これまでの記録—大学卒業の節目に—
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
私は来年の春に、とうとう大学を卒業する身になってしまいました。別に浪人も留年も経験していない(なんなら単位も落としたことも無い)し、22歳で大学を卒業する人は割と多いとは思います。ただ、私の場合、これまでの人生が割と色々あったのに、大学を卒業するに値する成長を得られた感覚が少ないので、大学を卒業するのは何処か不思議な感覚です。そこで、この機会に、これまでの経験をまとめてみました。長文失礼します。
中学校卒業まで
幼少期~中学校2年生
生まれた時から、体は弱く、発達も遅れていました。頻繁に病院にも行っていましたし、特別支援も受けていました。特に秀でた取柄も無いし、習い事も満足に出来ませんでした。周囲の他の人との違いにも気づいており、少なからず劣等感を持っていました。「皆と違う」「皆と同じようになりたい」と。
また、幼少期に両親が離婚していたこともあり、家族が少なく、大家族や兄弟の多い家庭への憧れもありました。兄弟が多いと、賑やかで寂しくないはずです。年上の兄弟なんて、人生の先達みたいなものです。自分より上の存在がいることは、劣等感に繋がる可能性もありますが、一種の安心感にも繋がります。
学校では俗にいう「いじめられっ子」でした。周囲から白い目で見られ、暴言を言われ、暴力を振るわれ、陰口を言われ、嫌がらせされ、無視される。ただ、正直なところ、イジメられたことが多すぎて、その全ては覚えていません。というよりも、覚えられません。イジメの記録や物的証拠が手元に無いこともありますし、調べてみると、そのような一種のトラウマ記憶は、無意識的・生理的に忘れてしまう現象が存在するようです。ちなみに、エピソード記憶が残るのは、一般的に3歳前後からみたいです。
中学校3年生
俗にいう「いじられキャラ」でした。「いじめられっ子」とは違い、「いじられキャラ」に対しては少なからず親しみが込められています。それに、「いじられキャラ」は、周囲の人の方から自分に関わってくれる、ある意味美味しいポジションです。その影響もあり、これまでよりは人間関係が良好で、ある程度は所属欲求・承認欲求も満たされていたと言えます。
マズローの欲求階層説によると、欲求は階層構造を成しており、下層の欲求が満たされないと上層の欲求が満たされることはありません。勉強は「自己実現の欲求」に該当し、自己実現の欲求より下層の、所属欲求・承認欲求が満たされないことには、勉強の成績向上は望めません。イジメや排除・差別により、所属欲求・承認欲求が満たされていない場合、勉強なんて出来るはずが無いのです。
ある程度、所属欲求・承認欲求が満たされたこともあり、自分で言うのも難ですが、勉強の成績も割と良かったです。そこそこ賢い(偏差値72くらいの)地元の公立高校に、一般選抜の1か月前に実施される特色選抜(倍率4倍くらい?)で合格しました。成績が良かったこと、割と賢い高校に合格したことから、周囲から承認・称賛されました。それ自体は嬉しいのですが、その反面、「良い成績を取らなければ、周囲から承認・称賛されないのではないか」という疑念も生まれました。
ただ、併願で受験した、難関の私立高校には不合格でした。難関の私立高校では、中学校での学習範囲から逸脱した、高校で学習するような内容の問題が、入試で出題されることもあり、その部分の対策が不十分だったのだと思われます。難関の私立高校の対策で使用するような参考書を見てみると、当時の自分が対策不足であったことが良く分かります。
国語→古文の古典文法や古語、漢文の句法、書写や書道の知識・理論
地理→小学校で習う「身近な地域の地誌」に関する内容や、高校の系統地理の内容
歴史→高校の日本史や世界史、倫理の知識
公民→政治・経済の理論、政治史、経済史
数学→高校数学の知識
理科→高校レベルの物理・化学・生物・地学の知識、物理・化学・生物・地学の融合問題
英語→高校レベルの英文法、英単語
その他→実技科目の理論的な内容を、5教科の内容と関連付けた知識
ただ、同級生の中には、難関の私立高校に合格した者もおり、彼らに対する劣等感も生まれました。
高校1年生
人間関係
中学校3年生では「いじられキャラ」として自分を見てくれました。けど、高校違う。誰も自分を見てくれない。気付いたらクラスで孤立していました。
「進学校はイジメの類が無い」と思い、そこそこ賢い高校に進学しました。高校は義務教育では無く、自分で選択して入学するので、自分で楽しく生活出来る高校を選択出来る。中学校までが酷い学校生活でも、高校は平和で楽しく仲良く過ごせる。そんな夢物語を抱いていた。
現実は違った。確かに、暴言や暴力といった、あからさまなイジメの類は見られませんでした。しかし、自由と言う名の放任が蔓延る中、無視や仲間外れはザラにありました。自由と放任は違う。自由は権利が保障されているが、放任は全て自己責任に帰着される。誰も助けてくれない。
動物園・水族館で暮らす生物は、野生と比べて行動範囲は狭いものの、餌や治療は提供されるし、天敵も存在しない。今どきの動物園・水族館では、動物福祉を充実させるために色々としており、種の保存や自然教育にも力を入れている。そのような動物園・水族館で飼育している生物を野生に逃がす場合を想定してください。人慣れして、野生復帰の訓練も不十分であろう生物が、野生で生きていくことが出来るでしょうか。恐らく不可能でしょう。野生では、行動範囲は広いですが、餌は自力で確保する必要があるし、天敵から身を守る必要もあるし、怪我や病気は自力で治す必要がある。誰も助けてくれない。全ては自己責任に帰着される。これが放任です。(飼っている生き物は、最後まで責任を持って飼いましょう。)
話を戻しましょう。要するに、私は学校で孤立しました。そして悟りました。「人と関わらなければ、居場所は無い」と。そして考えました。どうすれば人と関われるのか。そして結論に至りました。「目立てば周囲に注目され、人と関わることが出来る」と。目立つには、どうすれば良いか、思いついた方法は大きく2つ、①少数派になること、②陽キャになること。
