色使いすぎ問題、2つの視点
Google Calendar のアイコンが変わって、仕事中にタブを開きまくるタイプの人間なのでさくっと探せなくなってつらいなーって思ってたところ
↑視認しづらい...(慣れてないというのもあり)
こんな記事を知人のデザイナーからシェアいただきました。
論旨としては、最近のアプリのアイコンが多くの色相をつかってカラフルになっている傾向があり、グラデーションを利用したものが多く、逆に没個性につながっていて、アクセシビリティを考えたときに、ユーザーにとって必ずしも良い影響を与えているとは思えない、というような内容でした。
引用です。
限られたスペースに複数のアイコンが並ぶスマホのホーム画面で存在感を出すためなのか、最近のアイコンはどんどんカラフルになってきている。これは、画面の解像度が上がってきている恩恵でもあるが、どんどん没個性にもつながっている。
元々は「人間っぽさ、親しみやすさ、遊び心、楽しさ」などのイメージをデザインに落とし込んでいるが、みんなが生き生きしすぎている。
確かにそうだなーと思う反面、多色相を採用したり、グラデーションを多用するのは、楽しさの表現をすることや、目立たせるため、という表層的な観点以外にも要因あるよなーと思ったので、色のイメージと時代的な観点、二つの軸で書いてみます。
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色のもつイメージの話
色の効能については過去にnoteに書いたことがあります。
色は良くも悪くも対象の印象に大きな影響を与えます。
ロゴやアイコンに使った色が、赤であれば生命感や活発なイメージ、ピンクであればやわらかく女性的、明るい青であれば爽やかで、暗い青であれば男性的かつ冷静なイメージ、緑は中庸で多くは好まれますが彩度や明度を落とすと不穏な雰囲気、などなど。
色の持つイメージは、自然界に存在するもの、例えば海や森林や空に感じる人が持つ原初的な印象と、文化的なコンテキストによって形成されてます。
この色に対して、人々がもつ固定化されたイメージというのが、色を扱う仕事をしている人間にとっては厄介で、さらに国や地域によっても色の持つ意味や印象が変わってしまう、というのがさらに色の取り扱いを難しくしています。
たとえば、古来、日本では紫色は高貴な色とされていました。冠位十二階とかまさにそれですが、紫色は自然界には希少な色で、夕暮れの空のグラデーションに現れたり、チアノーゼや死後の腐敗のイメージから、現世から離れた崇高な色として取り扱われたのかもしれません。
赤色は活発さや明るいイメージがありますが、地域によっては「死」「喪」「犠牲」など、取りようによってはネガティブな印象を与えます。インドでは「純潔」を表す色らしく、日本人にとってはおそらく白が該当する色なので、違いがあり面白いところです。
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というように、色の持つイメージの地域性を考えたとき、単一の色でブランドのカラーを規定するのは、特にグローバルで展開する企業にとっては、意図しないメージを持たれるというリスクがあるのでは、と思います。
色ではないですが、過去に携わったサービスで、名称がある地域の男性名詞だったため、リリース後にサービス名変更をして、ロゴとキーカラーをリニューアルしたという経験があります。
色相をふんだんに使った表現が好まれるのは、賑やかさや人間らしさを表現するためだけではなく、多色にすることで単色の色のイメージを弱め、地域差の影響を薄くするための、ある種「消極的な」選択の結果かもしれません。
グラデーションについても同様で、単色ベタ塗りの強烈なインパクトを中和する手段として選択されているのではないかと思います。
流行りだから!という理由で選択したデザイナーも一定数いるのは間違い無いんですが。
多様性を許容することを強制される時代
色の持つイメージとは別で「多様性の表現」という視点で少し考えてみます。
ギルバート・ベイカーがデザインした、LGBT/LGBTPQ/LGBTsの象徴として使われているレインボーのフラッグ、性の問題に関心のある人ならおそらく誰もが目にしていると思います。
ダイバーシティという言葉も一般化してきましたが、組織や企業にとって多様性を認めることが重要視されてきている、というより取り組まなければならないマストな課題であると言ってもいいと思います。
色相を多く使った表現は、この多様性を表現するのにとても都合が良いわけです。
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たとえば日本で「子育ては夫婦・地域の協力のもとでやるものだ」という主張を持ったサービスのアイコンやロゴが、ピンク(男性が思う女性らしい色)だったらどうでしょう?逆に青だったら?黒だったら?
赤をキーカラーに、黄色をアクセントカラーにしたサービスを作ったら某国のプロバガンダだって批判されるのも、SNSの発達した昨今であれば馬鹿らしいけどあり得る話です。
グローバルに展開しているサービスで、人の笑顔のアイコンの肌の色に、黒も黄もなかったらどうでしょうか?簡単に炎上して、企業としてのモラルを問われると思います。
Facebookの日本展開に携わった人に聞いた話なんですが、メッセンジャーのスタンプ機能をリリースする際にめっちゃ気を使った点はこの辺りだったみたいです。
多様性の許容を表現する手段として、言い方は悪いですが「無難な」多色を採用せざるを得ないという時代であるというのもあるのかなと。
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ほとんどの真摯なデザイナーは安易に多色相を選んだのではなく、サービスやプロダクトの本質と向き合い、検討に検討を重ね、行き着いた先に多色相・グラデーションという表現を選択したと思います。
流行り廃れはあるけれど、本質に寄り添った結果、みんな似たような表現になったっていうのは悪いことでは無いし、デザイナーとしては健全じゃ無いかな、っていう話でした。
それではまた。
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