「チャージ」という姿勢 〜極貧学生編〜
学生時代はお金がなく、電車賃すらろくに払えなかった。飲み会に行くために、目的地の駅までアホほど歩いた。貧困を時間と健康でカバーすることが当時の日常だった。
一方で、大学時代の全てを捧げたサークルはお金のかかるものだった。加えてスケジュールは漆黒の週7活動(これついてはまた別の機会に説明したい)。日々の支出は、たまのオフにねじ込む派遣バイトの稼ぎでまかなっていた。
工事現場で、一輪台車を使って10トン分の土をちまちま運ぶバイト。優しいおじさんが、若い男にアゴで使われまくる引越しのバイト。巨大パン工場の地下で、永遠に流れてくる袋に詰められた蒸しパンを、一晩中ポンポンして空気が抜けてないか確認するバイト。色んなタイプの肉体労働を経験した。
昼食は近くの100円ローソンで済ませる。ゴツ盛りカップ焼きそばと、見たことないラベルのサイダー。マントルに突入する勢いで意識の低い献立だった(216円)。
僕の学生生活の楽しみの一つに、サークルで定期的に開かれる全体飲み会があった。全体飲み会はその参加人数の多さから、団体の一大イベントだった。キャパシティの都合上、おおかた隣町の居酒屋で開催される。そしてその最寄り駅は、自分の通学定期券外にあった。電車賃は片道310円。当然、払うわけにはいかない。油断すればまたあの地下労働施設が待っている。それだけはごめんだ。(飲み会代もツケ)
真っ先に挙げられる解決手段は「自転車」だ。田舎のキャンパスの移動手段には欠かせなかったアイテムだが、僕に限って言えば、そんなものはもうとっくに撤去されていた。回収には2,000円がかかる。僕の管理が少しずさんだったとはいえ、法外な請求にも程がある。若者が選挙に行かないせいだろう。
次の手段は「ニケツ」だ。人の自転車の後ろにはよく乗せてもらった。体育のマット運動で培ったバランス能力をいかんなく発揮し、後輩の優しい女子の後ろに乗せてもらうこともあった。男としてのプライドは一ミリも培っていなかった。
ニケツもすることもできない場合、最後に残された手段が「徒歩」になる。特に帰り道なんかはみんな目的地がバラバラになりがちで、徒歩を余儀なくされるパターンが多かった。電車ですぐ着く隣町も、歩くと軽く一時間はかかる。それだけ歩けば、流石に酔いも覚めた。
サークル活動は毎晩遅くまで行う。終電を過ぎることもしょっちゅうあった。タクシーやホテルは貴族の遊びだ。一人で汚い部室に泊まったり(椅子を並べて寝る)、誰かの家に泊めてもらったり(床で寝る)していた。数日家に帰らないみたいなことはZARAだった。
そんな感じで、全体的に衣食住がそれぞれ脅かされた環境で過ごしていたが、当時の自分は何故そんなエクストリームな状況に耐えることができたのか。お風呂場で息止めチャレンジするみたいな耐久系レクリエーションが無駄に好きな理由もここに通じる。
耐久レースには、決まって有効な楽しみ方がある。それは「チャージ」という考え方だ。この「チャージ」こそ、エクストリームな状況を楽しむ秘訣となる。
帰り道でトイレに行きたいけど、ここまで来たしもう家まで頑張って我慢してみよう…体持ってくれよッ…!!みたいな状況は「チャージ」の最も分かりやすい例の一つだ。チャージした分、解放された時の快感もひとしおだろう。…そんなことない?あそうですか。「迷ったときは、よりハードな道を選択するようにしています。」良く言えばストイック、悪く言えばドM、フラットに言えばチャージマンだ。
当時の僕にとってのカップ焼きそばや徒歩は、お金の無さから仕方がなかった節もあったが、それ以上に「チャージ」行為の一環として有効に機能していた。
僕にとっての極貧は、チャージだった。
(つづく)