①は、少数派であれば多数派と差別化することが可能になり、没個性化を防げます。何も考えずに「多数派」や「普通」に流されると、没個性化してしまうと考えました。
例えば、芸術科目の選択でも、別に字を書くのが好きなわけでも無いのに、「音楽や美術が難しい」という消極的な理由だけで書道を選択する者も多く、結果的に「書道選択が普通」という風潮が生まれました。(美術でも、書体等に関して学習する機会はありますが。)
例えば、地歴公民の選択でも、膨大な統計・データを暗記するか、秀でた思考力を発揮しなければ、センター試験(当時)で高得点を取るのが難しいのに、「世界史や日本史より楽そう」という理由だけで地理を選択する理系も多かったです。(ちなみに、世界史では地理の知識も必要ですが。)
②は、陽キャはコミュニケーション能力が高く、誰とでも仲良くすることが出来ます。陽キャはリーダーシップもあり、周囲からの信頼も厚いです。陽キャが関わることで、同級生の孤立を防ぐことにも繋がります。ただ、これは持論ですが、人の上に立つ者には、下の者を守る責任が生じてくるため、スクールカースト上位の陽キャは、下位の者を守る必要性が出てくる可能性が高いです。自分が陽キャになっても、しんどそうだと後になって思いました。今は、いじられキャラくらいが最も楽で丁度よいと思っています。
なお、所属欲求・承認欲求が満たされていないので、マズローの欲求階層説からも分かる通り、勉強の成績は良くなかったです。特に、古典文法や英単語といった、単純に丸暗記するものが苦手でした。国語・英語といった言語科目や、数学や物理は、中学校の時点でも秀でているわけでは無いですし、高校でも成績が良いとは言えませんでした。高校1年生で履修した生物や、2,3年で履修する化学も、興味はあったものの、得意とは言えませんでした。中学校の頃から社会はマシでしたし、興味もありましたが、そこまで良い成績では無かったです。世界史とか、今やってみたら面白そうですが、当時は覚えることの多さに悶絶していました。世界史と和解したい。
文理選択・科目選択
文理選択や理科の選択は高校1年生の秋頃にしました。文理選択では、文系科目(英語・国語)が苦手だったこと、文系と比べて社会で即座に役立つ技術を学べること、SSH(Super Science High school)に在籍しているのに文系に行くのが(特に男子は)片身が狭そうに思えたこと、文系では大学院進学者が少なく、専門性を高めにくいことから、理系を選択しました。
また、理転より文転の方が難しくないと考えたのも、理系を選択した理由です。私立文系の入試科目は3科目(国語、英語、日本史/世界史/政治経済/数学から1科目)が多いという話も聞いており、高校で履修するカリキュラムを考慮すると、入試問題を解くのが難しい可能性はあるものの、受験科目の種類だけを考えると、実際はどうか分かりませんが、理系でも私立文系を受験することが出来るように思えました。また、国公立文系では5教科7科目が必要ですが、教育学系、人間科学系、経済学系等の中には、理系受験が可能な大学もあります。
理系の場合、理科は化学が必修であり、それに加えて、物理か生物のどちらかを選択する必要がありました。物理と化学を選択しました。物理系・工学系の学部・学科の多くは物理・化学での受験が必須です。一方、生物系の学部・学科(理学部生物学科・農学部等)の多くは、物理・化学でも受験が可能であり、生物を履修していなくても受験出来る大学が大半でした。そのため、生物系の学部・学科に行きたいと考えていたものの、生物ではなく物理を選択しました。
なお、物理・化学・生物・地学のうち、地学は受験出来る大学が少なく、大学で地学を専門的に学ぶことが出来る学部・学科が少ないためか、理系では開講されませんでした。地学は、地球工学・環境工学等でも学べるとは思うのですが、大学で専門的に学ぶには、理学部惑星学科くらいでしか学ぶことが出来ず、それに加えて、「理論が中心であり、実用的な技術を学べないため、理学部は就職で工学部等よりも不利」と言われがちであり、災害大国のクセに、日本の地学教育は軽視されているようにも思えます。カリキュラムの都合上、仕方ないと言えば仕方ないのですが、最後に地学を学ぶのは、多くの人は中学校であると考えられるので、中学校での地学教育や、地学と関連する物理・化学・生物の学習内容を、深く理解しておいた方が良いでしょう。
部活
高校では空手道部に所属していました。これは、運動部は文化部よりもスクールカーストの上位に所属する傾向があり、スクールカーストが高い運動部の方が、学校での居場所を作りやすいと考えていたためです。まぁ学校での居場所は全然なかったのですが。
空手道部では、私の名前が先輩に覚えられる前に、先輩方に「あの少年」等と呼ばれ続けたことで、あだ名が「少年」になりました。あだ名が嫌いなわけでは無いので、別に良いですが。あだ名や呼び捨てには親しみが込められている場合もあるし、あだ名や呼び捨てで距離感が縮まる可能性もあるし。あだ名や呼び捨てには慣れておいた方が良いと思いますよ、皆が「○○君」「〇〇さん」と呼ぶことの方が少ないので。
空手道部では、近所の道場と部活で流派が違ったので、幼少期に体が弱く、満足に習い事も出来なかったとはいえ、「本来なら道場の流派なのに」「道場の試合にも出場することが出来たはずなのに」という思いもありました。また、意見が合わないことや、顧問と親で揉めることもあり、そこら辺の不調和はありました。
高校2~3年生
人間関係
高校1年生で孤立した経験から、2年生に進級すると、無理やりにでも人と関わろうとしました。そして、人と関わるため、人に見てもらえるために、目立ち、注目されようとしました。リーダーになりたいという思いもあり、学園祭や修学旅行といった行事では、出し物等の中心を担おうとしました。全ては、所属欲求・承認欲求を満たすためでした。それでも、どこまでやっても所属欲求・承認欲求が完全に満たされた状態にはなりませんでした。所属欲求・承認欲求が満たされていないのですから、マズローの欲求階層説からも分かるように、勉強の成績は振るわないままです。
