友達でもない恋人でもない もしかしたらもう二度と会うこともない
友達でもない恋人でもない
もしかしたらもう二度と会うこともない VOID / 大森靖子
このnoteは、私が音楽や映画や本に触れているときに、もやもや考えたことを吐き出すために書きはじめたのですが、
なぜそのようなことをしているかと言えば、自分のメンタルを安定させるためです。
20代で色々しんどいことありすぎたダメージの蓄積もあるのか、月1くらいの頻度でメンタルが落ちてしまいます。
そういう時は、無駄に思考がぐるぐる回ってしまいます。
周りから見ると、ただぼーっとして、ただ動きの遅い人に見えます。
でもその時、頭の中は超高速で回転しています。(※ただしそれは大抵ただの空回りで、大した意味のあることは考えておらず、単にエネルギーを無駄遣いしています。)
我が家は妻が解離性障害(今はだいぶ良くなった)で、息子は発達障害(ASD)だったりして、自分なりに二人の幸せのために精一杯いろいろ頑張っているのですが、自分のメンタルが落ちてしまうと、結果的に家庭内の雰囲気がとても危機的状況になるので、これをなんとかしたいと思って、いろいろ試しています。
このnoteはその試みのひとつです。
少し前まで、悩みや考えていることを吐き出す友人がおり、とても助かっていました。
その友人は癌で、長い闘病の末、先日亡くなりました。
同年代の女性だったのですが、彼女は私が個人的な悩みを打ち明けた、はじめての人でした。
私はプライドが無駄に高く、自己評価にムラがあるので、
自分の悩みなど大した悩みではない、
一丁前に悩むほどの価値もない人間だし、
第一そんな自意識の悩みなんて聞かされても、相手は何も面白くないし迷惑だ。
などと卑下する一方、
自分は頭が良すぎるのできっと誰にもこの悩みは理解できまい
などと考えていたので、人に打ち明けるなどとは考えたこともありませんでした。
ところが、なんとなくその友人はわかってくれそうな予感がして、3年ほど前、私は突然、当時のあまりに苦しかった現状と、自分はカラッポだ、何者にもなれない、みたいな、どうでもいい自意識の悩みを、長時間にわたって打ち明けました。
彼女は引くでもなく、共感するでもなく、非常にフラットに、よく理解してくれていることが伝わる相槌を打ってくれた上で、ただドライに、
「頭いいけど突き抜けない、“上の下”くらいの人間によくある悩みって感じだね」
と返してくれました。
それは、私がまさに求めていた、理想的な反応でした。(一般的には結構ひどい反応かもしれないですが)
私は、「共感」のコミュニケーションが苦手で、「理解」のコミュニケーションが得意、
「場」とのコミュニケーションが苦手で、「人」とのコミュニケーションが得意です。
彼女も同じタイプだったので、気が合ったのだと思います。
感情の共有はめんどくさいので求めていませんでした。
孤独なのははじめから分かっているのですが、それでも、言葉を吐き出して、誰かに理解だけしてほしいという、わがままな欲求があります。
大森靖子さんが言う「孤独を孤立させない」というのは、私にとってはそういったものです。
でも、そんな風に考えている人、感じている人に、彼女以外に会ったことがありませんでした。
その後もたまーに会うと、お互いに自分語りを大いにしていました。
会話のキャッチボールを敢えてあまりせず、お互い投げたいところにブンブン投げまくるタイプのコミュニケーションがとてもラクで、救われていました。
彼女は、私にとって
「友達でもない恋人でもない もしかしたらもう二度と会うこともない」
存在でしたので、この曲は私の中では、彼女のテーマソングみたいな位置づけになっています。
「“何もない”は“何かしたい”」という歌詞もこの曲にありますが、それも私を勇気づけてくれます。
私は、自分に“何もない”と感じながら、思春期以降を生きてきましたが、“何もない”と感じるその心の反応は、自分が価値のある人間になりたい、という活力になっていて、その結果、妻を幸せにしたいと強く思い続けているわけだし、それをなくしてしまったら、一気につまらないおじさんになってしまうような気がしています。
おわり