なんちゃって労働者であります。
かれこれ5年くらいかけてなんちゃって労働者になりました。
人生わからないもので、何者でもなかった自分もやっとこさなれました。
「なんちゃって」労働者ってなんなのか
そもそもなんちゃって労働者ってなんなのか、具体的に説明すると
自分は基本的にデザインやWebサイトのフロントコーディングでお仕事を発注していただいています。
一度も就職したことがなく、流れで勉強し流れでお仕事をいただくようになり流れでここまで続いております。
それなりに時代の流れには敏感で、色々な書籍や色々なネット上の会話などをのぞき見し就職して独立した〜、デザイン系の大学出た〜人と勝つことはなくとも並ぶ程度のものはきちんと作ってきた自負があります。
業界ですごいとされるお名前だけで何百万円な方達を尊敬しながら、なぜこの仕事が存在するのか、自分はなんのために働くのかなども自分なりに一生懸命模索しながらやって来たとも思います。
ですがやっぱり経験不足、知識不足が補えない場面が出てきました。
「君のやっていることは君の思っている価値の何分の1、何十分の1だ」
「君のやっていることは価値をつけづらい」
その人のやっていることには価値があるからそれをやれと言われてしまいました。
僕は価値のことを何も知らない「なんちゃって」労働者だと言われてしまいました。
おもちゃの冠をつけていると言われてしまいました。
本当の価値とはなんなのか
学生時代(高卒)は割と頑張って勉強していてわからないことはできるだけ内容な生活を送っていました。友人もいたし、部活動でも役職などを行ってそれなりに頑張っていたと思います。
本当はその頃から気づいていたことがあります。
「価値」は嘘で固められたものとそうでないものが存在するのです。
適正な価値、価格というのは所詮偽善なのです。
相手がわからなければ何倍、何十倍もの金額で毟り取っても構わず、それが相手の尊厳を損なうとしても真剣に取り合う必要などないのです。
その人たちは多くが相手を自分とは関係のない人間だからと言うのです。
中身のない空っぽなお金を持って現れた人形だと人形のような人が言うのです。
所詮何が本当に役に立つのかを何時間、何日かけて考えるよりも
適当な口車やわからないことは適当にごまかして、何倍にも膨れた請求書を2枚送りつけることが労働者としての尊厳を与えられる条件なのです。
労働とはなんなのだろう
もちろん労働を行っている人がみんなそうだと思ってはいません。
僕と同じような「なんちゃって」労働者の不安を掻き立てたい訳ではありません。
労働とはなんなのかを知るために僕は僕のために書いているのです。
適当に考えて適当に答えを出して労働者になりたい訳ではないから書くのです。
与えられた仕事がお金に代わり、ご飯を食べ、服を買い、年をとるそのサイクルにせめてもの意味が理由が欲しいのです。
どんな仕事だってどこかで人に向けられているのではないかと思うのです。
エディターを開いてCSSを書いている時でも、画像を圧縮している時でもその工程はきっとどこかの誰かのために行っているのだと思うのです。
本当にお金だけ考えればいいのでしょうか。
本当にお金だけを考えていないことに価値はないのでしょうか。
本当にそれで労働ができるのでしょうか。