「雛」
昨日、2月の終わりの日。28日は春一番を思わせる風がベランダから吹き込み。南向きの窓から北向きの窓へ大急ぎで走り抜けていきます。カーテンは風の玉を包んだように膨らんだかと思うと勢いよく萎んでしまう。部屋のなかの冬の氣と春の氣が衣替えより一足早く入れ替われば人の氣が春を感知する。こんな風に季節は動いて人の氣を変えてゆく。
弥生。朔日参りでは雛あられが振舞われました。ピンクや白の淡い色の砂糖がまぶしてあるお菓子を戴いて。梅の咲く帰り道に再び春を感じたりして。梅の花が落ちてしばらくしたら。梅の実が実って梅雨の雨がポツリポツリと龍の目からこぼれるように天から落ちてくる。
まだ私が高校生の春。珍しく母が寝付いていた。風邪を少しこじらせたみたいで嫌な咳が胸をコツコツと突いていた。病人に三寒四温はなかなか厳しいらしく母の気持ちとは裏腹にスッキリと起き上がることができないでいた。どうやら母をイライラさせているのは病だけではなく。迫りくる。迫りくるお雛祭りが関係していたのだ。
父にも私にも今年はお雛様を出さなくていいじゃない。と二人にきっぱりと言われて。母自身も体調がどうもいまいちで。その頃、父も私も。お雛様を出すお手伝いはできれば避けたかったものだから。これ幸いの気持ちが母には見え見えだったはず。
今でも忘れない。3月1日、学校から帰ると2階の和室にしっかり秀月の7段飾りがドーンと音を響かせているかのごとく鎮座していたのです。まだ春浅い夕暮れにぼんぼりとやらには灯りが燈され。どことなしにお雛様も恥ずかしそうにこちらに微笑みかけていた気がするのはなぜだろう。
「どう?お雛様出している間に元気が出て来たわママ」
「・・・・」
女の子の母親にとってお雛様への思い入れってあるのかもしれない。私が高校生って言ったら40年以上前、昔のお話だから。今の感覚とどこか違っているだろうけど。
その年のお雛様は4日間で箱の中へ帰っていくという。忙しないスケージュールが母の手によってこなされていました。そして、私が26歳で嫁ぐ日まで順調に母の手によってお雛様はお披露目されたわけです。
その26歳のお雛祭りは例年と違っていた。3月10日過ぎても母はお雛様を飾っていた。しまう気配がなかった。なんでも今年は15日まで充分にお雛様を楽しみたいのだそう。そう語る母の後姿にはなんていうのだろ。やり切った感が半端なく感じられたのを昨日のことのように思い出せます。
「やっちゃん。母がね、お雛様があるうちによかったら遊びに来てね」って言ってたよ。
「どう?予定とれそう?」
「ダメダメ、お雛様なんて。あの人たち一番騒がしいタイプの人たちじゃない」
「騒がしい?誰が?」
「五人囃子も3人官女もひと目を気にしない所があるから」
「・・・・」
その夜。夜中にそっと襖をあけてお雛様を見に行った。初めて飾ってもらった日の夜も一人でお雛様を見にいったっけ。ぼんぼりの灯りがお雛様の頬を桜色に染めていた。我が家の五人囃子も三人官女もおとなしかった。
「きれいよねー」母がどこからともなく囁いた。
「怖いな。びっくりさせないでよ」
「やっちゃんも見に来たらよかったのにね」
「・・・・。」
10年前いよいよ母がお雛様を諦めました。どこのお宅にもそれぞれの理由でこんな日が訪れますよね。お雛様と言えば母の執念だな。(母、まだ健在です)
雛あられも振舞われたことだし。白酒でも買ってこようかな。やっちゃんのギターで「たのしい ひなまつり」もいいね.
春の弥生のこの善き日
なにより嬉しいひな祭り