所属欲求・承認欲求を満たすため、人と関わるため、常に明るく振る舞い、喋り続ける必要がありました。沈黙の時間を作らないために、無理にでも話題を絞り出し、他の人に話を振り、喋りやすい雰囲気が醸成されるように、心身を酷使していました。それが365日ずっと続くのです。そりゃ疲れるわ。
ちなみに、小中学校の頃から そうでしたが、苦手な先生は特にいませんでいた。特に怖い先生の授業を受けたわけでは無いからかもしれませんが、他の同級生達が苦手に思っている先生でも、私は特に悪い印象は抱いていませんでした。
部活
部活で良い成績を残せば、周囲から承認・称賛されるのではないかと考え、その考えは、たとえ、経験値も実力も不足していても、「部活で良い成績を残さなければ、周囲から承認・称賛されないし、自分の存在価値を証明することが出来ず、居場所も無くなる」という思いに変化しました。また、部活を引退した場合、自分の居場所や存在価値を失うと考え、大会に勝ち進み、他の者より引退時期を先延ばしにすることで、自身の存在価値を証明しようとしました。それらの思いは強迫概念や重圧となりました。
高校3年生が出場可能な、国体以降に実施される大会としては、サッカーの冬の国立、ラグビーの花園、バスケットボールのウィンターカップ、バレーボールの春高バレー等が挙げられます。空手では、12月の全日本選手権は高校3年生でも出場可能でした。それらの大会や、夏や秋の大会に出場し、引退を先延ばしにすると同時に、良い成績を残そうとしました。
負けた時の影響は、組手では特に大きいと感じています。形は架空の敵を想定して演武し、その力強さやキレ、美しさや正確さを競う種目です。一方、組手は1対1で戦い、ポイントを取り合う種目です。この組手では、8点差(試合によっては6点差)が付いた時点で試合が終了になり、他の競技でいうコールド試合が起こり得るのです。8点差という大きな点差が付けられる場合、上段蹴り等の大技が複数回きまった場合を除き、選手間に実力差が存在する場合が多いです。そのため、大きな点差(5点差以上?)で負けた場合、自分の弱さを晒すことになります。さらに、個人競技なので、負けたことによる影響(世間からの評価等)は全て自分で背負う必要があります。これらのことから、組手では、勝ち負けによる影響が、直接的に自分に来るのです。
また、これまでの虐げられた経験等からも、組手に苦手意識も芽生えました。組手は1対1で突きや蹴りを出して戦うという、相手を物理的に攻撃する種目です。虐げられた経験から「人を傷つけたくない」「人に傷つけられたくない」という思いが芽生え、それが組手の妨げになるのです。また、相手との心理戦になる可能性もあり、自分から攻めても、「カウンターを貰うかも」という不安が付きまといます。
なお、大学でも空手道部に入部しました。経験値のある競技の方が好成績を残しやすいと考えたこと、経験者が部内で重宝されやすいこと、馴染みのある役員や指導員のいる環境で実施される試合に行けること等が理由です。
進路選択
進路選択では、専攻したい学問、偏差値、自身の学力、学費、浪人や下宿の有無等、多くのことを考える必要があります。この中でも、専攻したい学問は重要です。(外部の大学院等の受験は内部進学より難しいですが)偏差値は編入や大学院進学の際に、より良いものに更新することが出来ます。しかし、学問を変更することは難しく、学部と専門が異なる大学院に進学するのは厳しいです。
ただし、大学に合格できても、希望の専攻に行けない可能性は存在します。大学進学後に専攻を決定する場合、成績などの理由で希望の専攻に行けない可能性があります。入試で第1志望の学科に不合格で、第2志望以降の学科に合格する可能性もあります。違う専攻に行っても、似た内容を学べる可能性もありますが、専攻によっては、同じ分野を扱っていても、扱い方が異なる可能性があります。例えば、構造力学は機械工学科と建築学科の両方で扱いますが、機械工学科の方が難しいらしいです。ちなみに、私は力学が苦手です。どのような力が働いているのか、どのような関係式が成立するのかを考える、理科と数学を融合したような考え方が苦手です。
また、大学入学後の生活も考慮した方が良いです。大学では勉強以外にも、部活やサークル、バイトや資格取得に取り組んでみるのも良いですが、それらと勉強を両立させるうえでは、やはり気になるのは単位についてです。単位取得の難易度は大学・学部・学科・教員によっても異なります。例えば、医学科は試験で覚える内容が多いため大変です。京大は学部・学科により単位取得の難易度が大きく異なるようであり、法学部は試験結果のみで成績が決まる科目が多いようです。多少は誇張された表現である可能性はあるものの、阪大は「単位が大阪湾に沈んでいる」と言われています。また、一般的に、必修科目が多い場合に大変になりがちです。必修科目の単位を落とすと、他の科目で代替えすることが出来ないため、次の学期・年度に再履修することになり、時間割によっては留年の危機に直結します。
こんなに色々と言っているものの、私は高校生の頃、ここまで考えてはいませんでした。
大学受験
大学受験では、受験する大学によって実態が大きく異なります。
京大は理系でも文系科目が得意でないとダメでした。二次試験で国語が課され、英語も特殊(英文和訳と和文英訳が中心)でした。理系科目も難しく、数学では誘導が少なく、解答の方針すら立てられない可能性がありました。センター試験のボーダーも8.5~9割であり、まさに「天才が行く大学」でした。
阪大や神大はセンター試験のボーダーは8割程度でした。阪大は二次試験が難しいですが、神大は二次試験の難易度が標準的な分、高得点を取る必要がありました。なお、神大は京大や阪大と比べて模試が少なかったです。
