東条英機の遺言。陸軍記念日と東京大空襲
開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には尊敬の念を禁じえない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む。米国の指導者は大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊した。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
我ゆくも またこの土に 帰りこん 国に報ゆる事の足らねば— 東条英機大将 遺言(部分)昭和23年12月22日夜 東京巣鴨(23日零時刑執行)
涙で前が見えない。
日付が変わってしまったが3/10のうちに上げたかった。
3/10は戦前から陸軍記念日になっていた。
トップ画はその式典の様子。
その日を狙い撃ちした東京大空襲。
今聞いても無差別なその攻撃は胸を痛める話だ。
すでにあった当時の国際法にも違反している。
余談だがあわせて私の父方の祖父が亡くなったのも3/10であります。
勲章を貰うほどのエリート職業軍人であった。
軍人らしい日を見事に選んで誇らしく旅立ったものだ。
25回忌になる。
非常に思いのある日でそれと併せて、
母方の祖父もまた奇しくも3/10が命日。
親族は皆、因縁を感じてしまった。
東条英機の遺言をここに持ってきたのはこの精神、この見識は陸軍記念日にふさわしいと思ったからである。
東京裁判はなんの正当性もない。
この遺言は処刑される前日に口述したものを教誨師がのちに文字に起こしたものだそうだ。
A級戦犯7名が処刑されたのは12/23
皇太子(当時の)の誕生日に、
また処刑日を意図的に合わせて、
ずっと日本人に罪の意識を植え付けてやろうという大変に悪質な設定なのだ。
陸軍記念日を狙い撃ちした事と重なったので取り上げた意味もある。
一部では有名だが、日本人としてこういう事(WGIP)をよく知っておいてほしいと思い、改めて軽めな記事にした。
このプログラムはジャブのように今頃聞いてきている。
これだけ日本人の中に反日を言う人が多くなった直接の原因がどうもここにあるのではないかと思っている。
誇り高く国際法を守り抜いた日本を貶めてはならない。