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世界平和について

こんにちは。東京の11月は暖かく、昼間は太陽のありがたさを実感させてくれます。

この季節でも最高気温が30度を超えるカタールでは、今週、ワールドカップが始まりました。4年に1度の、サッカー世界一を決める大イベントです。サッカー好きはもちろん、そうでない人も、みんなで観戦し、勝利の喜びを、敗北の悔しさを共有することができます。

私はここに、世界平和という夢を見ました。世界中の国々が参加し、良いプレーが出れば敵味方関係なく褒め讃えることができる。会場は一体となって盛り上がっている。素晴らしい空間です。

一見すると良いことだと感じます。しかし、足りてないこともあると考えています。まずはサッカーに限られるという点です。サッカーというスポーツをプレイし、それを見るという点において人々は団結しています。真にスポーツを楽しめる人であれば誰もが、プレイの真剣さとそこに至った努力とじょうねつを感じ、楽しむことができるでしょう。ただ、それをわからない人もいるかもしれませんし、サッカーは分からないという先入観を持っている人もいるでしょう。「世界平和」と呼ぶにはスケールが足りないのです。

次に、映像を見られる人が限られているという点です。もちろん、現地に行くことができる人は、言語や仕事や金銭などの理由から限られるのは仕方ないでしょう。でも世界にはテレビを通じてすら映像を見られない人もいます。そうなると、感動を共有する難易度が高くなります。つまり、情報の格差があるのです。

ワールドカップは素晴らしい大会です。人々に感動と勇気をもたらしてくれます。しかし、世界平和とはそもそ種類が違うと考えています。他人から与えられたものだとどうしても格差が生じてしまいます。興味の差もありますし、情報の差もあります。だから、自分の中に他人への博愛を見出さなければなりません。私もまた、ワールドカップを理由に遅くまで起きていられることを楽しんでいます。

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