「京大は天才が行く大学」と考え、自分は阪大や神大レベルの大学を第一志望にしました。阪大や神大は関西圏にあったので、実家からも通いやすいと考えました。(名大は自宅から通うには少し遠いです。)
しかし、どれだけ勉強しても成績が伸びず、努力が報われませんでした。ある程度は努力の量もあり、授業も真面目に受けていて、学校の授業の質も良かったので、勉強しても成績が伸びなかった要因としては、努力の質が低かった可能性や、勉強方法が悪かった可能性も考えられます。しかし、マズローの欲求階層説からも分かる通り、所属欲求・承認欲求が満たされていないことも影響していた可能性は高いです。
周囲には浪人する人も多かったのですが、私は浪人するのは嫌だったので、大学受験では妥協しました。浪人が嫌だった理由としては、浪人しても成績が上がる保証が無かったこと、浪人中に人間関係が過疎化するのが嫌だったこと、浪人の費用を払う価値が見いだせなかったこと等が挙げられます。
大学1~2回生
コロナ禍
我々の代は「可哀想」と言われることが多いです。確かに、マスク着用・声だし禁止・黙食・ソーシャルディスタンス等、制限も多く存在しました。亡くなった人もいますし、色々と辛く、コロナ禍は大変な期間でした。
しかし、その一方で、コロナ禍で得をした部分もありました。オンライン授業は課題さえ終われば楽な授業形態であり、オンライン試験は持ち込み可でした。人と話す機会や外出する機会が減ったのは嫌でしたが、年配の方に忖度する飲み会等は無くなって、寧ろラッキーでした。
もっと言えば、下の代の方が可哀想なのではないか、と思うことも多々あります。
1学年下の02世代(2002年度生まれ)では、高校の部活の春季総体や夏の大会が中止になり、引退試合が中止になった者も多いです。また、高校最後の学園祭などの行事は中止または規模縮小となりました。
2学年下の03世代(2003年度生まれ)では、高校2年生の修学旅行が中止または規模縮小になり、高校3年生でもコロナ禍で制限が存在していました。
3学年下の04世代(2004年度生まれ)では、卒業式前という中学校生活最後の時期や、高校生活の最初が休校になり、高校生活は全体的にコロナ禍の影響を受けました。
4学年下の05世代(2005年度生まれ)では、中学校最後の行事や部活の大会が中止または規模縮小になり、高校生活の前半もコロナ禍の影響を受けました。
まぁ、「コロナ禍で制限があっても、その中で色々と工夫して、忘れられない、かけがえのない学校生活にすることが出来ました」っていう人も一定数いそうだけど。
さらに、コロナ禍は多くの者の学校生活に影響しましたが、コロナ関係なしに、学校生活が苦しいものになった者も一定数いるでしょう。残念なことに、コロナが無くても、病気等で学校に行けない子どもや、イジメや不登校は存在するので。
なお、先述の通り、自分の学校生活は散々でした。コロナ関係なしに可哀想であるとも言えます。コロナ禍は、世界が自分に追いついたに過ぎません。ようこそ我が領域(Field)へ。(厨二)
排除・差別される
中学校や高校の同級生達と繋がるべく、InstagramやTwitterといったSNSを使用しました。昔に色々あっても、イジメの加害者であっても、被害者である自分から歩み寄りました。
ところが、SNSでは自分だけフォローバックされない仲間外れ・イジメに遭いました。フォローが外される、フォローリクエストが拒否される、ブロックされる。自分は何もしていません。フォローしただけです。
フォローされた側が、私がフォローしたことに気付いていない可能性もありますが、それを考慮しても、フォローバックされない割合は異常です。
このような形で、これまで必死に作ろうとしてきた、人間関係を全否定されたことで、捨てられた・裏切られた感覚が残り、人を信じられなくなっていきました。これまでの人間関係はウワベだけのものも多く、このSNSの一件では、他の者の裏の顔を見ることになりました。対面では無理でも、ネット上では薄汚い悪行が出来る者でした。
人との繋がりを得ようとして、多くのものが犠牲になりました。自分で払った犠牲もあるし、気づかぬうちに犠牲になったものもあります。学力なんて最たる例です。マズローの欲求階層説からも分かるように、所属欲求・承認欲求が満たされず、「人との繋がり」に飢えているようでは、勉強の成績向上は望めません。しかし、多くの犠牲を払っても、望んでいた「人との繋がり」を得られたとは言えません。
幼少期は特に取柄も無く、人と関わることが出来ていなかったので、「そもそも失うものを持っていない」状態でした。一方、今回は、繋がりや学力等、「何かを失う」出来事でした。正直、どっちもキツイです。しんどい・辛い経験があっても、ハッピーエンドで終わることが出来るのならマシですが、今回の事案は、どう考えてもバッドエンドです。
「人との繋がり」を得るためには、どの程度の代償が必要なのでしょうか。代償と得たいものを等価交換するためには、代償の大きさを知っておく必要があります。代償の大きさが分からないのに等価交換しようとすると、等価交換は成立せず、無意味に代償を失う恐れもあり、むしろ代償を支払う行動が仇になる可能性もあります。「人との繋がり」に釣り合う代償が無かったのでしょうか。それとも、理不尽に色々なものを失ったのでしょうか。
「親しい人しかフォローバックしない」といった人もいますが、その行為は仲間外れや差別・イジメに等しいです。あまり面識のない同級生や知り合いでも、ちゃんとフォローバックしている同級生もいるのですから、同級生や知り合いを選り好みして仲間外れにする行為が、どれだけ理にかなっていない、モラルから逸脱している行為であるのか分かります。
これらの出来事から、自分の中には、「人と関わりたい・繋がりたい」と思う自分、人を信じられずに憎む自分、どちらでもない自分といった、複数の性格を持っていることに気づき、もはや、どれが本当の自分か分からなくなっていきました。
