人間という弱い生き物
「人間って弱いと思うんです」
こう言う人も多いと思います。そりゃ、人間はライオンみたいな爪や牙も無いし、ゾウみたいに大きな身体を持っているわけでも無い。けど、それ以前に、人間は「集団に所属し、社会に居場所を作らないと、かなり生きづらくなる。」という点でも弱いと思います。
大切なモノ・人の存在
「大切なモノ・人が存在する」という事は、強くなる理由や糧になるし、生きる理由にもなる。しかし、反対に、それらの「大切なモノ・人」の存在に気を取られすぎて、足を引っ張る可能性も存在する。
こんな感じのセリフを、少年漫画等で聞いたことがある人も多いと思います。大切なモノ・人が存在することは、強さにも弱さにも変化し得るんです。まぁ、少年漫画なら「大切なモノ・人が存在するから強くなれる」と主張する主人公が勝つのが鉄則ですが。
人間は弱い。そして、人間は中途半端。例えば、多くの人と群れていると「鬱陶しい・煩わしい」と思っている人も、独りになると「寂しい・辛い」と孤独感を感じてしまう。この場合、強くなる方法は、「孤独感に耐えて打ち勝つ」又は「人と関わることで孤独感を消す」の2択だと思います。後者に関しては、所属欲求・承認欲求を満たし、孤独感を消すことで、足りないモノを得ることが出来るのです。
「固執するけど切り捨てる」矛盾
勉強なりスポーツなり、何かしら周囲より得意なモノが存在すれば、それに固執し、頼みの綱にし、「周囲と差別化するための道具」として使うことがあります。そして、それらの道具を失うことを恐れます。これは、周囲と差別化することで承認され、自らの居場所を作っている事と同義です。だから、「それらの道具を失う事は、居場所を失う事に直結する」と考えるのです。
反対に、固執せずに捨ててしまう場合もあります。人間は何かを犠牲にして、切り捨てる事もあります。人を選り好みして、自分が関わる人を選別し、選ばれなかった人は切り捨てる。こう聞くと「最低な人」と思われがちですが、そんな「最低な事」をしている人も結構いる。身近な例で言うと、SNSで同級生を選別してフォロー外したりして、その割に、同窓会等では涼しい顔してる奴。
何かを犠牲に出来ない
何かを犠牲にした場合、それ相応のリスクも存在する。何かを犠牲にしてまで、別の何かを得ようとしても、それに失敗すると、残されるモノは何も無く、結果的に多くのモノを失う事になる。学歴を犠牲にして、人間関係の構築や居場所作りに気を取られ過ぎた受験生は、受験に失敗するのは勿論、結局のところは人間関係も上手くいかす、得られるモノは虚しさと憎しみのみだった(体験談)。
信じたいけど、信じられない
社会で生きていく以上、人間は周囲の人と協力し、仲良くしていく必要があります。周囲の人と協力、仲良くするためには、周囲の人との信頼関係を築く必要があり、そして、周囲との信頼関係を築くためには、周囲と関わり、承認される必要があります。
ところが、この「周囲と関わる」という営みを行ううえで、どうしても「この人は信頼できるのだろうか」という疑問を持って接してしまいます。「人に裏切られたく無い」という思いは、「裏切られて辛い思いをするくらいなら、その人を最初から信じない方が良い」という思いにも繋がり、結果的に「人と関わるのが怖い」「人が信じられない」ということに繋がるのです。
人を裏切る理由は色々と考えられます。「周囲を巻き込まないため、やむを得ず人を出し抜き、裏切る」というパターンもあるでしょう。しかし、それでも「人を裏切った」という事実は存在してしまうのです。どんな理由でも、裏切られた側にとっては、「自分が出し抜かれ、裏切られた」という被害感や、「その人に自分は信頼されていない」という不信感を覚える場合も多いと思います。
この「人を信じたいけど信じられない」というジレンマの影響で、人間関係に苦戦する人も多いかもしれません。
日向と日陰
日向と日陰が存在する様に、世の中には明るい側面も、暗い側面も存在します。光と闇が存在することは仕方ないです。問題は、どうやって日陰にいる人を日向に連れ出すか。闇に葬られそうな悪事を晒すにせよ、苦しめられている人を闇から救い出すにせよ。日陰が形成されるのは仕方ないから、日陰にいる人を日向に連れ出せば良い。「日陰が好き」という人は知らんけど、「やむを得ず日陰に入る」という人に対しては、何かしらの手立てを考えるべきだと思います。