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マイノリティであること


こんにちは。田中です。
ここからは私のマイノリティ自分史をつらつらを書きます。
私は同性愛者であります。そのことを踏まえてお読みください。
そしてこの記事に時間を使っていただいてありがとうございます。どんどん読み飛ばして、一番最後は必ず読んでください‼️



身の上話を、2024年に起こったレズビアンドラマの発展に絡めてお話ししたいと思います。

200X年いつかの12月、私はこの世に生を受けました。私は両家族にとっての初孫であり、惜しみなく愛情を受け、順調に幼稚園、小学校とコミュニティーを広げて生きてきました。
小学生の頃、初恋と初お付き合い、みたいなことを経験しました。衝撃的なことはこの初恋は隣の席の女の子、初お付き合いは隣のクラスの男の子だったことです。
小学生の頃の私には、性的マイノリティーという言葉や概念はありませんでした。初恋を経験する小学5年生までは、お友達の好きな人ランキングを真似して足が速い男の子と頭のいい男の子を自分の好きな人ランキングに入れていたくらいです。



初恋の話をしましょう。初恋は上記の通り、隣の席の女の子。きっかけは、給食の班が同じになって私の大好物、牛乳を毎日くれたことです。小学生の頃の私はマジでめちゃくちゃ単純で、物をくれる人=私に好意を持つ人、という直列的な考えで生きるおバカな子でした。牛乳といえば、チェイサーゲームWの林冬雨さん。シンパシー感じますね😄
私はこの女の子のことが確実に明確に好きでした。私が私の恋愛的思考に違和感を感じたのはこれが初めてでした。周りのお友達には言えませんでした。もちろん親にも。私の親の話はまた後でしますが、できるような環境ではなかったんですね。当時「イジメ」が流行していた私のクラスで普通ではなさそうな話をしていじめられるのを避けたかった私は、この初恋は無かったことにしようと、幼いながらに自分の心を殺しました。

初お付き合いのお話です。
隣のクラスの男の子に小学生がもう終わるって感じの6年生の11月に告白されました。
初恋から約1年です。その間に、私は私以外の外界の普通を取り入れようと必死でした。もちろんいじめられないようにも必死でした。
小学生の女の子社会っていうのは複雑で、仲良かった子が突然喋ってくれなくなったりするんですね〜。何を根拠にいじめの対象を選ぶのでしょうか。いまだにわかりません。
いやそんなことよりも、告白された話でした。
普通に飢えていた私に春が訪れます。男の子からの告白です!!告白してくれたA君。無論、好きではありませんでした。ですが、社会の縮図の普通の一部になるには、この告白を受ける方が都合がいい、と解釈し二つ返事でオッケーしました。くそSiriがる女ですね。そんな私の初めての苦い春は1年足らずで終わりを迎えます。A君とSiriがる女は中学校が別でした。
A君は中学校で好きな人ができ、私も私で中学校で新しい恋に出会いました。これで呆気なくお別れ、というなんとも小中学生らしい恋愛でした。いい経験をさせてくれてありがとう、A君。



中学生の私の話をする前に、両親の話をしましょう。
母は私を20歳、父は22歳で授かります。近年晩婚化が進む中、はちゃめちゃに若いママとパパが2000年代に爆誕しました👐
都内のギャルと、都内の不良の新米ママパパです。
私の1番の理解者は、母です。カムアウトしていませんが、母は確実に私が同性愛者であることを察知しています。ママにはなんでもバレてしまうんですね〜…。
田中家の問題は、父にありました。人種差別主義者です。父の嫌いなものをあげていきますと、以下の通りです。韓国人、中国人、性的少数者、障がい者、宗教、etc..…。この中で父が一番嫌いなものが、「ゲイ」です。
この父の下では、私は否定されていました。カムアウトしていないので、父は私の存在自体を否定していることは気づいていないのですが、それは私のせいでもあるので何も気にしていません。