そして、2回生の5月末、これまでの経験が積み重なり、とうとう全てを激白しました。SNSでの排除・差別に関しては、把握出来ている者は記録してあるので、別に晒すことも出来ますが、今回は主旨が違うので止めておきます。ただ、その気になれば晒せますし、機会さえあれば報復措置も取れるので、排除・差別した人は、私を虐げたことを懺悔しながら、「いつ報復されるか分からない恐怖」に震えながら過ごしていて下さい。
また、自分が虐げられても気付かず、庇ってくれない傍観者への不信感も生じてきました。さらに、自分だけが皆に虐げられることで、他の人が攻撃されなくなるという、一種の人柱や汚れ役ではないか、といった疑念を抱きました。
社会は、このようなカミングアウトやSOSを揉み消さないで欲しいです。必死に勇気を出してSOSを発信した人もいる中で、それらをネガティブな話題として切り捨て、言論を統制する。そんな状況では、苦しめられている人は一生そのままでしょう。誹謗中傷もしていないし、カミングアウトは言論の自由として認められるべきです。他者のポジティブな部分もネガティブな部分を受け入れてこそ、信頼関係が築けます。
同窓会
同窓会は、言わずと知れた、同じ学校というコミュニティに属していた、元同級生達の集う場です。この同窓会は、同級生達の仲の良さは関係なしに実施され、同級生全員を大切にするべき場で、同級生を選り好み・排除すべきではありません。
ところが、実態は先述の通りです。在籍中はイジメやトラブルが横行し、卒業後もSNS等で排除され続ける。そのような行為は許されるもので無いことは勿論ですが、そんな状況で、同窓会なんて開催する意味があるのでしょうか。同級生を選り好みするのなら、選り好みで選抜された、仲の良い者同士だけで、個人的に会えば良いはずです。わざわざホテルの広間まで借りて、片っ端から元同級生達に、同窓会を開催することを通達して、デカデカと会を始める必要性なんてありません。
しかし、同窓会は開催されますし、私も、同窓会は開催するべきだと思います。他の人が私と会いたいと思っている可能性もありますし、同窓会に行けば記念にもなります。また、同級生との間に問題が生じていても、それを解決するチャンスが同窓会です。互いに面と向かい合って言い合える状況なら、解決の糸口を見つけられるかもしれません。加害者が被害者に償う機会にもなります。
もし私を虐げて、同級生や知り合いを選り好みして差別することを何とも思っていない者がいるなら、別にお前らだけハミゴにして同窓会やっても良いんやで?こっちはお前らが行ってきたように、お前らを選り好みして、同窓会に呼ぶ人を選別しているだけだし、文句ないよな?文句あっても自業自得だよね?それとも、お前らだけ別の会場を紹介しようか?そうすれば、少しは私の気持ちも分かるでしょうか。一般的に、他者の心情を理解することが出来るのは、「心の理論」を獲得する4歳前後からみたいなので、発達障害等、特殊な事情でも無い限り、私の気持ちは流石に分かるでしょう。(まぁ、そもそも同窓会を自分で開催する余裕なさそうだけど…)
大学3~4回生
復讐と償い
この頃、自分を虐げ、排除した者を直接的に問い詰める等して、追い詰め、絶望の淵に追いやることに対して、一種の快感を覚えました。それは復讐でもあり、暴走でもあります。無理やりにでも、他者に私の存在を認めさせることは、少なからず自分の快楽になります。加害者は先に自分を虐げ、排除しているのですから、復讐されても自業自得です。
また、この頃、自分にとっては、全ては周囲から承認・称賛されるための手段であり、自分を虐げ、排除する者より優位に立つための道具であるかのように感じています。勉強や部活の成績や、学歴といったものは全て、虐げ、排除する他者や、虐げ、排除された自身を否定するための手段でした。
ただ、安易に復讐に走ることも出来ません。被害者が「自分はどうなっても良い」と考えている場合、加害者に復讐が出来れば満足でしょう。しかし、被害者が復讐で法を犯せば、被害者の関係者は「犯罪者の関係者」というレッテルを貼られるでしょう。繋がりは「○○さんのために復讐しよう」という原動力にもなりますが、「○○さんがいるから復讐は止めよう」という抑止力にもなります。
この他者の存在は、自身が生きる理由にもなります。一般的に、「死の概念」は4歳頃から獲得されるみたいですが、死については未解明な部分も多いですし、我々は死を完全に理解しているとは言いにくいです。現代科学では死後の世界や魂の有無は分からないし、死後のことも分からない。しかも、来世が存在していても、来世が今世より良いものになる保証なんて無い。だからこそ、現世で生きていくのに越したことは無い。
それでも、生きていくには目的や楽しみ、支えが必要。その支えに成り得るのが、他者の存在です。他者がいるから、「あの人のためにも生きよう」と思えるという場合も多いはずです。
また、復讐に関係ない人が巻き込まれた場合、その人は理不尽に被害に遭うことになります。そうなってしまったら、復讐した者が憎まれ、新たな復讐に繋がります。
加害者が被害者に歩み寄り、償ってくれるのなら、まだ許せる部分もあります。しかし、何の償いもせずに、平然と生きているのは違います。加害者にとっても、被害者の憎悪を収める方法は贖罪のみです。
SNSの限界
先述の通り、私はSNSで差別・排除されました。その経験から、新たな被害者を生まないように、たとえ怪しげなアカウントにフォローされても、フォローバックするか、誰か聞くようにしていました。
しかし、向こうから自分をフォローしておいて、誰かDMで聞いても既読無視したり、DMが来た途端にブロックしたり、しつこい・一方的な勧誘をしてきたり、居住地やLINEのアカウント等の個人情報を聞き出そうとしてきたり、かなり失礼で危険な対応を取るアカウントも多かったです。
それらのアカウントへの対応が出来なくなり、ストーリーで経緯を報告し、それらのアカウントのフォローは外しました。院試等、色々と上手くいかなかった要因の1つは、それらのアカウントへの対応で心身が蝕まれたことにもあると思っています。マジで許さん。
