SS:聖夜をひとりで過ごすより。
改札口を出て、街路を歩き出す。冷たい風が吹きつけてきた。
通りを行く人は、みんなどこか幸せそうに見える。
近くのケーキ屋では、サンタの衣装を着た店員が店先で売り込みをしていた。
手をつないでそっと寄り添っているカップル。
それを見てため息をつく。
「……あ、また幸せが逃げた」
ひとりごとを呟いて、冷えた両手をそっと息で温めた。
そういえば、ため息をつくと幸せが逃げるって誰から聞いたのだったかな?
そんなことを考えながら、コンビニの自動ドアをすり抜けた。明るいクリスマスソングが流れている。
ああ、いやだ。クリスマスなんてキライ。
特に、ひとりで過ごすクリスマスなんて。
いつからクリスマスは大切な人と過ごす特別な日になったのだろう。
いつもと同じように仕事もある。クリスマスだからといって、早く帰らせてもらえるわけでもない。もちろん、家族がいれば、それを理由にできるのだろうけど、独身、子なし、恋人もなし、には関係ない。
適当に夕食と明日の朝食を選ぶ。クリスマスだからと特別なものを選ぶこともない。おにぎりにパン、サラダ。温かいものも少し食べたい。クリームシチューを選んだ。今日はパンを食べて、朝はおにぎりにしよう。
チラリ、とケーキが目に入る。クリスマスケーキ。ラスト一個。買おうか、と手を伸ばしかけて、躊躇し、やっぱりやめた。
ひとりでケーキを食べてもむなしい。
レジをさっさと済ませて、再び通りを歩き出す。寒い。雪が降り出すかもしれない。
大きな通りを少し外れると、さらに寒さが増すような気がした。靴音が静かな住宅街に響き渡る。
アパートの階段を上がり、通路を曲がったところで人影が目に入った。
「……よう。おかえり」
片手にビニール袋を下げた蓮が、ドアにもたれて立っていた。
「……なんでいるの?」
「んー? また今年もクリぼっちなんだろなーと思って」
ニヤニヤ笑っている蓮に、うるさいな、と小さく応えながら鍵を開け、明かりをつけた。
「おじゃましまーす」
「ちょっと! まだ入っていいって言ってない!」
「こっちは寒い中待ってたんだからいいじゃん」
さっさと靴を脱いで上がりこんでしまう。
「……あー、やっぱ部屋散らかしっぱなしじゃん」
そう言って、勝手に荷物を降ろし始めた。その横を急いで通り過ぎ、慌てて洗濯物をしまう。
「キッチン借りるよー」
私の意向はおかまいなしに、蓮はキッチンに入ってしまった。鼻歌交じりに流し台に置いていたカップをいそいそと洗い、フライパンや鍋を引っ張り出し、持ってきたビニール袋からスーパーの総菜を取り出している。
何をやっているのか気になりつつも私は部屋の片付けを続けた。蓮の他に訪れる人がいない部屋。飾りっ気もなく、服や雑誌があちこち散らばっていて。とりあえず雑誌はまとめて積み上げて、服はクローゼットに押し込む。
「……で? わざわざクリスマスに来て、何の用事?」
「んー? クリぼっちに愛の手を、的な」
「そういうあんたこそ、どうなのよ?」
イヴに人の家の前に一人でいるくせに。
「んー、オレはほら、来るもの拒まず去るもの追わずですから」
軽く肩をすくめて、笑いながら蓮は言った。
「そんなだからクリぼっちなんじゃないの。たまには本気出してみたら?」
「おまえがそれ言う?」
おたまを私の方へ指差すように向けて。
「クリぼっち歴、何年目?」
「……あんたがそのきっかけでしょ」
ああ、そうだった、とからかうように小刻みに笑うと、彼はまたコンロの鍋に向き合った。
もう十年も前、中学三年のクリスマスイブ。私は蓮に決死の告白をした。
蓮は当時から女子にはモテた。すらっとした体型、何でもソツなくこなすタイプ。誰にでもそれとなく気を遣える。私以外にも蓮に告白する子はたくさんいた。だから多分、ダメだろうなと思いながら、それでも。
なのに、蓮は、ふーん、とだけ言って。
何事もなかったように水に流された。オレ、もう帰るけど、と私の顔色をうかがうように聞かれたけれど、私はもういっぱいいっぱいで。ポカンとしていたら、本当に行ってしまった。
その数日後、初詣に行った神社で、隣のクラスの女子と並んで歩いているのを見た。冬休み明けには、蓮がその子と付き合い始めたことでクラス中もちきりだった。
