「結」
薄いカーテンの向こうで布が2枚風に泳いでいます。此処は風の通り道だったり雨の通り道だったりします。だから思わぬ事に遭遇できるのです。それは東西南北を小さな山に囲まれた場所だからじゃないかと心ひそかに思っています。
今朝も思わぬ気持ちのいいベランダの風景がことばになっています。風が布を通り抜けていくたびに。体にたまった熱まで風がさらってくれそうです。布が風を見せてくれるだけで元気が出てきました。
1メートル四方の桜色の布は竹の繊維で丁寧に織られた竹布という布です。肌にはもちろん自然環境にも考慮された安心できる布です。もともと2メートルほどあったストールだったものを半分にして友人が贈ってくれたものです。私は2年前に免疫の低下が原因で重い皮膚病になったことがありました。その時にお見舞いと称して下着と一緒に送ってくれたものです。
あれからこの桜色の竹布は私の枕カバーとして活躍してくれています。何となく洗濯機で回すのがためらわれて。手洗いを続けていたからなのか。形が崩れることもなく。なにより水のように肌に馴染む感触が今もそのままです。変わらないでいて欲しいものがそのまま変わらずにあることって。決して当たり前ではないことを知っているが故の喜びを感じています。
私の眠りの世界を支えている桜色の竹布に朝の光が透けるのを眺めているのって。なんだかとっても嬉しい。樹木とも草とも違うと言われる竹です。空洞になっている場所には神聖な力が宿っていると聞きます。その力を失わせることなく布にまで仕上げることには想像を超えた人の想いがあったことを感じます。
竹の持つ神聖な力と。その神聖な力を壊すことなく扱った人たちの想いに助けられて。私の皮膚も時間はかかりましたが徐々に回復しました。友人が結んでくれた竹布とのご縁はこれからも私の暮らしをそっと助けてくれる存在のひとつです。
「希望は私たちの心のなかに、あるいは心を通して芽生えますが。それだけでは実現しません。地上的なことが克服されなければ」
ドイツの神秘思想家、ルドルフ・シュタイナーが「薔薇と百合」で表現していたことばです。先日読み終えたばかりの本なんですが。竹布が風に泳ぐ姿と重なった時。より深いところでこのことばを理解できたような気がします。
涼しいうちに何かしら済ませておこう。夏を過ごす当たり前の知恵はどうも昨今は通用しません。午前中、本屋さんに向かう背中は汗まみれ。涼しいうちはしばらく閉店ガラガラぽんです。
牧野富太郎氏の「随筆草木志」を買う予定で出掛けました。予定で。予定は未定であって決定にあらずとはよく言ったものです。私は牧野富太郎氏の「なぜ花は匂うか」を予定であったかのようにレジに持って行きました。暑さは人の心を惑わすものです。
私が育った家のすぐ近くに牧野富太郎氏の記念公園があります。牧野氏が亡くなるまで30年を過ごした場所でもあります。植物分類学の父と言われた牧野氏の仕事がそのまま庭になったように。植物にはどんな小さなものにも名札がついていました。懐かしさも満たしてくれそうな本に出逢えて。暑い道を歩いたかいがありました。
さて、午後から「なぜ花は匂うか」の謎に迫ってみたいと思います。
追記
見出しの画像はみんなのフォトギャラリーからです。クリエイターは青りんごさんです。