理想と、現実。
今日は久しぶりに、高校時代にとてもお世話になった先生と話した。
その先生は自分が困ったときに相談に乗ってくれ、自分の話をさらけ出してくれる先生だった。
久しぶりに出会う先生の姿は元気そうで、特徴的な声で呼びかけてくれた。
そしてそんな先生に、僕自身のやりたいことを話してみた。
広島に個性が大切にされる環境を作りたいのだと。
生き方を感じられる、学べる場所が作りたいのだと。
そのうえで、学校の先生たちが進路指導の上で困ってることは何なのか。
また、その課題は学校外の人間がかかわることができるのか。
また、話を聞いてもらうためには信頼関係が必要だけど。どうしたら信用してもらえるんだろうって。
そんな風に聞いてみた。
そしたら衝撃の言葉が返ってきて、
かつての広島の教育はそれを大切にしようとしていたのだと。
個性を大切にし、格差をできるだけなくすために、高校間の学力差をなくしてみたり、地域に学校教員が出向く機会を作ったりして、実際にコミュニティを作っていたのだと。
ただそれは、学校教員にとってとてつもない疲労と苦労を作り出してしまった。
また、学校の中で先生たちが生き方を教えるのではなく、学校の外で生き方を教えていて、学校の中では上からの圧力に苦しまされていた。
そんなことが、あったんだと聞かされた。
この話は深ぼると政治につながってくるみたいで。
ただとても面白いのが、根本の想いはどの政治思想も同じであるはずなのに方法論で、すごく争ってたみたいで。
この方法論であらそうという課題に対して、自分自身が旅を通じてかんじていた、
何をするのか、ではなく何故するのかを大切にすること
が大切なんだろうと。
一つの考え方だし、当事者でないと水かしさなんてわかんないから何とも言えないんだけど。
これ以上はかけないけれど、方法論で争った歴史と広島の現状が自分の中で結びついてとてもしっくり来てしまった。
だから、正解を求められるし、結果を出さないといけない風潮が強く出ているみたい。
まだまだ現実は広くて大きいから、理想だけじゃ難しいって気づいてるならもっとたくさんの人と出会い、挑戦してみろ
結局ここに行きついたので、もっといろんな人と生き方を知り、また挑戦する過程で現実も観ていけたらなあなんて。
要は旅に出てみろってことだなあと笑
また、現実、、って言葉の意味も、なんか普通って何だろう、、みたいなところと一緒で縛られすぎるとよくないし、とっても抽象的な言葉だと思う。
だから、現実からは逃げない。ちゃんと向き合うし考える。
けれど、それを言い訳にもしない。
それをふまえてできることを考え続ける人になる。
そんな覚悟が決まった日のお話。