「……あれはねー、おまえも悪いと思う」
「はあ?」
「何もさー、イヴに告白しなくても良くね? クリスマス終わってからにすれば、少なくともクリぼっちにはならないじゃん」
何をわけのわからないことを言ってるんだろう。
心の中で悪態をつきながら、二人分のコーヒーカップを出す。インスタントコーヒーを適当に目分量で容器から直接カップへ投入。蓮の分は少し多目に。
「イヴに告白しなかったら、クリスマスにカレシいないんだからクリぼっちには変わらないじゃん」
「いやいや、まだ希望が持てるだろ。少なくとも、イヴもクリスマスも楽しい気分で過ごせる」
何それ、と非難がましく口にした。イヴもクリスマスも好きな人と一緒にいたいからこそ、遅くともイヴに告白したのに。
「それをぶち壊した人に言われたくないなー」
ポットから湯を注ごうとして、ちょい待ち! と蓮に止められる。スーパーの袋の中から蓮が取り出したのは。
「……シャンメリー?」
銀色の包装紙にクリスマスの絵柄が描かれた子ども用の飲み物。
「ほんとはシャンパンにしたかったんだけど。もう売り切れてこれしかなかった」
「うち、シャンパングラスなんてないし」
「うん、だからまあ、いいかな、と」
色気がないなぁと少し呆れつつ、受け取って、包装紙を開けていく。
蓮に告白した後、高校受験や卒業式であわただしく日は過ぎていった。蓮は時折、私の方をじっと見つめて何か話したそうにしていたけれど、それとなく避けた。彼は県立高校が本命で、私は彼が滑り止めにと受けた私立専願。蓮は志望校合格間違いなしだと言われていたから、そこで私とのつながりは切れるはずだった。
ところが、四月、彼は私と同じ学校、同じクラスにいた。高熱で体調を悪くして、試験はボロボロだったらしい。
高校に入ってからも、蓮はやっぱり女の子にモテた。同じ高校だけじゃなく、近くの高校にもファンクラブがあると聞いたこともあるし、学校の先生とのウワサもあった。中学の時に付き合っていた子とは、高校に入学する頃には別れてしまったようだった。
本人が言うとおり、来るもの拒まず去るもの追わずで、付き合っては別れ、別れては付き合っての繰り返し。それでも蓮の印象を悪くするようなウワサは不思議と流れず。
私はというと、蓮が何事もなかったように接してくるので、戸惑いながらも、告白前と同じように友達として過ごすことに決めた。そうはいっても、やっぱり気持ちをあきらめてしまうことはできなくて。
蓮の隣を歩く女の子の姿を見ては、うらやましいなと思い、どうして私だけダメだったんだろうと考え。
考えてもわからないから、くすぶり続けていた熱を持て余して。
二回目の告白をした。それも、高校三年のクリスマスイヴに。
蓮にはその時、やっぱり付き合っている子がいて、玉砕は確実だろうなと思った。それでもあきらめきれずにいる気持ちに区切りをつけたかった。
蓮は少し緊張した面持ちで、ああ、そうなの、と言って。
オレ、今、付き合ってる子、いるし、とトドメを刺され。
知ってる、と返して、私はその場を後にした。
それからは大学受験に卒業式とバタバタして。中学の時とは違って、三学期は自由登校がほとんどだったし、今度こそ進路も違う。多分もうこれで本当にさよならだろうなと思っていたら、四月、大学の最寄駅でばったり会う羽目になった。本番には弱いタイプなんだよな、とか意味不明なことを彼は呟いた。
やっと踏ん切りがついたはずだったのに。
気持ちの持って行き場所がますますわからなくなった。
蓮は誰かと別れても、またすぐに誰かと付き合い始める。私はただそれを呆然と見ているだけ。なぜ、私がその一人になれないのか、その理由はわからないまま。
後腐れもなく、別れた後も彼女たちと親しくしているのも知っている。私が彼女たちと同じ立場なら、到底できそうにない。それに気付いて、もう一度、三度目の正直、とはいかなかった。思いにはふたをして、今までどおり、友人のまま。
他に好きな人ができれば、と考えていた時期もある。ちょっといいなと思った人もいた。でも、ダメだった。どうしても蓮と比べてしまう。蓮ならこうするだろう、蓮ならこんなことしない、と。
