本当の幸せー貧困の中の幸福感ー有り余る生活の中での虚しさ
心が貧しいものほどSNSで豊かさをアピールする。
弱いものほど強さを誇示する。比較により幸福感を感じる虚しさ。
日本の中流家庭に育った僕は、ある開発途上国へ旅行にいくことになりました。
僕の生活環境は、5LDKほどの自宅、兄弟は4人で、皆、地元の大学や短大を卒業し地元の企業に勤め、揃って30〜40万円ほどの月給を得ていました。
一番上の兄だけが結婚して家を出ましたので、両親と兄弟3人の5人家族です。
両親もまだ働きに出ており、一家の総収入は月額で160万円ほど、年間で2,000万円と少しでした。
家族5人がそれぞれ所有する普通自動車4台と軽自動車1台。
先祖から受け継いだ自宅の土地と複数の田畑。それを管理する為の軽トラックやコンバイン、そしていくつかの車庫や倉庫などを所有していました。
僕は、国内外の富裕層の存在は知っていましたので、今の生活に不満は無いものの、一人で何千万〜何億も稼ぐ人を思えば、やや劣等感を覚えていました。
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数ヶ月後、その旅行先に着くと現地の友人が黒煙をまき散らしながらぼろぼろの車で迎えに来てくれました。
その地域は排気ガスや粉塵がひどく、たった15分ほど道端で立っていただけで、目や喉が痛みを感じました。
ホームレスやストリートチルドレンとおぼしき子どもも見かけました。
迎えの車に乗って舗装整備のされていない凸凹だらけの道を、車に揺られて2時間ほど走ると、友人が住む農村に到着しました。
友人は、この農村部で、医療や教育、衛生に関する整備のための調査を依頼され、専門家たちと共に現地で働いています。
僕には、その分野の知識は無く、ただ友人の元へ遊びに来たのです。
翌日から友人は、朝から働きに行ってしまい、暇を持て余した僕は、友人から自転車を借りて、近隣の村村を見て回りました。
のどかな田園風景が広がる地域、小さな工場が点在する工場地帯。そこからさらに奥へ行くと、いわゆるスラム街(貧民窟)と呼ばれる極貧層が暮らす地域がありました。
工場地帯とはまた違う、食べ物などの腐敗と化学薬品が混ざった、すんだ臭いが一帯に溢れていました。
さらに入って行くと、どうやらその地域はゴミの埋め立て地のようで、空にはたくさんの鳥が舞い、周辺には複数の野良犬がうろついていました。
その横にはバラック小屋が立ち並び、その小屋へ出入りする子どもたちは皆、手に、長くて先が曲がった棒を持つと、ゴミの山を登って、リサイクル業者に売れそうなものを探し出しているようでした。
まだ小学生にもなっていなさそうな小さな子から、13、4才の男女10人くらいだったでしょうか。
その内の1人が、リンと言う女の子で、弟のジャイヤと共にペットボトルなどを集めていました。
リンは9歳で、ジャイヤが7歳だと言っていましたが、食べ物のせいか、日本の同じ歳の子と比べると、2人とも随分と小さく感じました。
時折りブルドーザーのような重機が子どもたちの真横をすり抜けて、さらにゴミを高く積み上げていきます。
次から次へとやって来るゴミ収集車。
ゴミ収集車が到着すると、子どもたちは危険もかえりみず、収集車の後部に集まり、パッカーから吐き出されるゴミの中に入っていきます。
聞くところでは、過去に重機や収集車に轢かれたり、生き埋めになって亡くなった子どももいるそうです。
僕は自分の日本国内での暮らしとの大きな違いに心を傷めながらも、そのすえた臭いがする地域に足繁く通い、いつも子どもたちと手振り身ぶりで会話にならない会話を楽しみ、
リンやジャイヤの、真っ黒になった、強烈な臭いがする手と手を繋ぎ、よくわからない踊りを踊ったり、歌を歌いました。
