自由と放任
自由と放任は違う
なにかにつけて「自由にさせてくれ」と言う人もいますが、それは「勝手にさせてくれ」というニュアンスで言っているように思います。つまり、その人が求めているのは「自由」というよりも「放任」の方が近いと言えます。
「放任」と「自由」のイメージ
個人的には、「放任」は「好き勝手していても、それを止める人がいない状態」で、「自由」は「自分を不当に束縛する存在がいない状態」だと思います。「放任」の場合、自分が何かしらの危機に瀕しても、「勝手にしなさい」と言われるイメージです。しかし、「自由」の場合は、ただ単に「束縛からの解放」を意味しており、「自由」という概念の中には「放任」のような概念は含まれていないイメージです。そのため、「放任」と「自由」は違うと思います。
放任と自己中心性
自己中は放任の成れの果て
世の中には、自己中心的な人も多くいます。「自分の事しか考えていない」「他人の事は関係ない」というような人達です。その様な人達は、大体、周囲に迷惑をかけて、他の人に怒られるのがオチです。
この「自己中心的な人」というのが許されない要因としては、彼らと周囲の間に軋轢が生じやすく、彼らが様々な規範を逸脱してしまう機会が多いことが挙げられます。逆に言えば、周囲からの規範や束縛が無く、何をしても咎められない状態、すなわち「放任」の場合に、自己中心的な人は現れやすいのではないでしょうか。
自己中心性の限度
自己中心性は、「周囲のことを気にせず、自分の活動に没頭出来る」という観点では、時には役立つと思います。しかし、社会で生きていく以上、「自己中心的」過ぎると生きづらくなるのが現状です。(自分を犠牲にして、他者に献身的になり過ぎている場合も、それはそれで心配ですが。)
基本的には、「他者のこと、周囲のことを考えて言動を行う」ということが、今の世の中では重要になってきます。その観点で言えば、「自己中心性」にも、やはり限度が生じてきます。
自由を認め、放任を制限する。
自由は必要です。自由が制限されすぎてしまうと、窮屈で生きづらいです。何かを強いられ、支配されているような状況では、生きていくのは大変です。しかし、自由の制限が少なすぎると、その自由は「放任」に繋がります。その場合は、例えば、放任は制約が減る分、周囲との関係性も減少し、孤独感を覚える場合もあります。自由は、放任に繋がらないための制限が存在し、だからこそ、素晴らしいものなのです。
「何をしても自分の勝手」という考えの人もいますが、その場合、その人に起因して、犠牲になってしまう人が存在することになります。そんな事は認めたらダメだと思います。