【ショートショート】mixiで10年ぶりに連絡してみれば
藁谷(わらがや)あいは久しぶりにmixiのログイン画面を開いた。「ハルオ、金髪で電車に乗ってたけど、今何してんだろ?」という親友・麻友からの問いを調べるためだ。
ハルオが金髪であの二両編成ワンマン運転第三セクター鉄道に乗ってた?
あのハルオが?
あいは地元を走る小さなローカル線を懐かしく思い出しながら、麻友への返事には簡単にこう返す。
「大学ん時は介護福祉士目指してるって言ってたよ」
しかし麻友は「いや」と返してきた。
「あんな介護福祉士はいないよ」
「あんな金髪に介護されたくない」
「似合わない」
よほど電車の中のハルオが酷かったのか、この連投っぷり。
あいは記憶の中のハルオ、春尾悠成を辿った。
それはまだ中三の頃、ハルオは確かにクラスの真ん中にいた。ハルオは男子の輪の中にも女子の輪の中にも自然体で馴染む特別な存在だった。「ハルオ」とみんなから親しげに呼ばれ、ハルオもまたあだ名で呼び返す。
二人が初めて言葉を交わしたのは中三の秋だった。席替えで隣になった時だ。
「藁谷さんって、がやさんって呼ばれてんの」
ハルオのその一言が始まりだった。
あまりにも図々しく人のパーソナリティスペースに入ってきたことに、あいは驚く。
「まあ、はい」
「がやさん、がやさんね」
なぜかその響きを気に入ったようで、ハルオは幼児のように繰り返す。
それからすぐに、ハルオは「ねーねーがやさん、がやさん」と馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。
170センチ過ぎた小さな男の子のようだ。
見た目だけ大人びてしまったんだ、この人。
あいは胸の中で、「逆コナン現象」とこの事実に名前を付けた。
秋の進路希望調査。進路希望の紙に第3希望までとりあえず高校名を書く。それは偏差値と家からの近さで自動的に埋められていく。あいの場合は既に中央高校を推薦入試で受けることが決まっていたから、そこ以外はもはや希望などしていなかった。
「ハルオは?」
あいの声に、ハルオがシャープペンを走らせる手を止め顔を上げた。
「んー、まあそうだなー、上から南、中央、工業かな」
「え、工業?」
「うん、ロボット作りたいから」
へー。
この人ロボット作りたいんだ。
あいは自分とはかけ離れたハルオの浪漫に、頭がぼうっとなった。
「がやさんは?」の声でハッとする。
「私、中央」
「じゃあ俺が南高落ちたら一緒だね」
とても軽い一言を、15年以上経った今でもあいは覚えている。
実際、ハルオは無事に南高校合格を決め、二人が同じ高校に進学することはなかった。
中学校の卒業式、あいはハルオから第二ボタンを貰った。「貰った」と表現するとあいの方から「ください」と言ったようだが、実際はハルオの方から「お願いだから貰って」と懇願してきたものだった。
「キレイな状態で家に帰ったら母ちゃんが落ち込む」という理屈だ。
バレンタインのチョコもそうだ。
「手ぶらで帰ったら母ちゃんが落ち込む」と言って2月初めに懇願してきた。
あの精肉屋でパートしてる体格のいい母ちゃんが落ち込むかな、とあいはふくよかなハルオの母親を想ったが、本人がそう言うなら仕方ない。あいはハルオの設計通りに、バレンタインにチョコをあげ、卒業式に第二ボタンを貰ったのだった。
鈍くブチッと音を立てて黒い学ランから引きちぎられたボタンは、ぐったりとした表情で黒い糸を穴から垂らし、あいの掌に落とされる。
体育館と、縦に長く伸びる駐輪場のL字型の角。
校舎の表の方では、写ルンですで写真撮影したり、涙を流したり、卒業アルバムの最後の空白のページにカラフルな細字のマッキーで寄せ書きしたりと忙しいが、裏側に広がる無機質な空間には自転車に乗ってパラパラと帰ろうとする冷淡な人間しかいない。
「これでもうがやさんともバイバイだね」
そう言うハルオの胸があまりにもがらんとして見える。よくよく見てみると、あいが第二ボタンを受け取る前に既に第三ボタンも何者かによって奪われていたようだ。
さりげなく第一ボタンも第四ボタンも開け、全面的にワイシャツを覗かせたハルオは、恥ずかしさと優越感が入り混じった顔をしていた。
あいは第三ボタンの犯人が気になったものの、自分は第二ボタンと上をいってるので、犯人を思いやってその真相を聞かないことにした。
巨乳の佐伯さんとハルオが付き合ったのはその次の日だった。
あいは事後的に麻友からのSMSで知る。もう既に春休み。高校入学の準備もほぼないので、ただ家でゴロゴロしている、中学生でも高校生でもない時期のことだった。
「佐伯さん、卒業式に告白したらしい」
その文面で、第三ボタンの犯人が彼女であったことが分かる。あの第二ボタンの授与式は、ハルオにとっては告白後返事前のグレーゾーンの期間だったのだ。
じゃあ、あの第一ボタンも第四ボタンも開けながら、「あー巨乳に告られちゃったなー」と思ってたのか。だから気持ちよさそうな顔してたんだ。
