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#5:アースクエイク

善雄は焦っていた。
「もう一週間後は締切だっていうのに!」

善雄は劇団員でもあり、脚本家でもあった。
書けない苦しみ。

これは何度味わっても慣れないものだ。
そしていつもの事なのだ。
ギリギリになるまで書けない。

これは善雄の小学校の頃からの癖なのだ。
夏休みの宿題も、大学の卒論も。

ギリギリになるまでは何も浮かんでこない。
いや、正確に言うとやる気が何とも起こらないのだ。

「あー!もうあかん!気分転換しよ!」

気がつくと夕方。
もう日は暮れようとしていた。
「散歩して気分転換しよ。」

善雄は履き古したクロックスを履き、外へと出かける事にした。
「外に出たら何か見つかるかもしれん。」

これを善雄は口癖のように唱え気分転換をはかる。
まあ、大体は口実で飲みに行ってしまうのだが。

(今日はいつもと違うコース行ってみよか。)

善雄は気まぐれでいつもとは違う路地に入ってみた。
藁にもすがる思いなのが自分でも苦笑してしまう。
【何か】を見つけたいのだ。

「あれ・・・?こんな所にBARあったんだな。」

善雄はフラフラと入ってみることにした。
どうせ行くあてもないのだ。

階段を昇り、木のドアをキィと開けると
中にはやはり木のカウンターが広がり、カウンターの中がブラックライトでぼうっと光り、マスター風の男が一人。そして前髪をパッツンにした女の子が一人立っていた。
カウンターの一番左端にはやはり女の子が一人座っていた。

「こんばんは、いらっしゃいませ。」
マスター風の男がニコリと笑い席を促してきた。
善雄は軽く会釈をして、その席に座った。
パッツンの女の子が
「はい、どうぞ。」とおしぼりを渡しながら、ニコッと笑いかけて来た。
「あっ、どうも。」
善雄はおしぼりを受け取り手を拭いて、続き様に顔を拭きそうになるのを
(おっと危ない。ここBARだった)
止めて、おしぼりを置いた。

(何を飲もうかな・・・。)
バックバーを眺めながらぼんやりと考える。

(バーボンにしようか?それとも・・・。)

善雄の視界にチラと三席離れた女性の飲んでいるものが目に入った。

(あれは、リカールと水差し?パスティス&ウォーターか。随分洒落た飲み方してるな、この子。常連さんかな?)

善雄にすぐにそのお酒が理解ったのは、フレンチの修行時代、教わっていたシェフから
「フレンチをやる人間は必ずこれを飲め。この味を理解しなければフレンチは理解らない。」

という教えと共によく飲み明かしたお酒だったからだ。
(独特な教え方のシェフだったよな。腕は確かだったけど)

善雄は役者になる前は、フランス料理を学ぶ為に留学をしていた。
一流のシェフを目指していたあの頃。
今となってはもう懐かしく、辛い事もたくさんあったが楽しい事も同じぐらいあった。

フレンチを辞めた善雄であったが今でも料理は大好きでその辺のレストランの料理人には決して負ける気がしない、玄人はだしの腕前だ。
家でもボーッと一心不乱に料理を作ると煮詰まった気持ちが何となくリセット出来てまた原稿に向かえるのだ。

今日は材料もなかったし、やはり飲みたい気分だったのでこのBAR【The first one】にやってきたのだ。
「じゃあ、マスターすみません。まずは生ビール1杯と、ペルノーありますか?そんでもしあったら【アブサン・スプーン】ありますか?それで【アブサン・ドリップ】作って欲しいんですけど?」
と言うと赤松は
「はい。ございますよ。アブサン・ドリップは火をつけるスタイルでよろしいですか?」

と、聞いてきたので善雄は
「ああ、それで構いません。ありがとうございます。」
と笑顔で答えた。

しばらくすると前髪パッツンの莉々子が生ビールを「お待たせ致しました」と持ってきた。

次いで赤松が少し大ぶりのリキュールグラスに特殊なスプーン【アブサン・スプーン】と呼ばれる穴あきのスプーンをグラスに乗せ更にその上に角砂糖を乗せた。

そしてペルノーのボトルの蓋を開け、スプーンの上の角砂糖にペルノーを染み込ませた。
そうしたかと思うと赤松はマッチに手をかけ、シュッと擦った。
またたく間に炎があがり、赤松はその炎をスプーンの上の角砂糖につけた。

