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「使」
12月の太陽はこんなに眩しかったかな。昨夜、あまり眠れなくて体が何かにコーティングされているように動きづらい。いったい何にコーティングされてしまうのだろう。ため息に混じって出てくる邪気やもしれない。そんなことを考えながら私は千両を買いに花屋さんに向かっている最中なんです。
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しかし、邪気はともかくとして。気持ちの良いお天気です。思い切り空気を吸い込みながら見上げた空は。遠く手を伸ばした先にあるものとばかりに見上げてみたのに。空は殊の外近くて驚いてしまった。
「えっ」
再び驚いてしまった。
今、3羽の真っ白な鷺が見事なまでに同じ間隔をとって。斜めに並んで飛んで行った。真っ白な飛行機の片翼のように。音もたてずに西の空を目指して飛んで行ったのです。
鷺が立禅でもするかのように立っている姿は何度か見たことがあるけれど。頭上を3羽が片翼を描いて翔けて行くなんて。そんなことあるのね。人には両の目の奥に松果体という大豆くらいの大きさの器官があるらしいけど。3羽の鷺は私のその場所を通過していったような感じがしたのです。
私は地上にいながら鷺の翔けていた空を共有した感覚があった。から。
共有した空は私の重いコーティングを雪を溶かすように溶かしていった。鳥たちが空を翔けるのは。人の持つ重いコーティングを溶かす為なのかしら。私たちが空と認識している領域は鳥たちの意識によって近くなったり遠くなったりしているのかもしれない。
私のからだや心がふっとした瞬間に軽くなったり。ざわついた胸の内が訳もなく鎮まるとき。それは、誰かの祈りが巡ってきたから。鳥たちは無心に祈りを運び。日々、巡りを助けることを生業としているのでしょうか。
ひとつの成就は ひとつのあきらめと同じかもしれない
ひとつのよろこびは ひとつのかなしみと同じかもしれない
ひとつのあきらめは ひとつの成就と同じかもしれない
ひとつのかなしみは ひとつのよろこびと同じかもしれない
この日の午後は友人がお茶をしようと訪ねてくれました。お持たせのお菓子の包装紙があまりに可愛らしくて。何度も眺めていると。もしやあなたは鷺ですか?お菓子を作る修道女の背景のように佇む姿を皆さんにも確認していただけたらと思います。
手ごろな箱のサイズだったこともあり。包装紙の切り抜きで箱の表と裏をコーティングしてみました
白鷺は時に空から時にお菓子屋さんで。
祈りの使者として大活躍をしています。
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