SNSでは、勧誘系や出会い系と思われるアカウントも多くあります。それらの中には、合法的で危険性が無いものも存在するかもしれません。しかし、それらのアカウントが違法なのか、安全なのかを見極めるだけの能力は持っていません。そのため、それらのアカウントは無視した方が無難でしょう。
さらに、SNSで人と繋がることにも限度が存在します。SNSを使っている以上、知らない人と繋がらないことは不可能ですし、人と繋がるうえでは、ある程度は個人情報を公にする必要性が存在する場合も多いです。しかし、知らない人と繋がることや、個人情報を公にするのにも限度が存在します。
相手の素性が分からない以上、見ず知らずの人と繋がることには、それ相応のリスクが伴います。しかし、リスクを冒さなければ人と繋がれない状況にも変化しつつあります。マッチングアプリなんて、見ず知らずの人と会って恋愛するツールであり、それ相応の危険性があるはずです。だからマッチングアプリは18禁で、審査とかが実施されるのだと思うけど、その審査を突破した業者やサクラもいるみたいですし、怪しげなアカウントが少ないマッチングアプリは有料(月額制)のものが多く、それでも怪しげなアカウントはゼロでは無いみたいです。それらのリスクを考慮すると、自分はマッチングアプリを使う予定はありません。先述の失礼なアカウントの中に、マッチングアプリの勧誘のアカウントがあったことも、マッチングアプリを使わない理由の1つだけど。
大学院入試
私は、大学院進学を希望しました。学歴を高くすることで、専門性を高めると同時に、虐げられて学力・学歴が犠牲になった過去を否定したかったのでしょう。しかし、私の置かれた状況を顧みると、大学院進学は限りなく厳しいことでした。
先述の通り、大学から大学院に進学する際に、専門の学問を変更することは難しいです。そんなことも知らず、他に行く大学が無いという理由だけで、教員になる気も殆ど無い(一応、教員免許は「資格の1つとして取得しても良いかも」とは思っていましたが)のに、教員養成課程に進学してしまいました。当たり前ですが、教員養成課程では「教師になるための勉強」をします。学問の基礎は学ぶことが出来ますが、大学院進学を見据えた、学問として専門性の高い勉強をするわけではありません。
大学院で専攻する学問は、自分の希望を大きく妥協しながら、出来るだけ、学部での内容に近いものを選択しました。化学を用いて生命現象を分析することに興味があり、本当は生物系や化学系に行きたかったのですが、結果的に教育系・心理系になりました。それでも、大学院と学部での専門には、大きなズレが存在していました。
大学の先生は、ことあるごとに「児童生徒に教える上では~」「教員採用試験では~」「教師になる上では~」と言います。別に、それを否定する気は無いですし、教員養成課程なので、ある程度は仕方ないと思います。ただ、教職を志望しない人のことは、あまり考えていないように思えます。
また、教員採用試験の対策など、教職に就く者に対する就職支援は充実していますが、教職以外の職業に就く者に対する就職支援は、教職より明らかに少ないです。大学院に進学する者に対する進路指導は、大学の先生が個別的に実施して下さることはありますが、大学が組織的に支援してくれることはありません。良く言えば「教員養成に力を入れている」悪く言えば「教員養成以外は弱い」という感じです。
さらに、私は所属欲求・承認欲求が満たされていない状態での受験でした。マズローの欲求階層説の話からも分かるように、所属欲求・承認欲求が満たされていない場合、勉強の成績向上は望めません。しかも、厄介なことに、所属欲求・承認欲求に関しては、イジメや差別や排除が過去のコミュニティでの出来事であっても、その傷が一生モノのトラウマのようにして残ります。加害者の存在そのものが一種のトラウマになります。
もっと言えば、それらの不利な条件を凌駕出来るだけの実力も持っていませんでした。そりゃ無理ゲーだわ。
このようにして、私は大学進学の際、完全に進路選択を失敗してしまい、その影響が大学院入試にも影響してしまいました。また、過去の諸々が現在にも影響し、もう手遅れな状態になっていました。もっと言えば、高校で孤立した時点で、所属欲求・承認欲求は満たされなくなるので、こうなることは決まっていたのかもしれません。さらに言えば、生まれた時から手遅れだったのかもしれません。高校入試合格で、多少は好転したはずだったのですが。過去は消したり否定したりすることが出来ず、現在にも影響を及ぼし続けます。もしかしたら、大学生活最大の学びは「過去は消えない」ということなのかもしれません。
ただ、その進路選択の結果、進学した大学での繋がりやコミュニティは少なからず出来たので、一概に否定することは出来ませんが。
(卒業後の進路は ある程度は決まっているので、そこは安心して頂きたいです。)
大学生活の記録
ここまで、大まかな私の人生を記してきました。
ここでは、あと半年で大学を卒業するので、折角なので、大学生活4年間を振り返っていきたいと思います。
進路選択で失敗して進学した大学だし、色々と地獄を見た日々ではあるものの、大学での繋がりやコミュニティも少なからず出来たし、色々と思い出があるのも事実です。
1回生 春学期
ずっとオンライン授業であり、大学の同級生との関わりもSNSくらいでした。
私の大学では、秋学期から専攻に所属し(推薦入試で合格した人とかの中には、入学する時点で専攻が決まっていた人もいますが)、専攻ごとに履修する授業が変わってきます。私は春学期の時点では、どの専攻に所属するのか決まっていなかったため、どの専攻に所属することになっても良いように、いくつかの専攻で必修となる、小学校の教員免許の必修科目を履修していました。
部活は、授業を受けるキャンパスとは離れた、別のキャンパスの部活(空手道部)に所属することになりました。自分のキャンパスに空手道部が無かったからです。
