短編小説『知恵の実』1/4(1065文字)
昔から、【ハコ】を削るのは好きだった。
【ハコ】は白く、表面はザラザラしていて、一面の大きさが文庫本ほどの立方体。僕はまずそれを支給されると、角で手を切らないように気をつけて、面に余計な汚れがついていないかを点検する。
といっても、なにかが付着していたことなんかないし、仮に汚れがついていたとしても、ヤスリで削ればいいだけの話なのだけど。
点検が終わるとその一抱えもある立方体を分けていく。
まずは縦に、その次は横に切れ目をいれる。細胞分裂の要領だ。この段階ではきっちり半分に割らなくてはいけないわけではない。神経を尖らせるのは、もっと後の手順の話だ。
初めのころは物差しや秤なんかを使っていたけれど、今は作業机の抽斗の奥にしまっている。使用するのは万力とノコギリのみで、それでも出来上がるのは、ほとんどばらつきのない大きさの16個のダイス。これを削っていく。
この工程にいる作業員のほとんどが、こんなふうに【ハコ】を加工する役割を担っている。そうでないものは、【ハコ】の切れ端を集める係。それを別の工程に運ぶ係。出来上がったものを回収する係。そして監督官。
監督官は無口な男で、僕たち作業員が、四列に並べられた作業机に向かい、黙って【ハコ】を削っているうちは、石像のように椅子に腰掛けてときどき思いついたように室内を歩きまわる程度で、ほとんど関わり合いがない。
そんななかでも、僕は皆が一様に【ハコ】に向き合っているその時間が気に入っていた。
広い空間に、おごそかな鐘のような反響。ハンマーがタガネを打つ金属音。それが海辺の波のざわめきのようにところどころで起こる。それ以外の音はない。
小さくなった立方体の角がとれ、表面に凹凸がうまれ、親指の爪ほどの大きさになったとき、一日の作業が終わる。僕は最後の1個になったそれに、必要以上にヤスリをかける。終わるころには、大きな作業場はがらんとしていて、自分の呼吸音だけが聞こえる。そうなってからやっと、僕は二十階にある自室に戻る。
支給された食事と排泄をすませて、毎日決まった時間に流れる【ディーヴァ】の映像を眺めていると、やがて就寝時間になる。
47代目の【ディーヴァ】は、豊かな栗色の髪の女性で、46代目の【ディーヴァ】に比べて唇があつい。カメラが寄ると、彼女の瞳の色や、奥歯の大きさや、まつ毛の長さがはっきりと映る。
僕は彼女のことと、明日も配られるはずの新品の【ハコ】のことと、作業場に鳴り響く鐘に似た響きの音のことを考えながら眠りについた。
次の日、一人の作業員が失踪した。
【次話▼】
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