私が中学生になったころ、テレビやメディアで、いわゆる「オカマ」と呼ばれる人たちがブームを巻き起こしていました。マツコさんやミッツ・マングローブさん、はるな愛さんたくさんの方々がメディアで旋風を起こしており、父はそんな活躍する皆さんを蔑むような目で見ていたのを覚えています。不思議とレズビアンという立場の芸能人は見たことなかった気がします。メディアの影響で父は「ゲイが嫌い」と限定的な差別をしていたのだと思います。
今は、私やそういう方々を否定する人がいていいと思っています。しかし12、3の思春期を迎えそうな女子にはキツいものがありました。自分を否定されたような気持ち、大好きな人たちを否定される気持ち、私はこんな奴から生まれたのか、もう顔も見たくない、この頃は本当に父が嫌いで話しかけられても1週間くらい喋らないなんてことはザラでした。

中学生の頃の私の話をすると、吹奏楽部に所属し、日々部活と勉強に追われていました。楽器の練習をしている時は無になれて、基礎練習、曲練習、上手くなるためにではなく、コミュニティーを失わないように、やるべきことはやろうという義務感でやっていました。
同じ部活のBちゃんは合奏の時に私の対面に座る楽器でした。目が合うとドキドキするし、可愛いし、帰る方向も同じでした。単純にお友達として大好きでした。Bちゃんを恋愛的な意味で好きだな、としっかり認識したのは中学2年生の後半でした。しかしなかなか受け入れられない日々でした。本当に好きなのか?気持ち悪くないか?隠せない。だけど、好き。このぐるぐるした想いに雁字搦めにされていました。私は小学5年生の頃からたった3年ちょっとで、同性愛者である自分を自分が受け入れられなくなっていました。
中学生であるにも関わらず、すでに自分自身への偏見と社会の抑圧に負けて敗者感ビンビンに醸し出していたんです。

ある日。すきぴであるBちゃんと帰りが同じタイミングになったとき、2人きりになりました。いつもはいつメン😘な数人と帰っていたのですが、2人きりになって、ふと、Bちゃん言いました。

「田中、好きな人いるの?」

………

そりゃもう、動悸です。
あなたです、とも言えないし、私はパニック。
「え、あ、え、、うん、まぁ?」
いないと嘘をつける人間ではなかったのがこの世の終わり。

Bちゃん私をガン詰モードです。片っ端からクラスの人の名前を言っていきます。
驚いたのが、女の子の名前も男の子の名前も平等に言っていきます。
「Cくん?Dちゃん?えー、違うの?じゃあ、Fちゃん?」
「もしかして、私?」

いまだにかつて、私の周りに、女の子で私に向かって私のことが好きなの?って聞いてきた人がいただろうか、そして、それを私は本当に好きであるBちゃんにガン詰されたのである。
正直、このあとどうやって切り抜けたか、覚えておらんのです。記憶が飛んじゃってて。思いっきり動揺したことだけ覚えています。

と同時に、偏見のない世界に生きる人もいるのか、と思ったわけです。
2024年、漫画原作の「彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる」が実写ドラマ化しました。彩香ちゃんは、マイノリティをマイノリティと認識する前に弘子先輩が好きでした。偏見とかそんなの知らない真っ新だった彩香ちゃんはBちゃんと重なるものを感じました。
後にBちゃんはしっかりノンケと判明します。この話もおいおい。。。

Bちゃんのような偏見を偏見とも思ったことないアライに出会えたことが、私の人生の一番の収穫だったかもしれません。

中学生のころから大学院に入るまでBちゃんがずっと好きでしたが、このSiriガル女は、告白されるとチョロい性質にあったようで、高校生の頃、また男性とお付き合いします。文化祭マジック🪄です。
おもろいことに、彼はレズビアンの両親に育てられたちょっと複雑な家庭環境で、LGBTQに敏感でした。敏感というのも、女だらけで育った身で、仕草や言葉遣いが女っぽいということで、幼少期から悩んでいたらしいです。「別にそんなんいいじゃーん」とどうでも良かった私のスタンスが彼に刺さったのか、お付き合いを申し込まれたわけです。
楽しかったですね。友達みたいで。色んなところに行きました。3ヶ月間、どうもありがとう。今でも私は彼を女の子みたいにかわいい彼氏だったわー!!わははは!なんて思っています。
高校生の多感な時期に経験したレズビアンの実在性について、私は私の形をしっかり理解しました。
中学生の時に受け入れられなかった自分を受け入れ始めたってことです。