1回生 秋学期
障害児教育専攻に所属することになり、特別支援学校の教員免許取得のための授業が始まりました。障害児教育専攻の中で、コミュニティが形成されていきました。
障害児教育専攻では、特別支援学校の教員免許の他に、小学校または中学校の教員免許を、基礎免として取得する必要があり、自分は中学校理科の教員免許を取得することにしました。高校で理系だったこと、大学で化学や生物をやってみたかったこと等が理由です。理科専攻の人に混じって授業を受けていたため、理科専攻の知り合いも増えました。
理科の教員免許の授業は、実験等でレポート課題も多く、副免や基礎免で理科の教員免許取得を希望する者は少ないです。授業では、周囲は理科専攻ばかりで、私は珍しそうな目で見られていたことでしょう。理系出身者の副免を取得する者は、かなりの割合で数学に流れていきます。まぁ、数学は授業内容や試験が難しいので、理科か数学か、どっちが良いかは分かりません。人によります。
春学期に履修していた、小学校の教員免許の必修科目が、春学期と秋学期で連続開講だったため、必修の化学実験は2回生で履修することになりました。それ以外の理科の科目は、ほとんど理科専攻の人と一緒に履修していたと思います。
授業を受けるキャンパスと、部活があるキャンパスは離れており、平日の部活には参加出来なかったため、その埋め合わせで、大学の空手道部と繋がりがある道場に、出稽古に行かせて頂くことも増えました。また、春学期はコロナ禍でロクにバイトが出来ませんでしたが、この時期にはバイトを始めることが出来ました。
2回生 春学期
理科の教員免許の取得のための授業が多く、理科専攻の人と一緒にいることが多かったです。障害児教育専攻の人といる時間の倍くらい、理科専攻の人と一緒にいたと思います。実験も2科目(生物学実験・地学実験)あったので、レポートも割と書きました。実験では、毎回の授業で実験を実施し、次の授業日までに実験レポートを提出する、という形式が多かったです。(5月から6月中旬まで、新型コロナウイルスの感染者が増加したため、オンライン授業になりました。その時、実験では、自宅で簡易的な実験を実施しました。)
暇つぶしに落書きすることを覚えたのも、この頃だった気がします。大学卒業後の進路も見通しが立っていないので、「将来のために準備しましょう」と言われても、何をやれば良いのか分かりません。そのため、課題が無い時は暇でした。また、「何かを発信したい」という欲もあったので、この時期(正確には、1回生の秋学期から2回生の秋学期にかけて)には、色々とやってみました。落書きは健在です。(最後の方にギャラリーを載せときました)
卒業後のことも考えると、資格は多めに取得しておいた方が良いと考えたので、夏休みには、卒業要件では無い、社会教育主事基礎資格・社会教育士の資格取得のための科目を履修しました。
2回生 秋学期
必修科目の物理学実験で、まさかの抽選漏れ。物理学実験は3,4回生では春学期に開講され、3回生の春学期は別の必修科目と曜限が被っていたため、4回生で履修することになりました。そのため、物理学実験を4回生で落とした場合、留年が確定することになりました。まぁ、物理学実験を履修出来なかった分、社会教育主事基礎資格・社会教育士の資格取得のための科目を早めに履修することが出来て、結果的に社会教育実習を早く終わらせることが出来たのですが。
化学実験では、実験前に実験手順や実験器具、事前課題を実験ノートに記入し、実験中は結果等を実験ノートに記入し、実験後は実験ノートに考察や事後課題を記入する、といったことを繰り返していました。改ざん防止のため、実験ノートは黒ボールペンを用いて、手書きで記入する必要がありました。実験ノートの記入は、慣れてしまえば難なく出来るようになりましたが、他の科目でも多くの課題が出たら、睡眠時間や自由時間が多く削られていたのでしょう。自分の場合、課題が多い理科専攻の科目を、複数の学期で分けて履修することになったので、負担は軽減されていたのでしょうが、それらを同じ学期で履修している理科専攻の人達は大変そうでした。
なお、化学実験は火曜日の4~5限に実施されたのですが、実験は延長されることが多かったです。私は実験操作が上手い方ではなく、割と夜まで残って実験していました。まぁ、実験自体は面白かったので良かったですが。
11月には、部活の試合で東京に行きました。土曜日に移動し、日曜日に試合があったのですが、月曜日には2限から授業があったので、ろくに東京観光も出来ず、朝7時頃の新幹線に乗って関西に帰りました。授業に出席しただけでも、我ながら偉いと思います。褒めて。
1月には成人式・同窓会がありました。色々と因縁もあるし、同窓会の運営側との相談もありましたが、なんやかんや平和に終わりました。
3月には名古屋に行きました。1人で電車に乗るのも何処か寂しかった自分ですが、この時、旅行の楽しさに目覚めました。
3回生 春学期
ゼミに配属になり、履修する授業が減っていく人も多い中、私は3回生の春学期に29単位を履修していました。
元々は小学校の教員免許を副免(卒業要件に追加して取得する教員免許)として取得する予定でしたが、副免を取る上で必修の教育実習の要綱に「教員志望の者(教員採用試験の受験者)であること」という記述があり、教職に就く可能性が低かった私は、小学校の副免を諦め、その代わりに、中学校の技術の教員免許を、副免として取得することにしました(中学校の教員免許を複数の科目で取得する場合、教育実習は1科目のみで良いです)。
ゴールデンウイークには横浜に行きました。3月の名古屋で目覚めた旅行の楽しさは、この時に更に高くなりました。2時間弱、新幹線に乗っていることを「面白い」と感じる程度には。(東京行きの新幹線では、途中で富士山や海が見えました。博多行きの新幹線は、山と田んぼとトンネルばっかりでした。)