あいはシルバーのPHSを薄ピンクのカバーを被った西川の羽毛布団に思いっきり投げつけた。布団はバフッと優しく受け止める。PHSにぶら下がる修学旅行で買ったご当地キティちゃんの目が死んでいるように見える。いつもはウルウルと見つめ返してくるのに。
あの胸に惹かれるなんてハルオも所詮ただのサルだったってことだな、そういうことだ。
あいは自分では認めたくないけど、確実にハルオとは「いい感じ」だと思い込んでいる節があった。だからむしゃくしゃしてるのだ、と認めるのもプライドが許さず、キティちゃんの目を見ては「投げつけてごめんね」と心をどうにか落ち着かせた。
もちろん失恋なんて認めるわけがない。
そして高二になると、同じ制服を着た別の男と手を繋いで歩く佐伯さんを駅で見かけ、ハルオとの別れを間接的に知る。もうその頃には、ハルオはあいにとってただのサルだった。しかし、じゃあハルオは今どこで誰と?と思わなくもなかった。
3年後、あいは実家から通える私立に進学し、毎朝ローカル線に揺られることになる。
お盆の間だけ短期でお土産売りのバイトをすることになり、普段使うことのない時間帯の電車に乗る。
ガランとした車内、乗ってすぐのドア付近に大学生然とした白いTシャツ姿のハルオが突っ立っていた。
目が合うなり変わらぬ口調で「おー、がやさんじゃん」と言い、ただでさえ驚いてるあいをまた混乱させる。
「何やってんの、今」
それは互いに気になるところだった。あいが先に返す。
「学院大行ってるよ」
「俺、医療福祉大学」
会わずにいた高校三年間の間に夢が変わったのだろう。ロボットと言っていたハルオの口から告げられたのは福祉という別業界だった。軽くショックを覚えるも、今のハルオを知った安心感が上回る。
ハルオは「一人暮らししてるけど、盆だからこっち帰ってきてた」と言う。こうやって偶然会えるなんて、あいは無意識のどこかで、ときめかないでもなかった。
大学生然とした身長175cmくらいのハルオもなお、逆コナン現象を起こし続けているようで、目的地に着くまでどこにもつかまることなく踏ん張るゲームをやろうと提案する。結局あいが即刻ドアに触れ、「あうとー!あうとあうとー!」とハルオがジャッジして終わった。
会ったのはそれが最後。
ハルオは成人式にも出なかった。同窓会にも。
あまりにもあっけない最後。
しかし、じゃあ、とあいは考える。
あの時、踏ん張るゲーム以外に私たちは何か話すことがあったのか?いつだって私たちの会話はくだらなかったはずだ。
指が覚えているmixiのパスワード。画面上の文字盤をタップすると、すんなりとログインする。
そこには懐かしい自分のアイコンと「gayaai☆」というニックネームが待ち受けていて、軽いタイムトラベルを経験する。日記や写真など、黒歴史も黒歴史で見るに堪えない。
開かずのドアと化したメッセージボックスを恐る恐る開けてみる。未開封のメッセージが8件も来てて驚くが、そのほとんどがアカウントを乗っ取られた人たちからのスパムメールで納得した。本人たちも乗っ取られてることに気付くまい。
下にスクロールすると、出てきた、「ボビッチ」。これだ、これこれ、とあいは妙な緊張を覚える。
一番古いボビッチからの受信メッセージはもう10年も前の年月で止まっていた。怖いもの見たさでタップする。
「件名:覚えてる?
本文:はるおだよ(^^)がやさんでしょ(´∀`)?」
「件名:まじだよ
本文:なつかしー!今何してんの(^^)」
「件名:Re:Re:まじだよ
本文:頑張ってるなー!俺も介護福祉士目指して勉強中だよ♪一年留年したけど^^;」
「件名:Re:
本文:俺、ぶっちゃけ誰も連絡先知らねえんだー(-_-)」
そんな中途半端なところでやりとりは終わってる。
ボビッチよ。
マイミクはなぜか「gayaai☆」と知らない男性一人だけ。クラスの真ん中にいたハルオの姿はそこにはなかった。
なんで私だったの。
あいは思わずメッセージ作成画面を開く。そして悩みに悩んで文を打った。
「ねえ、ハルオ、今どこで何してんの?」
金髪姿で地元の電車に乗っていたという。
ロボットの夢は?介護福祉士の夢は?
ねえ、今ちゃんと生きてる?
死んでない?
なんでこの時私に連絡してきたの?
あいは目を閉じ、思い切って送信ボタンをえい、と押す。
途端に罪悪感に襲われ、急いでログオフした。
忘れよう。
送ったことも、ハルオのことも。ハルオが今どこで何をしてても、私には関係のないことだから。ただ、麻友からのおつかいをしただけ。
「ママー」
3歳の陸翔が足に絡みついてきた。
「おなかすいたー」
への字に曲がった口。あいは幼い陸翔の髪を優しく撫でる。
「はいはい、今日パパ遅いから先にご飯食べようね」
あいはそう言うとスマホを置いて、鍋の中、火が通ったにくじゃがを皿に盛った。
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