『彩香上京物語』 第十二章 ~夢~

第十二章 ~夢~


星野「準備はいい?練習通りにやれば大丈夫だから」


彩香「はい!」


彩香は再びあの場所に立っていた。ハイレグの白のコスチュームには胸元にスパンコールがあしらわれ、腰にヒラヒラがついているものの、まるでグラビアアイドルの出で立ちそのものだった。


案の定、彩香が登場するや、会場からは以前よりも大きなどよめきが起こった。


彩香は恥ずかしい気持ちを振り切るため、以前星野がしたように頬を両手で一発叩くと、堂々と大股でリングへ歩み寄り、華麗にロープの上をまたいで入場した。


リングの対角線上には既に対戦相手が待ち構えていた。


ブラックパンサーと名乗るその相手は、スピードを持ち味とし、アクロバティックな打撃や絞め技を得意とする、と事前に情報はあったものの、実際に目の前にすると写真とはイメージが異なるように見えた。


覆面で目元は見えないが、筋の通ったきれいな鼻と端正な口が覗いている。背の高さは彩香より遥かに低いものの、しなやかそうな引き締まった体つきをしていた。



彩香(Jに似てる...。)


彩香はふいに以前所属していたアイドルグループのメンバーを思い出した。Jは彩香と同期で歳も近く、コンビを組んでおり互いを愛方と呼ぶ仲だった。聡明で頭の回転が速く、身体は一回り大きいがおっとりとした彩香をイジる姿はまるで漫才コンビにも見えた。


レフェリー「両者リング中央へ」


レフェリーの合図で彩香と対戦相手が中央へ歩み寄る。お互いをじっと見つめ合う両者。だがマスクの下のその表情は読み取れなかった。


ルールの説明が終わり、両者がそれぞれの陣営に戻ると、試合開始を告げるゴングが鳴った。


彩香(まずは相手の出方に合わせて攻撃を受ける...。)


両者身構えた状態からふいにパンサ―が間合いを詰め、彩香に鋭いローキックを放った。自分より背の高い相手と戦う際にローキックは定石のようなものだ。


彩香「痛っ…!」


ローキックが彩香の左足にきれいに決まり態勢が崩れたところに更にローキックを連発。思わず彩香の膝が崩れマットに手がついた。


パンサーはその隙を逃すまいと、後方へ駆け出しロープの反動を使って彩香にドロップキックを食らわせた。肩にものすごい衝撃が走り、彩香はリングポストに背中から叩きつけられた。


パンサーは更にダメ押しの一撃をお見舞いしようと後方へ後ずさりすると、助走をつけて再び彩香にドロップキックを放った。


星野「彩香ちゃん!」


彩香は衝撃で頭がクラクラしていたが、星野の声でハッと我に返ると迫りくるキックをギリギリのところで避けた。


かろうじて立ち上がったものの、左足に痛みが走り平衡感覚が保てずフラフラの状態だった。


気づけば既にパンサーの腕が彩香の首に巻きつき再び背中からマットに叩きつけられた。


彩香「ごほっ ごほっ」


一瞬息が止まり、彩香はむせた。


天井のライトが見えたと思った次の瞬間、パンサーの姿がライトを覆い隠し、お腹に鈍い痛みが走った。


ドカッ ドカッ


パンサーの容赦のない蹴りが彩香のお腹にめりこむ。


彩香は思わず体を丸めるが蹴りは更に激しく何度も背中に叩きつけられた。


ズシッ


側頭部に相手の足裏の感触がした。周りからは観衆の声援が聞こえる。


朦朧とする意識の中、ぼんやりとした視界の向こうでパンサーがリングポストを登る姿が見えた。


パンサーの姿が一瞬消えたように見えた次の瞬間、背中に物凄い衝撃が走った。


息をしようにもまともに出来ない状態で、今度は足を取られるとエビ反りの形で胸が圧迫される。


星野「彩香ちゃん!ロープに逃げて!」


彩香は腕の力を振り絞って這い出し、何とかロープを片手でつかんだ。


レフェリー「ブレイク!ファイト!」


レフェリーの掛け声と共に、足の呪縛は解けたものの、彩香はロープを掴んだまま動けずにいた。


そこへ追討ちをかけるようにパンサーの蹴りが再び彩香を襲った。


彩香「...」


彩香は朦朧としながらも意識は保っていた。ふと、なぜ自分はこんなことをしているのだろうと昔の思い出が走馬灯のように頭を駆け巡った。


彩香(あの頃はすごく楽しかったな...。Jと先輩たちといつも笑っていた。)



パンサーの蹴りが彩香の顔面を捉えると、彩香はうずくまった姿勢のまま動かなくなった。


彩香「ハア ハア」


乱れた髪が彩香の横顔を隠し、荒い息遣いが聞こえる。


再び観衆の声が上がる。それに混じってかすかに星野の声も。


星野「彩香ちゃん!立って!」


彩香が全身の力を振り絞って立ち上がったその時だった。


パンサーの身体が宙を舞い、彩香に襲いかかろうとしていた。


彩香は体をひねりその攻撃をかわすと、パンサーの身体が激しくマットに叩きつけられた。


星野「今よ彩香ちゃん!反撃して!」


星野は彩香に合図を送った。


パンサーは立ち上がりざまに彩香が攻撃してくると身構えたが、なぜか攻撃が来ることはなかった。


互いの視線が交差する。


彩香は腕を振り上げたまま、茫然と立ち尽くしていた。


彩香(J...)