お付き合いした彼はいたけど、その間もどこかでBちゃんが好きでした。高校は別々で滅多に会えませんでしたが、幸いなことにBちゃんからは毎月連絡が来るし、アタシ全然幸せ〜!って思えてた高校時代でした。高校生の頃にお付き合いした彼とは全く疎遠となりました。そして、ちゃんと男の子として認識できなくてごめんね。どこかで私はあなたのことを女の子と同義として扱っていたところがあるかもしれない、と今になって謝りたいことがたくさんあります。



大学に入ると、選択を己でできる環境に移りつつありました。浸透したLGBTQという概念、PRIDE月間の押し売り、政治家の同性婚問題発言、たくさんのものに揉みくちゃにされてきました。
カムアウトするかクローゼットとして生きるかも、選択を迫られることが増えました。単純にコミュニティが増えたのです。アルバイトに大学、ゼミ、サークル、そして飲み仲間や、オタクの知り合い。あぁ、こうも生きづらいと思ったのはやはり学校社会で、ゼミの飲み会ではひっきりなしに恋愛話。
田中はなにかないのか、聞かれても困る。わしは女の子が好きなのだ〜!!!!って、大声で言ったら最後。もう飲み会には呼んでもらえないかもしれない。小学生の頃の私が顔を出しました。大学3年生の頃は特に悩みました。
私は一応理系の学生で講義に「進化論」がありました。先生、講義一発目で、「生殖しない人間に生きる意味はない」と言い放ちました。もちろん、そのあと、先生は、これは生き物としての生きる意味であり、とくに思考をする人間に生殖を今更説くのはお門違いだ、というフォローをしています。全然悪い先生ではありません。
しかしこの一発目の発言で私は、萎えました。そうか、生きることさえ同性愛者は許されないのか。
何を思ったのか、ウジウジ悩んだ大学3年生の時の私は、クラブに出入りするようになります。渋谷の某クラブで、夜更かしするようになり、そこで出会った私にとっての弘子先輩が現れます。
いや、「最初だけ」弘子先輩のような人でした。
その人はクラブでお酒を飲んで記憶を飛ばした次の日、一緒になぜか寝てたそこそこバリキャリwomanでした。私より歳は7歳上。

「あぁ、やっちまった。誰このひとぉ」
20歳そこそこの私、7つも上の女性と一緒に寝てるなんて、どういうことなんだ。
相手は裸、私は着衣。ウジウジしすぎて、羽目を外しまくってしまったらしいです。ここまで読んでいただいた方で、私の印象が変わってしまった方、ごめんなさい。でもそういう人なんです、Siriガールなんです……。
そういうことで、なんだかんだありまして、この時間から2ヶ月後、お付き合いをはじめます。めんどくさいのでYさんと呼びますが、Yさんは、私とのデート代、宿泊代、その他雑費において、全て負担してくれました。大学生であり、お金ないヨォっていつも嘆くくそケチSiriガールはとても助かりました。
ただし、車の運転は私だし、引越しとかも業者じゃなくて私をこき使ってました。いや、お金払ってくれてたんで全然良かったんですけどね。なんかこうすごくバランスのいいカップルだったんじゃないかなって思います。

しかしYさんは結構束縛激しめ🫶で、大学生である私に、飲み会に行くなと言ったり、学校までわざわざ迎えにきたり、挙げ句の果てには、軟禁されるという、なんともすっごいどメンヘラだったんですね。

大学内ではクローゼットだったので、全く誰にも相談できず、家族にももちろん話せず、しばらく連絡が取れない娘に、両親はアホほど心配していました。時間が経つにつれ、私は本気でこの人のところにずっといれば死んでしまうかもしれない。(外界との接触をさせてもらえない)と考えて、逃げました。
逃げるのにもかなり苦労しましたが、その話は割愛します。
紆余曲折、お別れした後は、再び普通の大学生として、卒論や授業に挑み、無事大学院に進学します。

