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【無理だと言われたからできる】

【無理だと言われたからできる】

鳥取で地方創生の活動をしております大塚です。

「4分の壁」という話をご存知でしょうか。
1954年当時「1マイルを4分を切って走ることは人間には出来ない」
「永久に不可能だ」と言われていました。
「4分の壁」にオックスフォード大学医学部生の、ロジャー・バニスターは
科学的トレーニングと医学的なコンディショニング法を実践し、3分59秒4で走り、
永久に不可能と言われていた「1マイル4分の壁」を破る歴史をつくりました。

46日後には、ジョン・ランディ選手が
3分58秒で走り、その後1年以内に22人もの選手が「4分の壁」を破ったのです。

「4分の壁」という話をご存知でしょうか。
1954年当時「1マイルを4分を切って走ることは人間には出来ない」
「永久に不可能だ」と言われていました。
「4分の壁」にオックスフォード大学医学部生の、ロジャー・バニスターは
科学的トレーニングと医学的なコンディショニング法を実践し、3分59秒4で走り、
永久に不可能と言われていた「1マイル4分の壁」を破る歴史をつくりました。

そしてそして46日後には、ジョン・ランディ選手が
3分58秒で走り、その後1年以内に22人もの選手が「4分の壁」を破ったのです。

「永久に不可能だ」と言われててはそれを超えることができませんでした。
ただ一度破ることで次々に記録を破ることになったのです。

大谷翔平選手もそんな歴史を作った人であるというのはこの点だと思います。
野球はピッチャーとバッターは別々で一緒にはできないのが少し前の常識でした。
甲子園では4番でエースという選手はたくさんいるのに、プロでは二刀流がおりませんでした。
その常識を破ったのが大谷選手です。
今でも覚えてますが、二刀流を始めた直後はたくさん批判がありました。
いろんなコメンテーターが”無理”と決めてつけてました。
プロを舐めるなって言葉をいくつもいくつもみました。
ただ大谷選手はそこに怯まず、大変なことがあっても直向きに挑戦し、当時の栗山監督もしっかりと信じて支えてました。
だんだん数字が出始め、結果として見えるようになり、投手としても野手としても一流の選手と同じ数字が出るようになりました。
そしてメジャーに進出し、今では世界一のプロ野球選手と言われるほどになりました。
まさに結果を出して、周囲を黙らせた例です。
それをリアルタイムで見ることができました。
イチロー選手も日本人野手がメジャーで活躍するのは不可能と言われてたことを翻しました。
大谷選手はメジャーで二刀流を実現し、世界一の選手と言われるようになりました。
その歴史に残る活躍をリアルタイムでみれてることはとても幸せに思えます。

「無理と言われたからできた」
そうインタビューで語ってました。かっこいいです。
辛いことがあってはずです。限界を感じることもあったはずです。
そこを超えて自分を信じきれる強さがかっこいいです。
「無理と言われたからできた」って言える強さを持ちます。

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