手紙
返信遅れてごめん、僕はもうそんなに若くなくて、いろんなことに感情移入しがちで、昔のことを思い出すだけで心がいっぱいに溢れてしまうから、そう、君も知っているだろうけれど。
当時、僕の知っているみんなが共通して言っていたことは、火星に見るユートピアの素晴らしさの話題ばかりで、楽しいことも悲しいことも、笑いも涙も、すべて溶け合って分かり合える場所だと心躍らせて、出立の日はまるでもう一度生まれる気がして、みんなで笑い転げていた、海の青いことや山の緑のことや、鳥のさえずりや雑踏の足音や、他愛もない会話や誰かとケンカしたことや、そんなこと全部がひとつの響きになって、同じひとつの淡い色に見えた、だから、うれしかった。
離れてはなれていく地球があんなに丸くて、手に収まるほどに心細くなってしまうと、急に僕たちは窓から離れるのが怖くなった、やがて僕たちの中のあのユートピアが本当はどこに隠れていたのか、どこに見つけるべきなのかやっと気づいた、すぼまっていく僕たちの世界が、どんなに戦争で荒んでいても、どんなに相手の声を聞けなくなったとしても、あれは僕たちの楽園だった、どんなに頑固に誰かが威張っていても、どんなに孤独な誰かが無関心を装って目を逸らしていても、振り返ってみれば楽園が広がっているはずだった、そのことに気づいた時、僕は僕たちは泣いてばかりいた。
時が経って火星が大きく近づいてくると、その赤く染まった荒地が僕たちのなかに古いこだまが増幅されて、あれがユートピアだと言って胸ときめかせていた日々が、静かにクレッシェンドして蘇ってきた、それは狂おしいほどの恋だろうか、やるせないほどの湧き上がってくる沸々としたものは、僕を僕たちをすっかり更地にして再び惹きつけた、失ったユートピアをもう一度描けるなら苦労もいとわなかった。
この星への蘇った想いは、きっと最初のものとまるで違うけれど、不思議なくらいずっと後まで持ち続けた、その恋のような想いが無かったなら、僕は僕たちは老いることを怖く思っただろう、いつしか老いた僕たちの生活は、思ったほど良くもなく、憂慮したほど悪くなることもなく、ただ淡々とサイクルを繰り返して、やがて火星の空は思った以上に雲でいっぱいになっていった。
結局、僕たちのユートピアはこの世のどこにも実在しなかったけれど、僕のここまで知って生きたこと、それが不格好でもそれがユートピアだったと信じている、僕は僕たちは老いてしまったけれど、君の知っていることすべて、それもユートピアだと僕は信じている、そう思うんだ。
だから、心配ないよ、君がどこかに行き当たるまで生きていくんだ。