上機嫌な蓮が、できた、と両手に皿を持って移動してきた。ローストチキンに付け合わせのマッシュポテト。パセリが色合いを添えている。
「ん、いい匂い」
「あと、コーンスープね。ケーキも買ってある」
「ふふ、上出来」
思わず笑顔がこぼれてしまう。
結局、蓮とは腐れ縁のように、大学を卒業した今でも付き合いがある。蓮はそれなりにいい会社に営業マンで入り、私は小さい町工場の事務職。今日みたいに蓮が急に来たり、待ち合わせをすることも。
まだ気持ちには折り合いがついていない。かといって、また告白する気もない。なんとなく、もうこのままでいいか、と。今のままの方が、変に波風が立つこともない。時折、新しい恋人の出現に胸がざわめくけれど。
「ローソク買ってきたんだ。つけようぜ」
バラバラと出てくる、赤や緑のカラフルなアロマキャンドル。
「どれがいいかわかんなかったからさー。クリスマスっぽいのって、どれ?」
「さあ? まあ、赤と緑ならどれもいけるんじゃない?」
「ほら、好きな香りとかあるじゃん。おまえには縁がないかもしれないけど」
結局片付かずにゴチャゴチャしている部屋の中を眺め回して、ニヤニヤ笑われた。顔が急に火照ってくる。
「もう! 急に来るからしょうがないでしょ」
「事前に言ったって、たいして変わらないよ。どれがいい? ローズ?」
なんでもいい、と投げやりに言って、手近にあったローソクの包装を剥がした。何かの匂い付けはされているんだろうけど、食べ物の匂いに混ざって、あまりよくわからない。
蓮が順番に火をつけたのを確認してから、部屋の明かりを消した。オレンジ色の温かい光が部屋に優しく広がる。
「お、いいじゃん。ムードあるー。オレ、天才だな!」
早く食べよう、腹減った! と蓮がグラスを持ち上げた。カチン、と合わせ、咽喉に流し込む。シュワシュワと泡が口の中で弾ける感触が心地いい。
「んー、甘いな。いただきます!」
蓮は早速チキンに取りかかる。パンも少しだけあるよ、とさっき買ったものを机に置くと、蓮はすぐにビニールを開けて二つに割り、私の皿に乗せてくれた。
「もしかして、このパンが晩メシのつもりだった?」
質素すぎね? と言いながらパンを小さく千切って口の中に放り込む蓮。
「私一人だけのつもりだったんだから、いいでしょ」
「色気もないし、そんなだからオトコできないんだよ」
大きなお世話、と投げ返す。そんなことばかり言いに来たのか。よりによってクリスマスイヴに。
しばらく無言で食事を続けた。時折食器が小さな音を立てる他は静かで、なんだか居たたまれない。蓮と二人きりという状況を喜んでいいのか。早く帰ってほしい、 これ以上心にさざ波を立てないでほしいという気持ちもあって。
でも、食事は不思議とおいしかった。一人で食べるはずだったのが、たとえスーパーの総菜でも、少し温めて二人で食べることになって。その相手が蓮だということが、心の奥をほんのりと温めてくれる気がした。
「……なあ。おまえ、オレに言うこと、ない?」
おもむろに静寂を破ったのは蓮の方だった。
「言うことって?」
「好きです付き合ってください」
予想もしていなかった言葉にむせそうになる。対して蓮は平然として。
「違った?」
「……なんで?」
なぜそんな風に思うの? 頭の中が混乱してくる。
「別に今、そういうタイミングじゃないし、っていうか、なんでそんなこと思ったの?」
「だっておまえ、イヴになったら告ってきたじゃん。大学四年の時も告ってくるかなぁとか心の準備して待ってたけど、なかったし」
「別にイヴだから告ってたわけじゃないし、勝手に待たれても困るし。……っていうか、どういう流れで今告るとかそうなるの?」
「うーん? 今、オレ、フリーだから? いつでもOK的な?」
「意味わかんない!」
ムカッとした。来るもの拒まず去るもの追わずの中に自分も入れられた気がした。自分だけがそうじゃなかったことがあれほどいやだったのに。今は雑多なものになってしまったのか。特別じゃなくなった自分。蓮の中では、どうでもいい存在に。
「ごめん、今のは冗談っていうか……」
そんなに怒るなよ、とすまなさそうに小声で言って、咳払いをする。
