第12回(後半)六枚道場感想

最後だし、久しぶりにnoteで感想を書こう。

グループG

このグループは雰囲気が三者三様。「麻雀騒郎記」は文字通り騒がしい。台詞だけで構成され誰が言っているのかわからないがそれが徹マンの雰囲気を出している(徹夜は苦手なのでやったことはないですけどね)。最後5枚目が途中で切れているようになっているだが、意図的なものなのだろうか。「5/5」となっているのでこのページで終わりのようだが非常に気になる。反対に「動物園」はしっとり静かに重く進んでいく。動物園には最近行くことがないけど、行くとしたらこんなときになんだろう。「秋月国小伝妙『終る前のメヌエット』」は戦国時代っぽいところに平然とディケンズが存在する人を食ったような軽妙さと、学者と思われる草人が学問に情熱を燃やすを植長を哀れむようなその時代の残酷さを示されているのがなんともいえない読後感である。

グループH

ゲームではなく文芸でも選択を迫ることがある。結末を読者の想像に委ねるものもそうだし、ゲームブックもそうだ。「キロアラーム」は選択肢をベタに明示してきた。主人公はどっちを選ぶんでしょうね。どっちの選択肢にしても結婚に直結しているのが、まあ落ち着けと思った。拙作「懺悔/散華」も選択の話。これは第9回の「姉ヶ崎の終戦兵」に影響されて大戦時の記憶を交えた(比重としてそこまで高くない)ものによくあるSF的なものを入れて書いた。時代としては3つになる(戦時中、現在、再生後の未来)のでバラけすぎたかもしれない。「残心」は剣道の描写に佐々木君の描写、加虐的な趣味からのBL的な雰囲気、障がいまで全部取り込んでまとまっているスゲー作品である。「障がい」の内容が気になるものの、とにかく強い。

グループI

全部「読みかけのディケンズ」やんけ、のこのグループ。Takemanさんのは、エドウィン・ドルードとジョン・ジャスパーが出てきて、そうなると『エドウィン・ドルードの謎』であり、長編推理でありながら謎が明かされない未完の状態でディケンズが亡くなった。本作でもちくしょう結局なにもなかったのかよ、である。それはさておき、そこもふくめてラストまでしゃれた雰囲気である。最後の一文はなくして「読みかけの本」だけでさっぱり終わらせた方があっていると思った。成鬼諭のは、作中で一徳元就さんになって別にげんなりさんがいたりして吸血鬼ものかとおもえばSFで最後はギャグ?という怪作となった。難を言えばそっちの印象が強くてディケンズどこいった感がある。坂崎かおるさんのは、幼いころは年上の人がやたらしっかりして見えたのだけど、考えてみればその人はその人でまだまだ未熟な立場にいるといるんだなあということを思い出させる。モノマネはもっと間抜けなやつでいいかなと思うけど、ベタになりすぎるか。

グループJ

「近くの彼女」は悪意の生成過程がいい。打算と保身のあいまいさから生じていく感じ。ラストは寸止めどころか、それよりもはるかに前で止められているのが、静かな怖さがあると感じた。「田辺んちの奥さん」は怖い感じの要素はあるものの、なんとなく受け入れていく過程が妙な味になっている。ただ、人間は逆立ちしても犬にはなれないというのが僕の実感だ。犬は(猫も)偉大である。「宇宙作家ディケンズ」は宇宙刑事シリーズのパロディですが、どうせなら「その間わずか0.05秒」までパクってもよかったのではないか。ラストも妄想オチにせずにこの世界観で突き抜けて欲しかった。猫太さんには最後に「毒くわば皿まで」の言葉を贈りたい。

グループK

「異動」はとにかくラストですね。いかにもな役所対応の描写でこれで終わるのかとおもいきや、これからなにか起きそうな感じに収束するところがよい。「CITY」もおバカな設定から急展開で不穏さが一気に増す。「緑」とは?である。これ、読み解けるのか。。。「読みかけのディケンズ」は、これもなんでもなさそうなしりとり遊びから徐々に不穏さが出てくる。そしてラスト。今回お題のタイトルでの競作があったけど、読みかけのディケンズというタイトルが一番しっくりきたのは本作かなあ。