ボォっと青白くアルコール度数40度のお酒が染み込んだ角砂糖が燃える。
そして、穴の空いたスプーンからポタッポタッっと液体がグラスの中に落ちていく。

しばらく火を灯すと、善雄は横に添えられていたショットグラスの水で炎を消した。
リキュールグラスの中に白濁した薄黄緑色の液体が流れ込む。そこにスプーンの上で燃え残った角砂糖を落としスプーンでクルクルとかき混ぜた。
(シェフは元気にしてるかなぁ。)
いつもこうやってペルノーを飲んでいたシェフの事を思い出し、お酒を口に含んだ。

「お酒お強いんですね。」
カウンターの中の莉々子がそう尋ねた。

善雄は
「あぁ、あんまり他のお酒知らんのですよ。後はバーボンかビール。最近じゃめっきりコンビニで買う缶チューハイで。BARは久しぶりに来たんですわ。」
と、話した。
莉々子はそうなんですね~と、微笑んでいた。

カウンターに座って、パスティス&ウォーターを飲んでいた野乃木も赤松に「マスター、あれって美味しいの?」と尋ねている。

— その後も、チーズやナッツをつまみに杯を重ねながら
「実は物書きみたいな事をやっとるんですわ、あとはなかなか食えない役者です。」

善雄は少しリラックスをして自分の事を話しはじめた。
赤松は
「おお、成程。じゃあ、数々の芸術家達とご一緒だ。」
「えっ?」

「アブサンと言えば、ピカソにゴッホ。ゴッホに至っては【アブサン】と言う作品を残しているぐらいですからね。有名な耳切り事件もアブサン中毒だとか違うとか。まあ、諸説ありますよね。詩人のランボーもアブサンの事を【美しき狂気】と呼んで愛飲したそうですからね。何か芸術家を虜にするものがあるんでしょうね。」
と、赤松が冗談交じりに話した。

「マスター、勘弁してくださいよ。そんなんやったらめちゃくちゃ危ないやないですか。」
と、苦笑しながらも善雄は楽しそうにその話を聞いていた。
(数々の芸術家を虜にしたアブサン。。。【美しき狂気】これ何かネタに使えるかな?)
そんな事にも思いを巡らした。
「でも、大丈夫ですよ。規制がかかり、今のいわゆるアブサンの代用品には、ニガヨモギにある中毒成分であるツヨンの含有量は抑えられているし、そもそもそんな事で中毒にはならずアルコール飲み達がお酒の量が増える言い訳だったとも言われてますしね。『これは悪魔の酒だ!!』と。(笑)」

いつもの世もお酒を飲むのに言い訳は必要なようだ。ククッと笑いながら杯をあおり

「マスター、次の一杯で最後にします。何かガツンと来てめっちゃいいやつ書けそうなカクテルもらえますか?」

はい、かしこまりました。と赤松は答えシェーカーに
ビーフィーター(ドライ・ジン)とバランタイン(スコッチ・ウイスキー)、そしてペルノーを注ぎ氷を詰めシェークをはじめた。

「お待たせしました。【アースクエイク】です。」

シェーカーからカクテルグラスに白濁した黄蘖色(きはだいろ)と言ったらいいのだろうか?明るい黄緑色のお酒を注いだ。
「とても強いカクテルですので気をつけてくださいね。入ってるお酒の名前を取って【アブ・ジン・スキー】とも呼ばれるカクテルです。」

— 帰り路。フラフラになりながらも心地よい気分で歩いていく。
(アースクエイク(大地震)か。確かにこりゃ、そうだわ。)
酔っ払いながらも、色々な刺激を受けた善雄は
満足気で明日は書けそうな予感に笑顔が浮かべながら、右へ左へとふらついていたのだった。



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おつぶやん
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