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明日の神話

京王井の頭線を出てすぐのところに、岡本太郎作『明日の神話』が飾ってあります。

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勤め先の関係で、毎日渋谷通いのツチノコですが、この絵の存在に気がついたのは、働きだしてから2カ月ほど経った頃でした。一見、<ものすごく目立ちそう>と思われるかもしれませんが、注意をあえて向けないと気づけないほど、馴染んでいる絵画です。実際に、多くの人があえてこの絵を見ているシーンを、あまり見たことはありません。

自分は絵画に詳しくありませんので、絵についての詳細を語るのは避けます(背景等は、公式ページを参考にして下さい)。話しをしたいのは、この絵のタイトルです。Myth of tomorrow、「明日の神話」です。

「神話」というと、古代ギリシア神話、古事記といったように、過去のお話と思われるかもしれません。あるいはドイツロマン主義時代につとに言われた「新しい神話」、つまり「今」の神話について思い出す人もいるでしょう。そこに「明日の神話」とくる。最初にこのタイトルを耳にした時には、すこし違和感がありました。

また、絵から醸し出される残酷な雰囲気からしても、あまり希望のある「明日」のようには思えません。

なぜ「明日」なのか。
自分でもこの点はよく分かりません。ですので、気になる所ですが、明日の話から少し離れましょう。
ここからは「神話」という点に、少し焦点を絞ってみたいと思います。

そもそも、なぜ「神話」なのでしょうか「明日の話」でもなく「明日の物語」でもない。

神話について少し考えてみると、読み解けるものがありそうです。

「科学と神話」と呼ばれるように、神話は「非科学的」「空想」という評価を下されることも多いかと思います。だとすれば、このタイトルが示しているのは「明日について考えてみた空想」とでも呼べるものなのでしょうか。

神話をどう評価するか、という文脈の話になりそうですが、ここで自分はそれに立ち入らず、毎日この絵を見る中で、今後少し考えさせて頂きます。

ただ一つ言えるのは、この絵が気づかれないほどに馴染んでおり、自明視され、そして不可視になっている点です。多くの神話もまた、そこに存在するが、私たちの視線からは見えにくく隠れてしまっているのではないでしょうか。

とはいえ、少し見上げると、そこにこの絵がある。気づくときには、気づくものです。「神話」もまた、自明で、不可視であるにもかかわらず、どこかで私たちの背後に存在しており、身近にあることをふと気づく日がくるのかもしれません。

手軽に歴史的な絵画を見れる渋谷駅。立ち寄った時には、ぜひ、この絵を一目見てあげて下さい。そうすればまた、見えるものが一つ増える嬉しさを、感じて頂けるかと思います。

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