のリズムだけが鳴っていた。

 アキちゃんは幼馴染だから、わたしの生活リズムをよくわかっている。
 わたしが給食当番のエプロンをよく忘れること、火曜と土曜以外は習い事があること、習い事のあと家に帰ると晩ごはんを食べるまで時間が空くこと。そして、それが夕方の六時ごろであること。

「じゃあ、六時にデンパ坂でね」





 デンパ坂は、町外れからはじまる長い山道で、デンパ坂というのは正しい名前じゃない。どうしてそう呼ばれているかというと、坂の先に大きな電波塔があるからだった。

 坂のふもとに着くと、アキちゃんがいた。
「ちょっと遅刻」
 特に怒るふうでもなく言うと、アキちゃんはデンパ坂を登り始めた。用意する、と言っていたのに、何も持っていない。服もいつものジーンズ、いつものパーカー。
「電波塔にね、夜になるとね、いろんな虫が集まるんだって。ほら、電波塔と同じくらい、周りのライトなんかが古いから、あつくて、あかるくなるらしいの。【セルラ】もそこに集まってる可能性があるんだって」
 なるほど坂には外灯がたくさん並んでいる。
「あたし、夜までいるつもりないからね」
「ヨウちゃんちの夜ごはん、なに」
「肉じゃが」
「おいしいよね、ヨウちゃんママの肉じゃが」
「帰っていっしょに食べようよ」
「だめ。【セルラ】つかまえないと」
「つかまえてどうするの」
「大丈夫。食べたりしないから」
「いや、そんな心配してないけどさ」

 電波塔につく頃には、空の茜色にだんだん暗いものが混じりはじめていた。まるでだれかが空の底からどろりとした黒い液体をちょっとずつ流し込んでるみたいだった。そこに向かってそびえる、古びた塔。
「近くで見ると、おっきいね」
「アキたちが、ちいさいんだよ」
 敷地内には、大人二人が肩車をしても届かないような柵がされていた。電波塔をぐるりと四角に囲っていて、てっぺんにいかめしい有刺鉄線が巻きついている。格子の隙間には腕をさしこむのがやっと。道路側以外の三辺は、すぐとなりが林で、格子にもツタや根がからまっているところもある。唯一ある扉には鍵がかかっていた。
「はいれないね」
 わたしは柵を触った手にこびりついた、血のような匂いを嗅ぎながら言った。

「電波塔のうわさ、知ってる」
「なにうわさって」
「ずっとむかしね。戦争のとき、秘密組織が、この塔を作ったんだって。ここから特殊な電波を流して、みんなを洗脳しようとしたの。それで森の中のどこかに組織の拠点がまだあって、今でも塔のスイッチを入れて実験してるんだって」
「カズキくんあたりが好きそうな話」
 わたしは電波塔を、アキちゃんは明かりが灯りはじめたデンパ坂の方をそれぞれ見ていた。戦争のとき、とアキちゃんは言ったけれど、このなまり色の塔はそのはるか昔、ずっとずっと昔からここにあるみたいだった。長い年月のせいか、さびて朽ちた部分が赤茶けて目立つ。さび、さび、さび……。





 やがてあたりは真っ暗になった。
「電気、つかないね」
 一向に動き出す気配がないアキちゃんに声をかける。
「もう帰ろうよ。だってこんなところ、もう使われてないんだし、電気つくわけないって。アキちゃんさっきから道路みてるけど、車一台も通らないじゃん。あんまりおそいと、パパとママに怒られちゃう。アキちゃんのお母さんだって心配して――」
「お母さん、いないの」
「え」
「三日前から、帰ってこないの」
「じゃ、ご飯は」
「家にあるカップ麺とか、お菓子とか」
「お風呂とか、お洗濯とかは」
「いままでお母さんが帰ってこない日は、自分でやってたからできる」

 わたしは、なにを言ったらいいかわからなかった。
 わたしがピアノ教室で同じところを何度も弾いたり、習字教室で姿勢の悪さを注意されたり、お母さんに算数の公式を教えてもらっている間、アキちゃんは食べ物を探したり、洗濯物を干したりしていたのだ。わたしはアキちゃんになにを言ったらいいのか、わからない。

「お母さんがね、いなくなる前、通話で【セルラ】の話をしてるのをきいたの。それで家にね、木炭とかチラシとか、いっぱい届いたりして。【セルラ】に効くって。電波塔の話も。通話の向こうの男の人の声が、そこから出てる電波が怪しい、って。だからここで待ってれば、お母さんに会えるかもって」

 いつの間にか、アキちゃんの手を握っていた。力を込めると、アキちゃんの視線がデンパ坂からそれて、わたしを見た。

「帰ろう、アキちゃん。帰って、肉じゃが食べよ。パパもママも、アキちゃんなら歓迎してくれるよ。それで、お母さんがいなくなったこと、相談するの。パパもママも、助けてくれるよ。お洗濯してもらって、一緒にお風呂はいろ」
「……うん」

 アキちゃんの手を引いて歩き出す前、わたしは一度だけ電波塔を振り返った。頭上にはぼんやりまるい月があって、それがちょうど電波塔の先。月明かりを反射するなまり色。それをむしばむ、さびのかたまり。

 さびの、かたまり。

 あ。

 そこでわたしは目を伏せて、口を結んだ。
 体中の意識が研ぎ澄まされて、風で木の葉がこすれるさらさらという音や、足元に落ちている枝の表面のこまかな模様までだんだんはっきりしてくるようだった。
 ゆっくりと振り返って歩き出して、道路をふむと同時に駆けだす。
「どうしたの、ヨウちゃん」
 アキちゃんの声。
 わたしは答えなかった。





 次の日の朝。
 わたしとママとアキちゃんの三人で、アキちゃんの家に行った。家の中は荒れ果てて、台所には見たこともない量のお皿やカップ麺のゴミが積まれていた。
 アキちゃんのお母さんの部屋にも入った。
 脱ぎっぱなしの服や、たたまれていない下着や、つぶれたタバコの箱なんかが散らばっていて、そこら中にまるめた紙くずが散らばっていた。そのひとつをアキちゃんが拾って広げてみせる。
「ほら、これが【セルラ】」
 くしゃくしゃになった紙には『【セルラ】を許すな!』という赤い字と、鉛筆で描かれた奇妙な蛾のイラスト。

 ああ、やっぱり、と思った。


 わたしがあそこでみたのは、


 さびのかたまり、


 なんかじゃなく、


 あれは、


 大量の――――



 了




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