セスク・ファブレガス
一番好きなサッカー選手は?
サッカー好きの後輩と飯を食べながらこんな話題になりました。
思い当たる選手がたくさんいてかなり悩みましたが、今私が選んだのはスペイン人フットボーラー【セスク・ファブレガス】でした。
ゲームをコントロールする彼のプレイスタイルも当然好きなんですが、彼の歩んできたストーリーが好きなんです。
なので、勝手に紹介させて下さい。
幼少期~FCバルセロナ下部組織時代
幼少期から自然とサッカーボールを蹴り始め、10歳の時に地元クラブで11人制サッカーを本格的に学び始めたセスク少年。(本名はフランセスク・ファブレガス・ソレール)。当時からポジショニングと戦術眼に長けていたそうです。そのプレイがすぐさまFCバルセロナの目に留まり、11歳でFCバルセロナのカンテラ(下部組織)でのプレイが始まります。
FCバルセロナでもすぐさま頭角を現し、数々のタイトルを獲得します。
セスクが所属した時代の87年組と呼ばれるチームは、バルセロナのカンテラ史上最強のチームを言われているチームです。
このままFCバルセロナとプロ契約して活躍していくとものだと誰もが思っていた矢先、2003年、16歳の時にイングランドプレミアリーグの名門アーセナルとの契約を発表。当時のアーセナルの監督はアーセン・ベンゲルです。
契約後、発表前に出場してU-17世界選手権ではMVP・得点王を獲得。
あらためてベンゲルの若手選手を見出す目は本物でした。
当時のバルセロナでは様々なチーム事情や当時の監督の方針などで、どんなに有望な選手でもカンテラからプロ契約を結ぶのはかなりの狭き門だったですです。セスク本人もかなり悩んだと思います。プロフットボーラーとしての未来を考えた時に、アーセナルからのオファーはかなり魅力的なものだったはずです。その契約はトップチームと直結する契約。ユースチーム所属ながら早々にトップチームの練習に参加していたそうです。
アーセナル時代
プレミアリーグの名門アーセナルは当時無敵の強さを誇っており、49戦無敗を記録したり、2002-2003シーズンは無敗優勝を飾っている。
ベンゲルの手腕や優秀なクラブ経営があったのはもちろん、今見ても素晴らしいメンバーが揃ってるチームでした。
そんな中でも新加入のセスクは早々にチームに順応し、順調に主軸選手に育っていき、16歳177日でカップ戦デビュー、加入翌年にはリーグ戦デビューを飾っています。
2007年、20歳の時にはキャプテンに指名され、名実ともに中心選手に、そしてプレミアリーグを代表する選手になっていきました。
スペイン代表では、スイス・オーストラリア共同開催のEURO2008に出場し優勝、2010年の南アフリカW杯でも中心選手として優勝を飾っています。
まさに選手として絶頂期でした。
2011年、この絶頂期にアーセナルに別れを告げ、古巣のバルセロナに移籍を決断します。
バルセロナ復帰
2011年に憧れのグアルディオラが率いるバルセロナに移籍。古巣への復帰を飾ります。アーセナル時代には主にセントラルミッドフィルダーでプレイしていたセスクですが、バルセロではシャビの代役に加え、ブスケツが務める4番のポジション。そしてトップ下やセンターフォワードでも起用され、どのポジションも見事にこなしていき、見事に期待に応えていきます。
在籍時にはリーガのタイトルやカップ戦のタイトルも獲得。クラブワールドカップも獲得するなど、アーセナル時代にはクラブでのタイトルに恵まれなかったセスクがクラブタイトルを獲得します。
夢にまでみたバルセロナでのプレイ。このままバルセロナでプレイを続けていくんだろうなと思っていましたが、僅か3年でバルセロナでの生活を終え移籍を決意します。
移籍先はまさかのチェルシー。「プレミアリーグに移籍するなら選択肢はアーセナル」と発言していただけに、同じロンドンに本拠地を置くチェルシーへの移籍は驚きでした。
チェルシーFC
憧れのグアルディオラの元、幼少期を過ごしたバルセロナ。アーセナルでの名声を捨てて、あれほど熱望したバルセロナへの復帰でしたが、僅か3年で移籍を決意します。この移籍の真意の程はわかりませんが、チェルシーへの移籍は当時驚きでした。グアルディオラとの関係や、古巣アーセナルからのオファーが届かなたかったなど様々な話しがありますが、モウリーニョ率いるチェルシーFCへの移籍は結果的に大成功だったと私は思います。
ポジションはボランチやセントラルミッドフィルダー。アーセナル時代のプレイスタイルを彷彿とさせる華麗なゲームメイク。リーグトップのパス成功率とアシスト数。そして念願のプレミアリーグタイトルを2度獲得。
個人的にはやはりこのポジションでのプレイが一番似合っていると感じたし、セスク本人も一番しっくりきている様に見えました。
セスク自身も恩師に挙げる監督に、ベンゲルとモウリーニョの2人を挙げているそうです。
この時期のプレイはまさにチームの中心。ゲームを支配していた。
充実の4シーズンを過ごしたチェルシーに別れを告げ、2019年にフランスのASモナコへの移籍を決意します。
ASモナコ
2019年から3シーズン過ごしたモナコでは、負傷の影響もあり68試合の出場で4得点9アシストに終わっている。
2022年現在、ASモナコとの契約を終了し、現在フリーの状態。
スペイン2部のチームへの移籍話しやセリエBのチームと契約など、様々な情報がありますが、ファンとしてはまだまだプレイを続けてほしいです。
願わくばJリーグのチームが獲得に乗り出してほしいなとの希望もあります。
身長も180cmで当時のプレミアリーグの中でも体格的には決して恵まれてるわけではなかったセスク。華麗なドリブルやフェイントを持っているわけでもない。それでもプレミアリーグ屈指の選手に上り詰めたセスクがもっていたのは、ボールを止める・蹴るのサッカーの基本。そして常に最適な場所を嗅ぎ分けるポジショニング。また、様々な監督の要望に応える戦術眼。
一見すると難しい事は全くしていない様に見えるプレイスタイルは、常に周りの状況を確認し最適なポジションでボールを受け、次のプレイに確実に繋げる場所にボールを止める。そして、相手が一番嫌がる所へ的確なパスを送る。まるで自分だけ空からグランド全体を見ているかのように。
そして、ペナルティーエリアの中に僅かなスペースを見つけ、パスを呼び込みゴールをゲットする硬骨さ。
体系的には平均的な日本人のサイズと変わらないセスク。
日本でも世界で通用する選手を育成するにあたり、セスクの様なプレイスタイルの選手育成に力を入れてみてわと思います。
かつてJリーグのお荷物クラブの名古屋グランパスを強豪チームに変貌させ、
セスクのアーセナル移籍の約1年前に、当時ガンバ大阪でセンセーショナルな活躍をしていた稲本潤一をアーセナルへ連れていったベンゲル監督。
日本サッカー界との関わりが強いベンゲルが獲得を熱望したセスク。そんなセスクに勝手に親近感をもち、そんな彼の物語を応援していました。
小学校4年生から高校3年生までサッカーに全てを捧げてきた私ですが、
セスク・ファブレガスの様にゲームを支配する選手になりたかったです。
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