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M1チャンピオンたちは、なぜ今、「解説」という形を選んだのか。
正直に告白すると、私はそれほどお笑いに詳しい方ではない。年末のM-1グランプリは年末の恒例行事のひとつとして欠かさず見ているものの、普段から漫才を追いかけているわけではない。それでも最近、気になる変化が二つある。
一つは、M-1チャンピオンたちによる漫才解説の広がりだ。刊行時の記者会見で、2023年末に優勝した令和ロマンのくるまは「2025年5月までの賞味期限」という言葉を口にした。著書「漫才過剰考察」の刊行に際してのインタビューでは、YouTubeを入り口に若い世代に漫才を知ってもらいたいとも語っている。一方、2008年の王者NON STYLE石田は、10月末の記者会見で、10年以上温めた分析を「答え合わせ」として本にまとめた理由を語った。「10年後には間違っているかもしれない」と前置きしながら。実際、最近では書籍だけでなく、YouTubeでもお笑い芸人自身によるネタ解説を目にすることが増えてきた。
もう一つは、2024年のM-1から松本人志が審査員を務めないという変化。これは一つの転換点と言えるだろう。
この二つの変化は、私のようなお祭り気分の視聴者にも、何か新しい意味を投げかけているように思える。
年末の風物詩としてのM-1は、不思議な魅力を持っている。お笑いファンでなくても楽しめる一大イベントとして、すっかり定着した。誰もが知っているコンビから無名の若手まで、4分間の真剣勝負に一喜一憂する。家族それぞれの優勝予想も、すっかりお決まりのイベントだ。
そんな「お祭り」に、チャンピオンたちが新しい味わい方を提案している。インタビューでくるまは「YouTubeなどを入り口にして、この人たち漫才っていうものもしてるんだ、と知ってもらって劇場に足を運んでもらう」と語る。石田は記者会見で「本当は僕が皆さんと一緒にM-1を観るイベントをやりたいくらい」と明かす。
面白いのは、二人とも「正解」を示すのではなく、むしろ変化や不確実性を率直に認めている点だ。「賞味期限」や「10年後には違うかも」という言葉は、お笑いという芸能の本質を垣間見せているようにも思える。
しかもくるまは、石田の本を読んで自分の本を「数カ所、書き換えた」という。チャンピオン同士でさえ、互いに影響し合い、考えを更新していく。単なる技術の解説ではなく、お笑いという芸能をより深く味わうための対話が始まっているようだ。
それは、私たち視聴者にとっても示唆的だ。映画やドラマを観た後に、監督のインタビューを読んだり、メイキング映像を観たりするように、作り手の視点や思考を知ることで、作品の新しい側面が見えてくる。お笑いでも、同じことが起きているのかもしれない。
2024年のM-1は、確かに一つの転換点を迎える。しかし、お祭りとしての本質は変わらない。ただ、その楽しみ方は、少しずつ、でも確実に広がっていくのだろう。チャンピオンたちの言葉が、そんな予感を運んでくる。