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ショートショート『新発売のビール』(2200字)


「ロールキャベツって、機能的な料理だと思わない」

「うん」

 機能的。僕はその、工業油でまみれていそうな言葉を何度か反芻してみた。

「おにぎりとかサンドイッチとか、餃子とかと同じくらい機能的だと思うわ」

 僕が戸惑っていることを感じとったのか、彼女はそう付け加えた。

 鍋底をプラスチックのおたまがさらう音。食器の底がテーブルに接地する音。続けて、椅子の足の底が、床をガタガタはしる音がした。

「いただきます」

「めしあがれ」

 テーブルの中央には、たった今しがた血を抜かれて摘出された白んだ内臓のように照りを放つロールキャベツが置かれていた。

 八つあるロールキャベツは大きさがまちまちで、並べてみるとマトリョーシカ人形みたいになるだろうな、と思いながら中くらいのひとつを取り皿にのせる。

 あ、ビール。と彼女はつぶやいて立ち上がり、冷蔵庫を開く。


 彼女は新発売と言う文句に弱い。

「いつまで生きられるかわからないから」

 何か重い病にかかったようなそんな口ぶりを聞くたびに、僕はすこしだけ悲しくなる。


 今日のビールは新発売で、期間限定だった。

「これ去年も売ってなかった」

「そうだっけ」

 僕も指摘してはみたものの、確信はなかった。

 一年前の記憶とはときに、十年前の記憶よりも遠くに感じられる時がある。

 タブを起こして注ぐと、グラスの中から小さな泡が跳ね回るのが見えた。

「それじゃあいただきます」

 ロールキャベツからビニール紐を外し、半分ほどをひとくちでかじった。

 肉汁とキャベツの甘い汁とが口の中に広がり、トマトソースの酸味がしみ出る。少し煮崩れてはいたものの、温かな気持ちになる味だった。

「機能的でしょ」

 彼女は自分のロールキャベツの紐の端を、器用につまんで外しながら訊ねた。

「うん、おいしいよ」

 とろとろのキャベツと、少しニンニクの効いたひき肉はビールとよくあった。

 新発売のそのビールは、辛口だった。

「ところで」

 僕は空の小皿にビニール紐をよけた。

「料理用に、こんな紐があるんだね」

「普通の紐よ、それ。下駄箱に入っているでしょう。荷物くくったり、チラシまとめたりするのに使うやつ」

 僕はしばらく、箸を置いて、小皿の上でとぐろを巻くビニール紐と、半分かじられたロールキャベツを交互に見た。

「機能的でしょ」

「ああ、うん」

 曖昧な返事だけが、口から出る。僕は辛口のビールをあおり、炭酸がなくなるまで口の中で揺らしながら一気に飲み込んだ。

「おいしいね。このビール」

「そうかしら」

 彼女は、泡の減っていくグラスの中身をじっとみつめた。まるでその中に閉じこめられた、不思議な生き物でも観察するような目だった。

「ソースは何を使ったの」

 僕は少しだけ落ち着きを取り戻して、二杯目のビールを注いだ。

「ケチャップとコンソメと、塩、胡椒、これだけ」

「このトマトは」

「ああ。トマト缶があったからそれも使ったの」

「トマト缶なんて、買ってたっけ」

「棚の奥から出てきたのよ。今日掃除していたら。近所のおばさんが、ほら、よく犬の散歩してる、柴犬の、あなた会ったことないかしら。すごく人懐っこいの。おばさんも、犬も。その人からキャベツをもらったから。ちょうどいいと思って」

 彼女の発音する、【犬】という言葉は、彼女の【キャベツ】という言葉と同じくらい無機質なものだった。

「ありがたいね。今度なにか持っていこうか」

「いいわよ、別に。ただのおせっかいなんだから。それに貰ったとき、虫がいっぱいくっついていて、洗うのが大変だったんだから」

「虫が」

 僕はたった今、箸で抱えあげた自分の歯型のついたロールキャベツをじっと見た。

「大丈夫よ。ちゃんと洗ったんだもん」

「うん、わかっているよ。でも仮にもし、仮にだけど、虫がまだついていたって、べつに毒になるわけじゃないしね」

「虫って、どんな味がするのかしら」

 大皿の上のロールキャベツは、残り五つになっていた。僕がひとつ食べる間に、彼女はふたつ。無数の水滴が、グラスに静かに張りついていて、まるで小さな生き物の卵のように見えた。

「トマト缶はあれよ。亡くなる前、お母さんが送ってくれたものだわ。きっと」

「じゃあ六、七年経ってるってこと」

「そうね。もうそんなになるのね。トマト缶なんてめったに使わないから。でも、悪くなるものでもないし」

「機能的だね」

「そうでしょう」

 彼女はみっつ目、僕はふたつ目のロールキャベツをそれぞれ取り分けた。

 ロールキャベツは時間が経つほど、トマトソースを吸ってぶくぶくに膨れていくように思えた。


「なにか、やっていないかしら」

 ふと思いついたように、彼女の細い指がリモコンのボタンに触れた。

 部屋の隅に置かれたテレビ画面に色がついて、突然部屋が騒々しくなる。

 バラエティー番組、旅番組、歌番組とチャンネルを回したあと、彼女がリモコンを置いたのは料理番組だった。

「観て。ちょうど」

 画面の中ではロールキャベツが、赤茶けた汁の中で煮込まれているところだった。

 形は彼女のものよりも角張っていて、それはロールキャベツと言うよりも笹餅みたいだった。そしてそれには、下駄箱のビニール紐などではなく、つまようじが使われていた。

「こんなに簡単で機能的なら、またこれからも作ろうかしら」

「うん」

 僕は、グラスの水滴をすべて拭き取りながら答えた。

「いいんじゃないかな」

 新発売のビールが、喉を滑り落ちていった。




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