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推しとONFと私⑤終 2024.11.25
〜2021年に解散した韓国アイドルの推しの思い出を綴るnote〜
約2年間の新大久保での活動を経て、推したちは韓国デビューを果たした。
コロナ禍真っ只中のデビュー。
日韓の行き来は不可能になり、オンラインライブとヨントンが唯一の繋がりだった。
推しがデビューした年、ONFは兵役期間に入った。
ユウト君を除くメンバー全員が同時入隊するという、前例の無い出来事は大きなニュースになった。
普通、アイドルはメンバーそれぞれ順番に入隊し、メンバー不在の間はソロ活動に専念して、メンバー全員が兵役を終えるのに4〜5年かかることが多い。
しかしONFは、同時に入隊することにより最短で完全体のグループ活動が再開出来る道を選んだのだ。メンバー間の結束の高さを世間に知らしめた。
一方、コロナ禍のエンタメ業界で、推したちは満足な活動は出来なかった。
通常、アルバムを出すとサイン会を開催することでCDの売り上げを伸ばすものだか、コロナ禍では開催することが難しかった。だから頼みの綱は、日本人を対象にしたオンラインライブとヨントンだ。
そんな中、韓国国内外では少しずつサイン会が開催出来るようになっていった。
(人数や時間の規制を守れば開催出来るように)
そしてデビューしてから半年以上経ってから、推したちは韓国で小規模なサイン会を行うことになった。
日韓の渡航制限は続いていて日本人ファンは参加することが出来なかったから、それまでも韓国の事務所に対する不満は溜まっていたが、それが決定的となって多くの日本人ファンは離れていった。
ある日のヨントンで推しが、こんなことを言った。
「ハルさん、知ってる?韓国のサイン会は日本と違って写真をずっと撮れるし、すごく楽しいんだよ」と。
日本のサイン会では基本、サイン中の撮影はNGだ。
(ここ数年はOKな現場が増えたが)
私は思わず「知ってる!私、韓国のサイン会に行ったことがあるよ!」と答えた。
推しは驚いて「誰の??誰のサイン会に行ったの?」と訊いた。
あ、まずい。言わなきゃ良かったと思ったが時すでに遅し。
「あー、、、ONF(オネノプ)、、、オネノプのサイン会に昔行ったことがあるよ」と答えた。
推しと掛け持ちしていた頃の話だったから、何となく気まずかった。
「僕、スンジュンと友達です」
と推しが言った。
「え?!???」
「スンジュン、、、あー、、ジェイアス?ジェイアスと友達。」ジェイアスは、当時のスンジュンくんの芸名だ。
私は思わず「なんで?!」と訊いてしまった。
推しはキョトンとした表情で「なんで?」と訊き返した。
私は1人で慌てふためき「いや、、あの、、友達だったんだ?」と誤魔化した。
スンジュン君は確か推しより1才年上のはずだ。
韓国では年上の人を呼び捨てすることはまずない。「先輩」や「◯◯兄さん」などと呼び、呼び捨てするということはよほど親しい間柄ということだ。
サイン会で話した時のスンジュン君のハッピーオーラは、今でも深く印象に残っている。
言われてみると推しが持つ雰囲気というか、可愛らしい性格がスンジュン君ととても相性が良い気がする。
2人が親しい友達だったという事実が嬉しかった。
「じゃあハルさん、韓国に来れるようになったら僕たちのサイン会に来てね」
推しは笑ってそう言った。
いつになるかわからないけど、私は必ずその日が来ると信じていた。
推しは、、、あの時はまだ解散なんて未来が待ち受けているとは思いもしなかったのだろうか、それとも、少しずつ事務所との関係は拗れ始めていたのだろうか。
おそらく、、、あの時もかなり生活は厳しかったと思う。
解散後にあるメンバーが配信で、宿舎のシャワーはお湯が出なくなって、事務所が宿舎の家賃を払っていないことがわかり、大家さんから家賃を払ってくれと直接言われたこともあると言っていた。
そのサイン会から約半年後、推したちは解散した。
デビューから1年ちょっと。短い活動期間だった。
コロナ禍が明け、ONFは完全体でカムバックして、音楽番組出演やコンサートツアーを精力的に頑張っている。
推しにはもう会えないけど、スンジュンくんの歌を聞くと今でもあのリリースイベントのことを思い出して、幸せな気持ちになる。
ヲタ友からは当時のことを「あの時ハルちゃんはONFの方に気持ちが行きかけていたよね〜」とからかわれた。
戻ってきてくれて良かった、と笑っていた。
そんな、推しとONFと私のエピソード。
終わり。