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メギド72の最強カップル特仲さんの表現について文系ソロモンが考察したい

ソロモン王の皆さん!メギド72、楽しんでますか?
今回はめでたく特仲両方実装されて、そして私の成績が出たのでS取ったメギドのレポートの内容を加筆修正して公開しようと思います。
メギド、テキストとして形態が綺麗なので考察しがいがあって楽しく書けましたね。まだまだ学生という素人なので至らぬところ多々あると思いますがお付き合いいただけると嬉しいです。


皆さんご存知でしょうが一応体裁を保つために基本的なことも書いておきますね。メギド72とは、世界の滅びである「ハルマゲドン」を回避するため、メギドと呼ばれる悪魔を使役する少年が旅をするというスマートフォン向けアプリゲームです。
本記事ではメギド72のストーリーの中でも、サタンとベルゼブフというキャラクターの「特別な共感性」において、表現効果の一つである「視点」がどのような効果をもたらしているかについて考察していきたいと思います。
前提として、これは一個人の考察であり、着地点が2000字前後のレポートとして綺麗に収まるように書いたので、界隈全体を代表する意見では無いことをご了承ください。
また、内容的に9章加入キャラクターから最新話付近までのネタバレを含むため、未読の方はご注意ください。



前置き



本作におけるサタンとベルゼブフはメギドの世界における、対立する二人の権力者です。現在は断絶されている二人ですが、かつては平和協定を維持するための同盟、大罪同盟に与みしていた過去があります。当時ベルゼブフはメギドが人間の体を模倣することで発生する、利害関係を超えてお互いを最優先させる感情である「特別な共感性」を獲得するための相手としてサタンを勧誘し、二人で人間の体を模倣して特別な共感性の獲得を目指していました。しかし、同盟の一人であり当時は(メギドラルでは)人間の体を模倣していないアスモデウスにとって二人は軍事的な同盟を組んだ、大罪同盟の均衡性を蔑ろにしたと見えていたため、アスモデウスはベルゼブフを同盟から追放してしまいます。サタンとの仲を引き裂かれたベルゼブフは敵対存在である妖蛆に捕まり、夢の中でサタンの姿を模した敵に殺され続けた挙句に精神が崩壊し、次に現れる時は主人公に敵対する存在として現れることとなります。

本作においてこの二人の関係が大きく取り扱われる場面は代表して二つあります。一つ目は前述した二人が同盟に組みしていた時代の回想です。9章のアスモデウスとソロモンがルシファーの記憶を覗くところです。
もうひとつは、ルシファーをプレイアブル化すると見ることの出来るルシファーのキャラストーリーです。特仲関連CPのpixiv百科にも書いてあるルシストさんです。
これは、特別な共感性の発生には身体的な性別と性行為、繁殖の有無が関係するか、という議論で仲違いをした二人を仲裁するため、ルシファーが色々なキャラクターに話を聞く話となっています。凹凸凹凸のやつですね。

この二つの話に共通しているのは、当事者であるサタンとベルゼブフでは無い視点で話が展開していくという点です。


9章回想

メギドは地の文がないテキストなので分かりにくいですが、少なくともこのふたつの話は視点がはっきりしています。一つ目の話では、同盟当時はメギドの体であったアスモデウスがメギドラルから追放されたことによりヴィータとなり、人間的な視点を身につけた状態でソロモンと過去の出来事を俯瞰する構図となっています。
当時は友人であったベルゼブフがサタンを最優先させたことに憤りを感じていたアスモデウスが、二人の間に友情や利害関係より優先すべき何かが芽生えていたことを理解し、過去の行動によりベルゼブフが蛆に付け込まれたことを自身の視野が狭かったと認めます。しかし、アスモデウスは特別な共感性を認識はしてもそれは弱みを作ることと同義として否定的な立場をとっており、彼女自身は相手に頼らない個としての自我を強調しています。Burning in Caosの歌詞にも特仲牽制みたいなところがありますね。
よって、二人の間の感情を中心として動いた出来事の回想にも関わらず、特別な共感性が何かはアスモデウス(と、事情をよく知らないソロモン)の視点からは詳しい内情がわかりにくいです。

ルシファーキャラスト


二つ目の話では、ルシファーの視点で特別な共感性の考察を行うものとなります。ルシファーの結論が出る前に二人は協議の末どちらの意見も正しいということで現状は終結させ、その時がきたらまた方法を考えるということで同意しています。そして、ルシファーの下す結論も要項を加えたものの見方は必ず偏るため、この議論に結論を出すことは許さないというものでした。
この話はルシファーは部外者として理詰めで結論を導き出しましたが、それは二人が出した結論と同じであったという結末です。
ルシファーはメギドの社会の中で対立する議論が起こった時に裁定を下す裁定者という役割を担っており、アスモデウスと違い二人の関係を極めて客観的に平等に考察しています。それゆえ、部外者ということも相まって当事者の感情に踏み込むことなくロジカルな思考で物語は進行していきます。二人の関係に感情移入する隙が与えられないほど、読者に当事者意識が芽生えない構造であると言えるでしょう。感情移入がやりにくい構図で物語が展開しているということですね。

まとめ

他にも、本作では二人の関係や特別な共感性について他者が言及する時も「愛」や「特別な仲」といった曖昧な表現が用いられています。二者間に発生する感情という極めて主観的な事象を取り扱うにも関わらずそれが具体的に友愛の上位互換なのか、恋愛感情なのか、赤子が母親に抱くような未分類・未発達の漠然とした大きな好意なのか、それらよりも大きなまだ名前のつけられていない未知の好意なのかがわからないように描写されています。

それこそが特別な共感性において当事者の視点が使われず、部外者が観測した二人の関係という形で描写される理由なのではないか、と私は考えます。
特別な共感性において説明するとき、当事者の視点が使われないのは、サタンとベルゼブフの特別な共感性は二人の間で完結しておりキャラクターや主人公、それを操るプレイヤーすらもそれの痕跡を観測することしかできないという状況を作り出すことで、二者間にしか観測し得ない感情を表現しているのではないか、と私は思いました。楽園と同じように、お互いを完璧に理解できるのはサタンとベルゼブフの二人だけ、そこに介入する余地を敢えて無くす表現技法を使うことが特別な仲という関係を構成するテキストの技法のひとつでは無いのかなと私は考えます。


蛇足

これはコシチェイのプレゼンをそのままレポートにしていいよ〜と言われたのでそのつもりでいたら、歪イベントで脳みそをじゅっとされ(ティアマト推しソロモン王)、コシチェイがまともに見れなくなったため急遽書いたレポートだったりします。おのれメギドラル、おのれコシチェイ……。

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