短編小説『ニエモドキ』1/4(1470字)
私の父の実家は田舎のお屋敷で、ときどきいろいろな生き物が迷い込むのだが、【ニエモドキ】のときはちょっとした騒ぎになった。
それは中学にあがったばかりの春、週末に両親に連れられて、田舎に帰郷したときのことだった。
お屋敷はとことん広く、表は畑で、裏に山。その山も先祖からの土地で、竹林があり、よくたけのこを鍬で掘るのに連れて行ってもらった。私が【ニエモドキ】という言葉を最初に聞いたのは、たしかそこでのことだった。
祖母と二人、竹の間を縫うように歩いていると、ふいに彼女が立ち止まった。
「【ニエモドキ】やわ、こりゃ」
祖母は苦いものを噛んだような顔をして、足元の一点をみつめていた。
そこには動物の死骸が転がっていた。
その死骸は美しかった。血や、怪我のようなものはなく、まるで体の中身が凍りついて、そのまま息絶えたかのような死骸。ただ一点、違和感。その動物には体毛がなかった。見たところ、産毛の一本たりとも残っていない。そのせいで、死骸は産まれたての赤ちゃんのようにも見えた。
「猫かな、たぶん」
祖母は言って、そのつるりとした死骸を蹴って竹林の隅のほうに転がした。たかっていた蠅が一斉に飛び上がった。
「【ニエモドキ】にやられると、あんなふうになれんて。食べもせんのに、ああして毛を毟って。なんでそんなことするんかなあ」
私はいつもにこにことしている祖母の、そんな様子をはじめてみた。心底いやな顔。このことをはっきりと記憶しているのは、昼間なのに薄暗い竹林や、【ニエモドキ】に丸裸にされた猫の死骸や、その日とれた大好きなたけのこの味のせいではなく、祖母のそんな顔のせいだったのかもしれない。
◇
その次の日のことだった。
早朝。私は二階の寝室から起き出して、水を飲みに階下の台所に入ると、とん、となにかが床に落ちる音がした。
時刻はたしか午前四時くらいで、まだ日も出ていない。窓も空いていないので、風がはいるはずもない。肌を引っ張るような冷たさと、手元もみえないような暗がりが満ちていた。しかしそんな中に小さな息遣いが、する。
『鼠だ』
はじめ、私はそう思った。
これまでにこのお屋敷で、鼠を見たことはなかった。けれども、祖父母の話で、鼠や燕、狸、蛇、しまいには猪まで迷いこんできたということは聞いていたので、驚くともなく驚いただけだった。
私は暗がりの台所をゆっくり、すりあしで移動して、明かりをつけた。
視界が一気に白む。と同時に、とたとたと駆ける気配が冷蔵庫の裏に入っていった。
「起きたんか」
いつの間にか、祖母が起き出していた。彼女は台所と居間の間の戸を開けたところだった。
「閉めて。おばあちゃん。なにか、いるの」
事情を察したのか、祖母は後ろ手に戸を閉め、かたわらに立てかけてあった竿をとって近づいてきた。
「どこや」
「そこ。冷蔵庫の裏」
二人でその場所をにらみながら近づいた。まるで槍を構えるような格好の祖母は、手にした竿を冷蔵庫と羽目板の壁との隙間に静かに差し込んだ。
「ええいい!」
その雄叫びとともに、冷蔵庫の裏の埃がいっせいに舞い上がった。
そしてたまらず飛び出すなにか。一瞬みえたそれは、白くてしなやかな体をしていた。
どちらかと言えば、祖母の雄叫びの方にびっくりしていた私は、何歩か後退っていて、それの素早い動きに反応することができた。
気づくと腕の中に、ひっくり返したゴミ箱。周りには丸まったティッシュや空のお菓子の袋。そして抱えたゴミ箱を内側からひっかくような、音。
「ナイスキャッチ」
祖母は歯のない口を開いて微笑んだ。
【次話▼】