進学後は大学とバイトの二択の世界で生きています。
恋愛をしたいと思ってもできずにいます。今まで、私の恋愛はどこかハリボテ感が拭えず、私のしたい恋愛とはちょっと違うなっていつも思っていました。
だから今はこのままでもいいか、なんて思っています。1人の時間が1番☝️いいのかも、なんて。



2024年、ついにレズビアンを主題としたドラマが3本始まりました。このドラマのブームがきっかけで、オープンになってもいいか、信頼できる人になら、自分がマイノリティなことを喋ってもいいか、って思えるようになりました。
っていうか、ドラマが始まるちょっと前くらい(2023年冬とか?)から、もうどうでも良くなっちゃった時期がありました。自分の恋愛観って別に他人に介入されても、おいそれとヘテロセクシャルになれるわけないじゃん。男の人に女になれ!って言われてなれないじゃん。それと同じ。ってね。
諦めにも似た感情にドラマが重なったわけです。

毎月会っているBちゃんとは必ず恋愛の話になります。
Bちゃんがドドドノンケなことは、成人式に発覚しました。マッチングアプリで出会った彼氏だそうです。
私言いました。「幸せそうだね、良かった」本当に心の底から良かった、って思ったのでそう口にしました。

「じゃあ、田中は?田中は幸せ?」
「うーん、Bちゃんにも言ってない恋愛(上記全部)はあんまり幸せじゃなかったけど、今が一番幸せかなー」
「私と飲んでるのが幸せなの?」
何を勘違いしたの、そうじゃないでしょ、ど天然なんだから!!と思いつつ、
「そうだね」って返しました。

「中学生の時、本気で田中は私のことが好きなんだと思ってた」

大人になって時代も少しづつ変わってドラマのきっかけですこしオープンになって、自分を認めることができるようになった私は言いました。
「好きだったよ、今もね」

「今は無理だよ、彼氏いる」
何そのフランクさ、驚きもしないのか。
やっぱり君というアライに出会えたのが人生の1番の収穫かなって心の中で呟きました。

人生最大の失恋と、人生最大の収穫。
初めて、心から幸せだと思いました。
だって、ちゃんとした「普通の失恋」ができたような気がしたんです。

チェイサーゲームWと彩花ちゃんは弘子先輩に恋してるは、どちらのドラマも現代社会のレズビアンを違う方向から突っ込んだドラマだったと思います。
原作のないチェイサーゲームWはシーズン2を迎え、脚本やレズビアンの描写の仕方に様々な意見が飛び交いました。
でも、それで正解だと思います。私も、全然この脚本失敗じゃんとか思いました。
しかしながら、私たちレズビアンが置かれている状況をメディアとして映し出そうとしてくれていたその志と、主演のお二人の真摯的な対応に心救われました。人生はトライアンドエラーです。科学研究に身を置く者として、全てのことにトライアンドエラーは必要だと思っています。失敗してもやってみなければならないことってあるんですよ。だからファーストトライは失敗が付きものです。チェイサーゲーム制作チームはそこに挑み、失敗も成功も得た。それだけです。
彩花ちゃんは弘子先輩に恋してるでは、現代社会と一昔前の対比がされており、またその狭間で苦しむ弘子先輩といわゆる若者世代な私たちのLGBTQへの認識の違いについて描写されていました。幸せになりたいのに、なぜ好きな人を傷つけるのか。切ないだけでは終わらない、現実的な問題を突きつけてくれたチェイサーと、感情と自分の幸せを優先してもいいじゃない、そしたら時代もついてくるよ、なメッセージをくれた彩花ちゃんは弘子先輩に恋してるには感謝しています。

たとえどんな批判を受けても、どちらのドラマもタブー視されてきた恋愛を描くという点で、先駆者になってくれた作品だと思っています。

そっとしておいて欲しいって気持ちもあるから、マイノリティのことあまり騒ぎ立てないで欲しいけど、でも、殻を破るなら今なのかなって思えた1年でした。ありがとう。

マイノリティであること、それが私の人生に付き纏うなら、とことんやってやろうじゃないか。
幸せって思える瞬間に出会えないわけじゃない。


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