【ショートショート】まつりの心を奪うもの
登坂茉莉(とさかまつり)は男との食事の会計の際、いつも気にすることがある。
割り勘か、奢りか、ではない。
茉莉が気にするのは支払い方だった。
恋人は2年不在。
されど毎週のように男を替えてはデートする。
そして見るのだ、支払い方を、財布を、カードを。
今日のお相手は、一カ月前に友達の恵理那(えりな)からの紹介がてら一緒に飲んだ男・相川朋哉(あいかわともや)である。
その時は会計の際、恵理那から「外で待ってよう」と言われ店を出てしまったことから、支払いを見ることができなかった。
今日こそ、今日こそ私は見てやる。
小鼻にパフを優しく押し当てながら茉莉は決意する。
化粧直しを終えた茉莉は、陶器でできた儚い人形のように美しい。もちろんスッピンだってかわいい。前髪を眉下で切り揃え、どこかルーズなパーマをかけていても、顔面がフランス人形のように整っているせいでカジュアル過ぎない可愛らしさの均衡を保つ。
幼いころから「かわいいね」「かわいいね」と言われて育った。何度電車降りたところで連絡先を渡されたことか。
その割にはなかなか恋が始まらない。全てがお会計のせいだった。2年前の相手とも、結局はお金に対する姿勢が合わずに別れた。
金銭感覚ともまた違う。
どうせ男は自分より野暮ったい現金主義の女が好きなんだ。
手数料を気にしながらATMでお金をおろし、財布の小銭入れの部分をパンパンに膨らませ、常に夏目漱石を数枚財布に入れてるような、そんな女が。
茉莉はせっかくの美貌も台無しにするほどフッと鼻息を荒く吐き捨て、待ち合わせ場所である駅に向かった。
駅の改札近くに朋哉はスーツ姿で立っていた。
ネイビーのスーツにくすんだ水色のネクタイで身なりを整えた朋哉も、茉莉に負けず劣らずな容姿の持ち主だ。美男美女の二人が並ぶと、傍から見れば恋人同士に見えるだろう。
「お疲れ様です」
茉莉が先に声を掛けると、朋哉もすぐに「おう、お疲れ様です」と返してきた。一度会ったこともあるし、それほど緊張感もない。
「じゃあ行きますか」
朋哉の声で、二人はすぐに店へと向かった。
朋哉の選んだ店はイタリアンバルだった。茉莉も何度か行ったことがある、駅近くで赤いロゴが存在感を光放ってる店だ。
はいはい、ここね。
賑やかだから沈黙があっても気にならない、初めてのデートにはちょうどいいラインの店だ。しかし、茉莉には店選びなんてどうでもいい。
それが安いチェーン居酒屋だろうが、高級料理店だろうが、フレンチだろうが中華だろうが、なんだっていい。美味かろうが不味かろうが、どうでもいいのだ。
店内は真っ赤なソファーがインパクトを与えるものの、照明が落ち着いているお陰で目に突き刺さらない。同世代の人間たちがリラックスして楽しそうに杯を交わす。二人は四人掛けテーブルに通された。相変わらずの洋楽も、笑い声にかき消される。
一杯目はお互いにドイツのクラフトビールを注文した。もちろん、アサヒスーパードライでも茉莉は構わない。
朋哉は最初に茉莉の食べられないものを確認すると、ざっとメニューを見回してカプレーゼやマリネなど注文の品を要領良く決めていく。もちろん、ここで朋哉がなかなか決められなかったとしても茉莉は全然気にならなかった。
二人の会話は当たり障りなく進行していく。
それは実家の猫が20歳で死んだこととか、お雑煮に入れる餅の形だったり、好きな映画のジャンルだったり。しかし、こんなんで相性が図れるなど茉莉は思ってはいない。例え物凄く盛り上がったとしても、どこか空回りしているように感じてしまう。
だって、一番の要所を押さえてないのだから。
二人ともワインを三杯ほど飲んだところで朋哉がさりげなく時間を確認した。すぐさま茉莉は空気を読み、「そろそろ店出ますか」と提案する。
とうとうこの時が来た。
肝心要の瞬間。
二人は立ち上がり、朋哉を先頭に会計へと向かう。
一歩一歩歩む足に緊張感が重くのしかかる。
もちろん、それは茉莉だけの話。
朋哉は会計前に着くとカバンから財布を取り出した。それはコードバンと思われる黒レザーの、手のひらに収まるほどコンパクトな物だった。その財布の小ささに、茉莉は目を見張る。
もしかしたら、この財布にはカードしか入ってないのでは?
あまりにもスリム化された財布に、思わず茉莉は見入ってしまう。
「7,950円です」
女性の店員さんの明るくハキハキとした声。
さあ、どう来る?
茉莉は一挙一動見逃すまい、と審査員の目を向ける。
朋哉は颯爽と財布から一枚のカードを取り出した。
「カードで」
そう言い放つと悠然と決済端末にカードをかざしたのだ。
その姿に、茉莉は軽く眩暈を覚えた。
タッチ決済。
しかもよく見るとナンバーレスカード。
これは先月登場したばかりの話題のあのカードでは?
一瞬のスマートな所作から、セキュリティーに対する姿勢、情報を掴んでから行動に反映させるまでのスピード感を読み取り、茉莉は完全に心を奪われてしまった。
この人とお金に対する価値観はきっと一緒だ。
二人で話し合えたら、きっと楽しい。
支払いを終え、店を出ようとする朋哉の背中に、茉莉は「あの」と声をかける。
「私も払います」
茉莉が申し出る。
「いいよ、別に。それより時間大丈夫?」
茉莉の方を振り向いて、朋哉は時計を確認した。
「20時半だけど、もう一軒行けそう?」
まさか今、茉莉が完全に心を奪われてるなど思ってもいないだろう、彼は誘う。さっきのカードはコードバンの小さな財布に大切に仕舞われた。
「はい、まだ大丈夫です」
茉莉は少し小走りでその背中を追いかける。二人は次の店まで並んで歩いた。
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