ふいに彩香の脳裏にJの姿が浮かんだ。


パンサー(なんだこいつ?反撃する力も残ってないのか?)


パンサーは態勢を立て直すと、かかってこいとばかりに彩香を平手打ちした。


星野「彩香ちゃん!応戦して!」


だが彩香が反撃することはなく、一方的に攻撃を受け続けた。


パンサーのチョップやビンタが彩香の胸や顔に幾度となく叩きつけられたが、彩香はただじっとその攻撃に耐えていた。


朦朧とする意識の中で彩香はJのことを思った。



彩香(J...元気にしてるかな?ああ見えてさみしがり屋さんだからきっと泣いてるんだろうな...。)


立ちつくす彩香にパンサーの飛び蹴りが入った。彩香の身体はロープに弾き飛ばされ、その反動で顔面から前のめりにマットに倒れた。


彩香(Jとはいっぱい色んな話をしたな...。先輩たちが卒業したら、二人でどうやっていこうとか...。)


パンサーの蹴りが彩香のお腹に入る。まるでフィルムを巻き戻したように、同じような光景が繰り返された。


彩香(J言ってたな...。私たち最高のコンビだって...。身長も性格も全く違うけど、きっとうまくやっていけるって...。)


パンサーが倒れた彩香の髪を掴んで引き起こすと、パンサーの飛び蹴りが縦横無尽に彩香を襲い、彩香の身体は右に左に振り子のように揺れた。


だがフラフラになりながらも彩香はリングの中央で仁王立ちのままじっとパンサーを見つめていた。


パンサー(いい加減倒れろよ!でくのぼうが!)


パンサーは苛立ったように彩香に渾身のビンタをお見舞いした。


星野「彩香ちゃん!戦って!」


星野の声で彩香もビンタを繰り出した。パンサーはあえてその攻撃を受けるもまったく力が入っていない。パンサーはふざけるなとばかりに更に強い一撃を彩香にお見舞いする。


結局元の木阿弥に戻ったように、一方的な展開が続いた。


彩香は打たれ続けながらもJのことだけを考えていた。


彩香(J...ごめんね。あんなに引き留めてくれたのに...。先輩たちが卒業して二人になってもやっていきたいって...。そのつもりで今まで二人で先輩たちに追いつこうと頑張ってきたんじゃないかって。なのに私が自分の夢を選んだから...。)


彩香はもはや何も感じなくなっていた。観衆の声すら耳に届かず、静寂に包まれていた。


パンサーの放つ一撃一撃がまるでJが自分を責めているように思えた。


彩香(J...怒ってるよね...。本当は卒業なんてしたくなかったよね...。一人にしてごめんね。)


彩香の目から涙があふれてきた。


パンサーの猛攻はやむ気配がなく、このまま試合が終わるのではと誰もが思った時だった。



パンサーの振りかぶった手を彩香が掴んだ。


そのまま反撃に出るかと思いきや、彩香はかぶさるようにパンサーの背中に手を回し、ぐっと自分の方へ引き寄せた。


パンサー(くそっ!離せ!)


パンサーは体をよじって逃げようとするも、彩香の腕が更に強く締め上げてくる。


彩香(J...本当はずっと一緒にいたかったよ...。大好きだよ...。)


彩香は前のめりに倒れ込むと、パンサーの身体は背中からマットに叩きつけられ、そのまま押し潰される形となった。


ドドド


一瞬の静寂が会場を支配する。


レフェリー「フォール!」


静寂を破ってレフェリーの声がこだますると、マットを激しくタップしながら、カウントが始まった。


パンサー(嘘だろ?くそっ!どけ!離せよ!)


パンサーが身をよじろうとするも、彩香の身体がずっしりとのしかかりピクリとも動かない。


レフェリー「3! 2!...」


カウントが進む。


レフェリー「...1!...」


カンカンカン!試合終了を告げるゴングが鳴った。


彩香の勝利で観衆が一斉に湧きたったと思ったその時、レフェリーが再び両手を交差させた。



彩香は気絶していた。


すぐさまリングにスタッフが駆け上がり、担架が持ち込まれた。


彩香は夢を見ていた。Jと二人ではしゃいで、楽しかった頃の夢を。


第十三章へ続く

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