俗と聖
こんにちは。テレビを点けたら放送していた番組が面白かったので、それについて書いていきたいなと思います。
番組名は分からないのですが、NHKでエリアーデ哲学について話している場面でした。エリアーデ哲学なるものが何なのか、さっぱりわかりませんが、世の中には「聖」と「俗」に分類されるものがあるようなことを言っていました。
ここでおもしろいと思ったのは、俗は日常の普通のことだというのはそれほど異論がないと思います。聖について、何か神聖なもの、神様とかなのかと思われます。しかし、そのようなものだけでなく、私たち自身が特別だと思うものを聖と呼ぶそうです。
その番組で紹介されていたのは、出演者の方の推しのアイドルはまさに「聖」だし、趣味としての古本なんかも「聖」と考えるそうです。つまり、人か物かにもよらず、ただ私たち自身がどう思うかによって聖なのか決まるということでした。そして、聖とは自分とは遠いものであるため、手が届く範囲にはむしろ来てほしくないとも思うようです。アイドルの例では、ステージを眺めるのは良いが、恋人にはなりたくないといった感じです。
また、聖と俗はどちらか一方でもだめで、両方あることで聖の価値が高まるとのことでした。例えば、毎日がお祭りだったらどうでしょうか。途中から飽きてくるでしょう。これは、お祭りが最初は「聖」だと考えられるものであったのが、身近になりすぎて「俗」と考えるようになったからだそうです。
この聖と俗は、普段の生活によく当てはまるな、と感じたのです。
私たちは仕事とか勉強とか家事とかいろいろやらなければいけないことがあります。その中で時間を見つけて自分の好きなことをしています。忙しい仕事の中で、休日にのびのびと趣味をすることができる。その時間はほんの僅かですが、とても楽しいと思いませんか。普段のやらなければいけない雑事があるからこそ、自分の好きなものがより一層輝くのです。