水引のルーツを求めて
水引の産地
長野県飯田市は水引の生産量全国シェア70%と言われています。他にも、愛媛県四国中央市が有名です。
また、水引細工としては、長野県飯田市の「飯田水引」愛媛県四国中央市の「伊予水引」石川県金沢市の「加賀水引」京都府の「京水引」福岡県福岡市の「博多水引」などがあります。
長野県飯田市
2019年11月に長野県飯田市へ行って来ました。
水引工芸館「せきじま」水引の郷「山都飯田」へ。どちらも水引細工の大作が数多く展示されていました。撮影OKのエリアの作品を少しご紹介
「せきじま」さんでは、実演コーナーでスタッフの方が水引の歴史について語りながら、水引を結んでいるのを大型スクリーンで見る事が出来ます。私が行った時はまだ観光バスが到着する前だったので、特等席で見る事ができ、説明しながら結んだ水引をプレゼントしてもらいました!(これから行く予定の方!絶対最前列の真ん中辺りで見ると良いですよ!かなりの確率で結んだ水引もらえます!)
↑ 頂いた水引の鶴
元結
信州飯田は水質、気候が良く紙の原料となる「楮」(こうぞ)の栽培が盛んでした。美濃から来た桜井文七が元結職人と質の良い「元結」を作り、江戸に売り歩いたところ、たいそうな評判となり「文七元結」の名で江戸中に知れ渡りました。
明治4年断髪令の公布により元結の需要が減り次第に水引の生産が増えきた背景には、宮中の儀式、貴族や武士に限られていた水引の風習が少しずつ民間に広まってきた事が挙げられます。
国技である大相撲の髷や歌舞伎、時代劇、花嫁衣装にはここ飯田の元結が今でも使用されています。
館内には機械化される前の水引の作り方の工程や道具の展示もありました。
この昔ながらの作業を「山都飯田」さんで実演している所を見る事が出来ました。
今は、殆どが機械化されてこのような光景は見る事が出来なくなりました。昔はあちこちでこのような風景がみられたそうです。
水引
水引の起源は、飛鳥時代に小野妹子が遣隋使として中国から戻る際、答礼使が贈り物に海路の無事を祈って紅白の麻紐が結んだ事からだと言われています。以来宮中への献上品には紅と白の水引が結ばれて「くれない」と呼ばれていました。
平安時代には宮中における儀式に贈答品の装飾として水引が用いられたり、神聖な場所と一般社会を区切るときに水を引いて清めるので水引と呼ばれたりすると言われています。その後庶民の間でも贈答が盛んになり、水引は発展して行きました。
水引細工
飯田市の地場産業となった水引細工
水引工芸館「せきじま」さんには雪水流家元 関島登氏とそのお弟子さん達の作品が沢山展示されています。家元は、大正12年生まれ今もなお現役との事!
紅水引
一見は黒に見えてしかしよく見ると玉虫色の高貴な輝きを放つ「くれない水引」皇室と限られた寺社でのみ用いられる。一般には出回る事がない貴重な水引です。ここ「山都飯田」にその紅水引が展示されていました。
平成から令和へ元号が変わるこの記念にとお正月飾りに紅水引をあしらったものが販売されました。
残念な事に2020年5月をもって「山都飯田」さんは閉館。残念でなりません。
水引細工の魅力を後世へ
山都飯田さんの閉館や、水引の素材で時々見受けられる「廃盤」のお知らせ。水引を愛する者としてこんなに悲しいことはありません。
日本の伝統工芸「水引細工」を後世にも残して行くためにも微力ながら水引の魅力を発信して行きたいと思います。