「……正直、おまえの本当の気持ちが知りたいんだ。オレは、確かに、まあ、いろんな子と付き合ったけど、やっぱり、おまえのそばが居心地がいいっていうか……」
彼はどこか気まずそうに私から視線をはずして俯いた。
「おまえに初めて告られた時は、付き合うとかそういうの、まだ考えられなくてさ。自分でもガキだったなとは思うんだけど、他の女子と一緒にいるところを見たら、どんな反応するのかな、とか思ったんだ。でもおまえは華麗にスルーするし。ああ、そんなものだったのかな、とか思って」
「そんなもの?」
「……あー……なんていうか……そんなに、好かれてなかったのかな、みたいな……?」
歯切れの悪い物言いで、最後の方は消え入りそうな声になった彼に、私は深く大きなため息をついた。
「……そんな風に思われてたんだ」
「だって、おまえ、それから何も言ってこないし。でもその後、高校に入ってからは普通に接してくるし、いろんな子と付き合っても反応ないし、よくわかんなくなって。
で、高三の時にまた告られて、うれしかったけど、おまえは返事聞かずにすぐ帰っちゃうし」
「返事って……あの時、他に付き合ってる子がいるって、蓮、言ったじゃん。だから、フラれたんだと思って……」
あー……と彼は頭を掻いた。眉を八の字にして情けない表情を浮かべている。
「うん、まあ、確かに、付き合ってる子はいたけど……ちゃんと考えるから待ってくれって言うつもりだった。なんていうか……居心地が良すぎて、友達じゃなくてカノジョにするっていうのが違和感あるっていうか……うまく、言えないんだけど」
うん、と私は頷いて先を促した。
「おまえとは、変わらずにいたかった、というか。まあ、そんな感じだったんだよ。だから、大学に入ってからもおまえが何にも言わずに一緒にいてくれて、遊んだりするのが楽しくて、これでいいと思ってたんだけど……」
「……?」
「……ずっと、クリぼっちじゃん、おまえは」
「うん?」
「大学入ってからの四年間と、大学卒業してからの三年も。……実は、オレが邪魔してたっつーか……」
「……は?」
「いや、えーと、その……おまえが、他のヤツのモノになるのが嫌だったっていうか。だから、おまえと付き合いたがってたヤツがいたんだけど、さりげなーく妨害してた」
思わず唖然とした。ポカンと口を開けたまま。続けざまに繰り出される予想もしていなかった衝撃の告白に、思考が追いつかない。
「んでまあ、やっぱり、おまえが毎年クリぼっちでいると安心するっていうか。オレがいないとおまえがクリぼっちになるっていうのがなんか気分良かった。んで、今日もやっぱりクリぼっちでいるおまえを見て、ほっとしたみたいな。やっぱり、オレはおまえと一緒にいたいみたい」
まだ呆然としている私に、ちゃんと聞いてる? 大丈夫か? と、いつになく優しい声音で蓮が問いかけてくる。私はひとしきり目を瞬かせた。
「……そういうの、蓮、ズルくない?」
「はは。だね、ズルい。そういうオレは、ダメか? もうオレのこと、何とも思ってない?」
「そういうとこも、ズルい」
しょうがないなぁ、と笑いながら言おうとして。
ポロポロと涙がこぼれ落ちた。あれ? と私が言うより早く、蓮にぐいっと腕を引っ張られ、次の瞬間には私は蓮の腕の中でぎゅっと抱きしめられていた。
「……ごめん、泣かすつもりじゃなかった」
「うん、私も、泣くつもりじゃなかったんだけど……どうしよ、止まんない」
えへへ、と照れ隠しに笑おうとしたけどうまくいかず。代わりに涙声になった。
「今更感ハンパないとは思うんだけど。十年前の告白の返事、やり直していい?」
「うん。……うん、いいよ」
しがみつくように、ぎゅっと蓮の体に腕を回して。彼の体のぬくもりを感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。
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画像はpixabayよりralfor様のものをお借りしました。
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