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コミュニティ#2|私がコミュニティの大切さに気づいた高校生活

コミュニティの存在を実感したのは高校2年生でした。私の居場所は高校時代にたくさんあります。

コミュニティ:共通の目的や興味、地域などによって結びついた人々の集まりを指す言葉。この集まりは、情報の共有、相互支援、意見交換などを通じて、その目的や興味を深め、また地域の絆を強化する役割を果たしている。「共同体」「地域社会」

weblio辞書「コミュニティ」(2025/02/19閲覧)https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3

悪ガキから優等生へ

私は受かる可能性が五分五分と言われた平均ちょい上の進学校へ入学しました。そこの写真部に入りたかったので、勉強云々は特に意識していませんでした。高校生になったら生徒会に入ることを決めていたので、初日に速攻、生徒会室に向かったことを今でも覚えています。
中学生の頃はテストの順位は毎度下がって、3ヶ月部活に顔を出さず、ひたすら遊んで過ごしていました。

私の代は3人が生徒会に入りました。後々増えていくのですが、本当に優しい先輩と面白い先生に恵まれて、学校について考えたり、イベントの運営をしたり、「チーム」を感じる活動でした。

だいぶ学校に反抗したし、コロナ禍もあり、絆が深まり家族のような存在でした。文化祭前1週間は朝6時に集まり夜9時あたりまで学校に残って作業していました。今思えばブラックが過ぎますね。でも楽しくて、面白くて、みんなと作業することに毎日ワクワクでした。私は片道1時間だったし、会長はそれ以上で、本当に泊まりたかった()

なぜか生徒会は国立進学を目指すクラスの子が多かったんですね。とにかく勉強ができる人がほとんどでした。その中でも最初のテストワースト3位の私。朱に交われば赤くなる。置かれる環境は大事ですね。3年生ではそのクラスに入り、教科によっては1位を取るようになりました。そのクラスは、一部が他に友達いないんかってくらい、大学進学後も仲良く、定期的に集まり、高め合う仲間です。

人生の転機、人生の軸を見つける

そんな生徒会にいたからこそ入団できた高校生ボランティア団体が私の人生の転機で私の軸の大元です。
生徒会副会長として、市内の高校から代表者が集まり、その年のテーマに沿って討論する「しゃべり場」に参加しました。イベントをきっかけに、そのイベントから派生してできた高校生ボランティア団体に入団しました。

社会実験のイベントで企画運営に参加した際、私は死ぬまで地域活性化に携わっていくと決めました。…過言、ではないけど、当時は将来、地元の地域活性化に携わる仕事がしたいと思っていました。
そして、地域の大人と関わり、人には人の意見があって、無限の価値観が存在し、その中で自分らしさを見失わず生きていきたい、多様性を実感しました。人の集まりは自分を進化させることを知りました。
結果、私は地域活性化にかかわる学科に進学しました。

その団体では初めて同性を好きになりました。初めての恋人ができました。初めて外部の大人と話して企画運営しました。
今でもOBとしてイベントの準備や運営に携わることがあります。後輩たちも、もうずっと年下の後輩だけど、親戚のような安心感があります。
私がコミュニティの強さを感じて、生涯地域活性化に携わると決めた活動です。

地元に帰りたい理由

地元の地域活性化とは別に地元に帰りたい理由があります。
もうひとつ高校生ボランティア団体に入ってたんですね。エスカレーター式なんですけど。中学生のリーダー育成研修から高校生ボランティア団体、大学生では指導員研修生として参加し、のちに指導員になります。

高校生になったとき、中学生を俯瞰して見て「学校って狭いコミュニティだ」と感じました。私は中学の頃にこの研修で他校に友達がいました。高校もそれぞれ別々でしたが、この研修で会います。高校では他の団体もあったので、繋がりがあったし、友達の友達、人が人を繋ぐことも多くありました。でも中学生の頃はこの研修でしか繋がることってなかったんです。
学校だけなんて人との繋がりが少な過ぎて、考え方や価値観が固執しがちです。外に出てコミュニティに足を踏み入れる大切さを知りました。

指導員の中には市役所で働く人や、地元に深く関わっている人がいます。今では地元でイベントをしたいという相談に指導員の方々が相談に乗ってくれます。

人脈は自分の能力の可能性です。人との繋がりは自分ができることを増やします。「コミュニティ」に敏感になり、今現在「多様性」を学ぶきっかけになった3年間でした。

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