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風刺:檻の中のライオン

まずは下の絵を見て頂きたい。

自作の絵

この絵を見て、何を感じますか?

この絵は自分で描いたものであり、画力とかに関して色々突っ込むのは後にして頂きたいです。

何を感じたか、その思いや感情を記憶に留めつつ、以下の文章を読み進めて下さい。

以下、自分の解釈についての解説です。

他の解釈も可能だと思うので、「絶対この解釈が正しい」とは言いません。

あくまで1つの解釈として見て下さい。


【解説】
ヒーロー気取りの男は、檻の中のライオンを可哀想に感じたのか、飼育員を襲い、檻の鍵を開け、ライオンを逃している。
逃げたライオンは餌を取ることが出来ず、男を襲おうとする。

物事に対して、どんな感想を抱こうが個人の勝手だが、それを押し付け、暴力的な手段に出た結果、他者(ここでは飼育員)を傷つけている。
それでも男は誇らしげであり、罪悪感の欠片も無い。
どんなに正しい主張を抱いていても、それを実行するための行動までもが正しいとは限らない。
しかも、男の主張は歪んでおり、正当性や合理性を持ち合わせていない。

また、逃げ出したライオンも、ずっと檻の中で生活してきたため、檻の外で生きる術を知らない。
生存競争の厳しい自然界では、餌を確保することも出来ない。
自由(と言うより放任)が幸せであるとは限らないのだ。

そして、人間にも慣れているライオンは人里に近づき、男を襲おうとするが、男は自分の正義感と行動に陶酔しきっており、ライオンに狙われていることにすら気づいていない。
男は、檻のライオンに対して、「檻は狭い」という偏った側面でしか捉えておらず、ライオンが野生で上手く生きていけない可能性や、自分が襲われるリスクを全く考えていない。

歪んだ正義感は誰も幸せにしない。
一時的な自己満足に過ぎない。そして、自分の行いは自分に返ってくる。

そもそも「檻の中のライオン」は、簡単に言うと、権力者(ライオン)が暴走しないように法(檻)で制限している状況を例えたものである。
自由は、ある程度は制限された状態だからこそ、社会は上手く成り立っているし、ある程度は、個人が被害を被ることが防がれている。
ルールは個人を守るためのものであり、ルールによる制限が無い状態では、それこそ無法地帯となる。
それを自由と言うのなら、自由なんて地獄だ。


以上、芸術鑑賞っぽい内容でした。

自分の拙い絵を題材にしたのは大目に見て下さい。

p.s.
こういう感じの記事も書きます。

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