『もり・のおと』記録①梶野P
2022年4月5日、6日、札幌芸術の森にて行われた音の博覧会『もり・のおと』にて、音楽監督を務めました。これは私の視点からの記録です。
プロデューサーの梶野泰範さんとは長いお付き合いで、2003年、尺八三重奏『Breathtical Metal』の初演時に音響家として現場にいらしていたのが梶野さんでした。(下記は2019年般若帝國LIVEでの演奏)
私はこの曲の楽譜で、演奏家に尺八を演奏しながらの『Foot step』を指示しています。演奏家という肉体の音楽による躍動、を強制的に発生させたかったのです。私個人としては「聴こえなくても良い、演奏家の内側がそれによって燃えていさえすれば……」という気分でしたが、梶野さんは「これは聴こえたいから」と床にマイクを仕込んでくださってたのでした。そして、その会場においてそれは適切だったのです。私は「作曲家の概念だけでは音楽は発生しないのだ」とはっきり学びました。
梶野さんの、もう一つの強い記憶。
市川市交響楽団委嘱、箏の竹澤悦子さんにソリストとして初演していただいた『箏と管弦楽による協奏曲 ー手児奈伝説によせてー』
2010年、この作品の初演時にも梶野さんは音響家として側にいてくださいました。本番の最中にさえも「(箏のtremoloとGrockenのtremoloを拮抗させるため)箏少し上げたい……もう少し……もう少し……はい、ここで。」という要求に繊細に応えてくださいました。最終楽章が終わって全ての余韻が海へと還り、お客様の盛大な拍手をいただき、隣にいた梶野さんと目を見合わせた、あの時の感情は今でも思い返せます。
その梶野さんがプロデュースを務められる『もり・のおと』の音楽監督として指名していただきました。私の中で梶野さんは「頼れる爽やかお兄さん」だったのですが、いやいやそれだけではない、とても熱い人なのだと打ち合わせを通して知りました。(いや、よく考えてみれば、熱いものを持っている人でなければ私は頼りにしないですし、また、私をご指名くださる時点で熱い人であることの証明とも言えます。私はどうも熱苦しいようだから。) 構想を伺い、私がぼんやりと視えたビジョンについてお話しすると、その内容は梶野さんが思い描いたものと近かったようで喜んでくださり、プロデューサーと共通の見解を持てているのなら私は私の思うまま、進めば良いのだ……!という自信を得ました。
2日間に渡り行われる『もり・のおと』の中で、
1日目夜に行われる『もりびらき』
2日目夜に行われる『もりおくり』
の時間を手掛けました。
演奏家が私を含めて14人。全員が参加する。
ピアノの私以外は全員邦楽器。
梶野さんからは「提案として」下記の図面が送られてきました。
「えっ、音響家がコレ提案する?!大変そう!」と思ったけれど、コレを見たらやりたいことが溢れ出てきたのでこちらをそのまま採用させていただきました。
次回は仕込み日のことと、今回作った楽曲に関するメモを。
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