生死についてと、自己紹介
自営業の家の長女として生まれた。
実家の家業は冠婚葬祭の「葬」であり、リビングにあるカレンダーには父の仕事の予定を指す「火葬」「納骨」「霊園」など、他の家庭のカレンダーではおよそ目にしないであろう文字が並んでいました。食事中に「どこどこの婆さんが昨日死んだ」「あそこの爺さんはもう危ないらしい」なんて会話があることもしょっちゅうでした。
両親の仕事の一つに、墓石に掘る故人の戒名などを母が専用のトレース紙のようなものにレイアウトし、父がそれを墓石に彫刻するという作業があります。
私が3歳から中学3年生の夏までほぼ毎日弾いていたエレクトーンの椅子には、時々その用紙が広げられており、それを退かしてから練習をする日もありました。用紙は墓石のサイズなので、畳まずに保管するのにはある程度の場所が必要なので、エレクトーンの長椅子はサイズが丁度良かったようです。
小さい頃から感情移入をしすぎる。
保育園生の時に母が恐ろしい声色をつくって読み聞かせをしてくれた『じごくのそうべえ』の後は、死んだらどうなるのかと母に何度も質問をしました。母の返答がどのようなものだったのかは覚えていませんが、恐らく「いい子にしていればじごくいきにはならないからいいこいい子にしようね」という風な教えをしていたのだと思います。
『千と千尋の神隠し』を見た時には、両親が豚になるシーンで大泣きをしてしまい、早々に退席をしました。2001年公開の作品なので、私は6歳だったはず。まあ、6歳なので、あのシーンで泣いてしまうのはあるあるかもしれませんが…。
小学3・4年生時のに読書感想文で書いたヘレン・ケラー、ナイチンゲールの伝記は、死ぬこと生きること戦争のことなどを考えて怖くなり、反抗期も始まっていたはずなのに、連日父の腕枕が無いと眠れないようになりました。父は、この腕枕エピソードを今でも誇張しつつ嬉しそうにしゃべります。
読書や音楽を聴くことが好きだったし、日本舞踊とエレクトーンは3歳から習い、小学校ではマーチング、中学は吹奏楽、高校ではオーケストラ部に没頭しました。作品を通して様々な人や時代の考え方について触れる機会は多かった方だと思います。日本舞踊の先生は、私に「踊っている間は別人になれる」ということを教えてくれました。私は神様にも貴族にも町娘にも遊女・禿にも下人にもモダンガールにもなりました。
「自敬・精思・清純」が校訓の女子高でクラシック音楽に没頭して過ごした高校生活の反動で、大学生活は荒んだものとなりました。邦ロックやヴィジュアル系のライブハウスに週3程度通い続けました。好きなことを真面目にとことん追求するので、一時的に目の周りを黒く塗りつぶしたようなバンギャにもなりました (黒歴史) 。作品の背景を考えることは興味深いので、時々バンドマンや歌い手と関係を持つこともありました。
その頃始めた飲食店でのアルバイトは私にとても合っていて、職場のコンテストのようなものの “おもてなし部門” で優勝させてもらったり、看板娘としてテレビ取材に応じたりしました。相手の考えや気持ちを読み取り顔色を伺うのは得意なので、接客は天職だと思っていました。
生きる意味や価値
心を何とか壊していなかった時までの“やる気スイッチ” をオンした状態での私は、相手の顔色を伺うこと、相手が求めていることを察知してそれに応えることに異様に長けていたのでは無いか、と思っています。
しかし、私はそのことに本当に疲れてしまったのです。
相手に合わせることは、時に自分を殺すことにもなります。
私が自分を殺しているということに気づいていない人にとっては、私はただの相性がいい人・頭の回転が速い人に過ぎず、私がコミュニケーションを通じてどんどん弱っていることに、気づくはずもありません。
時折、相性がいい人をしきれずリタイアさせていただくこともありました。喧嘩、ブロック、急に距離を置いてしまう、などです。相手はその時私のことを「気分屋」「わがまま」と思ったかもしれません。
私は現在心の療養期間をとらせていただいていますが、病気が治ってしまったら、また人の顔色を伺って生活をしなくてはいけないのか、ということに怯えています。
でも多分、その状態に戻ることは本当の意味の解決ではないから。
療養をしながら、キャラクター変更の糸口を見つけなければいけないのかもしれないです。
相手に合わせるおもてなし精神ばかりで生きていると、自分の考え方が理解されない状況を自分で作ってしまうことにもなり、自分が空っぽになり、生きる意味を考えるようになってしまう。また、自分が不都合な状況を作っているのは明らかに自分なので、自業自得だと自分を責めてしまう。これはとても良くなかったことだと思いました。
病気が治ったよ、と宣言すれば、きっと今までの私が復活したと思い込む人たちの圧に、またやられてしまう。ごく身近な人たちにすら理解されないかもしれないけれど、私の心が壊れていたのは、病院に通い始めたりパニック発作が隠せなくなりし始めたタイミングよりも、もっとずっと前だから。
私にとっての社会復帰とは、復活・前に戻ることではなく、変化・強くなることなのだと思います。
これはとても難しいことで、どうすればいいのかまだ全く分からないし、考えようとすると心臓がバクバクしてしまうし、吐き気やめまい・過呼吸に襲われてしまいます。
強くなりたいし、自分のことを好きになりたいけれど、そうなれるまで何とか生きるモチベーションを保てるのか、その自信は、正直今はありません。ハーゲンダッツの8個入りファミリーパックを自分に買ったので、とりあえずあと8日は、保てそうです。そのあとのモチベは、また何か考えます。
チョコレートラム味が入ったファミリーパック、初めて発見しました。
どんなに美味しいか、とても楽しみです。