6月には2週間、特別支援学校での教育実習に行きました。個々の子ども達の実態を考慮して、授業や教材・教育活動を準備する必要があり、やることは多かったです。人生初の徹夜は、この時に教具を作った夜です。
夏休みには、卒業要件として必要な、ボランティア活動にも行っていました。コロナの影響で中止になったボランティアもありますが、実施出来たボランティアもありました。
夏休みには福岡と熊本にも行きました。博多と熊本の往復は在来線を使用したため、片道2時間以上かかりました。
9月には4週間、中学校での教育実習に行きました。特別支援学校よりは自分に合っていると感じましたが、保護者対応・生徒指導・高校受験の指導等、自分には出来なさそうな業務内容が多そうです。これらの業務内容は、教育実習では行わないので、実際に教職に就かない事には、実態は分かりづらいかもしれませんが。
3回生 秋学期
教育実習が終わっても、社会教育主事基礎資格・社会教育士の資格取得のための、社会教育実習がありました。その実習と部活の日程が被り、試合に行けないこともありました。
副免の技術の科目も履修しており、卒業要件のボランティアでスクールサポーターにも行っていたので、3回生の秋学期になっても、学校に行くことが多かったです。ただ、履修している単位数は20単位弱であり、春学期までよりは減っていましたが。
そして、卒業要件で、ひたすら中学校理科の模擬授業を計画・実践する科目を履修していました。受講生の大半は、当時2回生の理科専攻の人達で、その人達と協力し、SA(Student Assistant)の方々(同学年の理科専攻の人達も多い)の支援の下、生物・地学・化学・物理の、それぞれの模擬授業の準備や教材作成を実施していました。その中でも、11月に実施された、地学の模擬授業の準備では、学校に夜まで残ることが多かったです。SNSを見るのが面倒になったのもありますが、この時期は、ろくにSNSも見ていませんでした。ただ、私の班は、まだマシだったみたいです。11月末に1回だけ、「夜遅くに帰宅すると家族に迷惑がかかる」という理由で、10時半ごろに大学を出て、友達の家に泊めてもらった程度なので。まぁ、夜に大学に残って議論することも良い経験ですが。
クリスマス翌日に1人で海遊館、年末に鳥羽水族館、1月に寒行で彦根、2月に集中講義で近江八幡、2月に部旅行で三重、3月に家庭の用事で九州に行きました。割と色々なところに行きました。
4回生 春学期
必修科目や資格取得のための科目が減ってきたため、3回生までと比べて、時間割は空きコマが増えました。授業は、2回生で抽選漏れした物理学実験と、栽培技術に関する講義、農作業を実施する授業だけでした。その分、大学院受験の準備があったので、あまり暇では無かったのですが。
学校の授業や部活やバイトを犠牲にして院試の勉強をして、それでも院試に失敗した場合、残されるものは何もありません。そのため、授業・部活・バイト等を犠牲にするのも嫌で、お盆前までは部活やバイトもしていました(大学院入試は9月にありました)。
9月末、知り合いの方のお誘いで、琵琶湖の離島である沖島に、ボランティアとして行きました。これは卒業要件とも関係ない、完全に自主参加でした。
4回生 秋学期
副免の技術の必修科目のうち、必修の集中講義の日程の都合上、技術の教員免許の取得が不可能になりました。そのため、技術の教員免許の科目を履修しなかった分、時間割には当初の想定よりも空きコマが増え、授業は木曜日の午前の、卒業論文に関するゼミと、4回生秋学期の必修科目1科目のみになりました。
10月中旬、名古屋港水族館に行きました。入館料免除もありました。3週間ほど経ってから、北海道からの帰りに再び行きました。
11月には、部活の全国大会で北海道に行きました。土曜日に北海道に移動し、日曜日に試合があったのですが、木曜日以外は授業が無かったので、月曜日は札幌を観光し、その夜に名古屋まで飛行機で移動し、金山のネットカフェで一泊し、火曜日は名古屋港水族館に行きました。名古屋港水族館は、開館直後に入館し、閉館10分前に退館したので、8時間くらい滞在しました。
一応、4回生の引退試合みたいな位置づけの試合だったので、北海道での試合の後のミーティングでは、後輩にもメッセージを伝えることになりました。とりあえず、悔いを残さないようにして欲しいと伝えました。正直、試合とかは勿論、大体の物事が上手くいかない理由なんて、挙げ出したらキリがありません。経験値や練習量の差、練習方法の問題、不利な条件を凌駕できるだけの実力の有無、コンディション、相手との相性、運。それらの理由を考慮したうえでも、「実力は出し切れた」「やりきった」という感覚が残れば、納得がいくはずです。
それに、この部活に入部した理由も人それぞれだと思うし、「この大学の、この部活に入部するために、この大学を選びました」なんて人は殆どいないと思うし、何なら、この大学が第一志望じゃなかった人もいるはずだし、境遇も全員違うはずです。それでも、同じ大学・部活に入って、一緒に頑張っているのは物凄い確率の話だし、こうして出来た縁は大切にして欲しいです。
なお、北海道での大会は引退試合みたいな位置づけでしたが、この大会の後も別の大会は開催されるので、まだ部活の試合には出場すると思います。交通費のこととか、キャンパス間の移動もあるけど、試合もあるので、少なくとも大学を卒業するまでの間は、行ける時には部活に行きたいと思います。私の「行けたら行く」は、割と行く可能性が高いです。
部活を引退しないまま、大学を卒業するかも。大学を卒業したら、空手する機会も減るだろうから、今のうちに空手やっておこうと思います。試合に多く出場して、経験を積んだ方が、上達は早いはずだし、勝ち上れる確率も高くなるはずなので。
ギャラリー 落書き集
2回生の春頃から、気分で描いている絵の一部を載せておきます。
割と上手く描けたのも、短時間でサクッと描いたのも載せています。
これからも宜しくお願いします。
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