子どもたちは、いつも真剣な眼差しでゴミ集めをします。
そして、少しでもお金になりそうなゴミを見つけては、満面の笑顔で喜ぶのでした。
僕は、彼等から、自分には無い、ものすごいパワーを感じました。
時折り友人が、スラム街へ共に行って通訳をしてくれました。
リンの母親は病気がちで、いつもバラック小屋のテントの中で寝ていました。父親はいないようです。
リンは目を輝かせて将来の夢を語っていました。
「わたしががんばって、弟を学校に行かせてあげたいの!弟には、賢くなってたくさんお金が稼げる仕事に就いてもらいたい。 お母さんには栄養がいっぱいのご飯を食べさせて、お医者さんに診てもらいたいの! お母さんが元気になったら、いつか屋台をやるのよ! ヌードルが良いかな?それともお肉を焼こうかしら!」
この生活環境では、どれだけ必死にがんばっても、到底弟の学費を稼ぎ出せるとは思えなかったけれど、僕は彼女の力強い語りに圧倒されていました。
母親の具合が悪い時には少しだけ悲しそうな顔を見せるけれど、いつだって明るく元気なリンとジャイヤでした。
僕はそれから1、2年おきにその地を訪れ、子どもたちとも再会を果たしました。その時に、僕から10万でも20万円でもあげることはできましたし、家族に募金を募れば100万円だって容易に可能だったと思います。
でも、その時の僕には、決して惜しいわけでは無かったけれど、何か、その僕の自己満足な行為によって、彼女の大切なモノを壊してしまうような気がしたのです。
少しずつメンバーが変わりながらも、大きくなったリンとジャイヤは同じように収集車が吐き出したゴミの中から宝物を集めていました。
リンは驚くほど美しい少女に育ち、甘ったれだったジャイヤもたくましくなりました。
再び訪れたある年のこと、その地を訪れると、2人の姿はなく、また母親と3人で暮らしていたバラック小屋も無くなっていました。
友人に聞くところでは、ジャイヤが重機に巻き込まれて亡くなり、そのショックで塞ぎ込んだ母親も数ヶ月で亡くなってしまったそうです。
リンは一時的に孤児院に預けられ、母と同じように精神的ショックで落ち込んでいたようですが、そんな中でも、生まれてはじめてのベッドに感動し、粗末ながらも3度の食事には喜んでいたとのことでした。
幸いにも、富裕層地域から養子縁組の申し出があり、美しく育ったリンは、その家族の子どもになりました。
途中からではあったものの学校にも通う事ができ、何一つ不自由のない暮らしを手に入れることができました。
出自は誰にも知られることが無く、その美貌から、やがて国家の大臣の息子と結婚することになりました。
養父母の邸宅よりさらに大きい、巨大なプールが付き、メイドが8人、ガードマンが3人、運転手付きの高級車、15もの大きな部屋。
残念ながら夫との間に子どもには恵まれませんでしたが、小さな頃には考えられないほどの豪華な暮らしだったのです。
しかし、いつしか彼女は目の輝きを失い、寂しさや虚しさを抱えていきます。何もすることがないので、一日中食べたり、酒を飲み、夫からも愛想を尽かされてしまったようです。
彼女はこう言いました。
「あの頃が懐かしいわ・・・。いつもお腹を空かせていたけど、母と弟に少しでも良い暮らしをさせたい思いで、いつも胸がいっぱいだった。何も持っていなかったけど、頭の中は夢や希望が溢れていたの・・・」
「今はこんなにも豊かで何だって手に入るのに、胸の中も、頭の中もからっぽよ・・・。母も弟もいなくなってしまった。今の私には生きる目的がない。ただ毎日こうして何かを食べて、寝て、二人の顔を思い出して悲しみに暮れるのよ。あの頃は幸せだったわ・・・」
生きる目的を失い、あの頃の輝きを失ったリンは、豪華な暮らしの中で不幸を叫ぶのでした。