素うどん
さいきん、隣町の小さなうどん屋の、素うどんが評判だ。
評判とは言っても、素(もと)よりたかが素うどんである。
いつも素通りしていたそのうどん屋の、評判の素因を素っ破抜いてやろうじゃあないかと、出向いてみたんだ。
店の開き戸を開けると、すっかり過剰な営業愛想に慣れた俺には、些か素っ気ない感じの「いらっしゃい」の声が聞こえ、素っぴんの奥さんが、白魚と言うよりは、素(しろ)魚と言った感じの手で茶を出してくれた。
湯呑みも、素敵な品とは言い難く、素直な俺は、この時点で期待が薄くなった。
厨房は素通しで、今風に言うならオープンキッチンとでも言うのだろうか、中に居る大将は、胸に『素(もと)夫』と名札を付け、両手を極厚一枚杉板のカウンターに着いたまま、にこにこしながらこちらを向いている。
彼等の素性はまったく知らぬが、差し詰め、妻の名は『素子』で、名前の相性が良くて一緒にでもなったのだろう。
壁に貼られた品書きにちらりと眼をやると、どうやら素麺(そうめん)もあるようだが、ここはまず評判の素うどんを注文してみた。
注文を受けると大将は、真空パウチされたうどん素(き)地を棚から取り出すと、素早い動きで素手・素足のまま、そのうどん素地をこね始めた。
素知らぬ素振りをするには、無理があった。
こちらが、「おいおいっ、まさか今から?」と素っ頓狂な声で訊ねると、今のは単なる準備運動何だと、素人をおちょくる素行に、奥さんが(またか…)と言った感じで笑っている。
「大将…。居酒屋じゃあないんだからさ、俺は素面(しらふ)なんだ。頼むよもう…」
そんな会話をする内に、評判の、透き通ったつゆの素うどんが運ばれてきた。
まずは、つゆをひとくち。
(うーん、味の素を使わぬ天然出汁は、やっぱいいねぇ。濃すぎず薄すぎず、たまんねぇ)
しかしこれまた素は素でも、かまぼこも、青菜の一枚足りとも入っちゃいない、真の素うどんだ。
最近は冷凍や生麺だって、とても美味い、素うどんで評判になるからには、さぞかし秘策がある筈だ。
うどんの見た目は至って素朴で、特異な片鱗も窺わせない。
うどんを啜(すす)る。そして噛む。
(うまい…。言葉がでない…)
また一本、また一本と箸を進める内に、素志(そし)をすっかり忘れ、ただ夢中で啜っていた。
「大将、奥さん、美味かったよ。何かわからんけど、美味かった」
大将が口を開く。
「まんまですわ。誤魔化す方法はいくらでもあります。具を贅沢に飾って、大きな看板付けて店の内装も立派にしたら、大したもんに感じますやろ?」
━「飾るゆうことは嘘があるゆうことです。正直ではないとゆうことです。自分の提供するもんが、つまらんゆうことです。ハッタリゆうことです」
━「自分がつまらんと感じていることを他人さんに誤魔化すために、豊かだったり、楽しかったり、幸せだったりするフリをしているゆうわけですわな」
━「挙げ句、自分で自分を誤魔化すと辛いから余計なもんを、呑んだり喰うたり買ったりしては、更に辛くてそれを繰り返す」
大将の話が、この温かい素うどんと共に、俺の五臓六腑に染み渡った。
「大将、ええうどんに、ええ話きかせてもろたな。ありがとう」
━「俺も、素直にゆうわ。俺なあ、今日素寒貧やねん!(笑)」
混み始めた店内で、只食いの代償に1時間ばかり皿(丼)洗いをして店の外に出ると、俺は清々しい空気を胸いっぱいに素(吸)い込んだ。
おわり