ETA-13 壊れゆく日常
コロナ禍で崩壊していく倫理。
誰もがビジネスの強者で有り続けたいと願い。
ビジネスを止めることを恐れ、ごく当たり前の幸せを、お金と共に手放してゆく。
我慢を強いていた日常は、時間の経過に伴い、枷が外れてゆくように、少しづつ崩壊へと向かってゆく。
仮想デジタル都市を作り、それが壊れてゆくのを見るように、一度作られた世界が、音を立てて崩れてゆくように、崩壊が始まっているかのようだ。
あの令和市は、誰かが止めないと崩れ去ってしまう。
いや、むしろ逆か。
止めれば永遠にその名残は残り続けるけど、誰かが動いているから、時間は流れ、そして崩壊してしまうのだろう。
昨日から雷が何度も何度も落ちているように、神の怒りか啓示なのか、動けば動くほど、熱を帯びて崩れてゆくかのように、この世界は壊れようとしている。
俺は、その世界で、動くのを止め、世界を傍観する事を、是としている。
ああ、時折休むことだって必要だろう。
人生、今までよくやってきたよ。
年を老いたくなければ、時間を止めよう。
動かざること山の如し。
けれども、動く速度と同じ、船の中で、止まった時間を過ごしているように、外の波は荒波。船が転覆しないように調整しつつ、できるだけ、できる限り傍観するに留まるから、時間を遅くしているに過ぎないのだ。
次の天気が晴れて、穏やかな波に変わったら、もう少し、傍観していよう。
ほら、水平線の向こうまで、よく見えそうだろ?
今は荒波。例えるなら、嵐に見舞われている、立て直して立て直して、なんとか舵を取っている。
ギリギリの状態だ。
人と人の関係も。また……
そうやって、継ぎ目を結んで結び直して、また新しい出会いを探してゆくのかもしれない。
壊れゆく日常がある。
それはどこにでも存在していて、毎日取り繕うように、動き回っている。
目を回しているのなら、立ち止まって見るんだ。
動かなければ、状況は確認できる。
動かなければ、壊れゆく日常が修復されてゆくかもしれない。
ゴジラが現れて一度壊してしまうのもいいだろう。なにもないところから、新しい世界を作る事ができるから、でもそれは重労働だ。
あるものを、少し変えるだけのほうが簡単だ。
たくさん動くより、ほんの少し動くほうが、どれだけ楽だろうか?
私達は、文明を時には、そのようにして、ジリジリと小さな改革を続けて、改造してきた。今がある。
さあ、次の道を繋げよう。
少しの改革で、大きな一歩を。
そんなコメダ珈琲みたいな戦略が、地に足がついていると言うかのように。
私は傍観者。
私はふぃろ。
令和市を見つめる者。
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