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迂回する生き方


私たちは、ずっと「上がり続けること」を求められてきた。学歴、年収、役職...。でも、人生100年時代って、実はその「上がり続ける物語」が通用しない時代なんじゃないか。

20代でバリバリ働いて、30代で管理職になって、40代で役員...。そんなサクセスストーリーは、人生50年時代の遺物かもしれない。だって、仮に40代でキャリアのピークを迎えたとして、その後の60年って何なの?ただただ「下り坂」を転がり落ちていくだけ?

それって、なんだか切ない。

でも、ちょっと待って。

浅田彰が『逃走論』で描いた「スキゾ・キッズ」たちは、まさにそんな「上昇志向」という価値観自体から、スルスルと抜け出していった。彼らは「勝ち負け」の世界から「逃走」した。それは単なる「負け組」になることじゃない。そうではなく、勝ち負けという座標軸自体を無効化してしまうような、クレイジーでポップな生き方だった。

実は、この「スキゾ的な生き方」って、人生100年時代を生きる私たちにぴったりなんじゃないか。

例えば、こんな風に考えてみよう。

山登りって、頂上を目指すだけが楽しみじゃない。途中の景色を眺めたり、山小屋で出会った人と話したり、時には道に迷ったりする。その全部が山登りの醍醐味だ。でも、私たちの人生観は、どういうわけか「頂上制覇」だけにフォーカスしすぎている。

「人生の下り坂」って、実は新しい景色との出会いかもしれない。体力は落ちるかもしれないけど、その分、ゆっくり歩くようになって、今まで気づかなかった路傍の花に目が留まるようになる。仕事での影響力は減るかもしれないけど、その分、若い人の話に耳を傾ける余裕が生まれる。

これって「衰退」なの?それとも「変化」なの?

実は、私たちの脳は「上がる」「下がる」という単純な二元論で物事を捉えがちだ。でも、現実の人生ってもっとトリッキーで、もっとファンキーだ。今日は「上がって」るように見えて、実は「下がって」るのかもしれない。あるいはその逆かも。

浅田彰が言うように、それは「リゾーム(地下茎)」的な広がり方かもしれない。地上では縮んでいるように見えても、地下では予想もしない方向に新しい芽を伸ばしている。そんな「見えない成長」の可能性を、私たちはもっと信じていいんじゃないか。

人生100年時代を楽しむコツは、この「上がり下がりがわからない状態」を楽しむことかもしれない。それは、スキゾ・キッズたちが社会の価値観からすり抜けていったように、「成長」や「衰退」という既存の物語からすり抜けていく技術だ。

例えば、こんな風に:

  • 今日は若い同僚に新しいアプリの使い方を教えてもらった。昔の自分なら「部下に教えてもらうなんて...」と思ったかもしれない。でも今は「へぇー、そうなんだ!」って純粋に学ぶ楽しさがある。

  • 趣味で始めた水彩画。下手くそだけど、空の色を塗るのが妙に心地いい。「うまくなろう」とも思わない。ただ、筆を動かす時間が好き。

  • 退職後に始めた地域の読書会。誰も肩書きなんて気にしない。ただ本の話に花が咲く。

これって「衰退」?それとも「進化」?

答えはどうでもいい。大事なのは、その曖昧な状態を楽しめることだ。

かつてのスキゾ・キッズたちが、既存の価値観から「逃走」したように、私たちも「成長か衰退か」という二元論から逃走できる。それは、100年という長い時間をより豊かに生きるための、しなやかな知恵になるはずだ。

結局のところ、人生って「右肩上がり」の直線じゃない。むしろ、ドゥルーズとガタリが言うような「リゾーム」的な広がりを持つ。地上では目立たなくても、地下では思わぬ方向に新芽を伸ばしている。そんな「見えない成長」の可能性を、私たちはもっと信じていていい。

だから、「下り坂」を恐れる必要はない。それは単なる「衰退」じゃなく、新しい景色との出会いかもしれない。大切なのは、その瞬間瞬間の変化を、好奇心を持って観察すること。そして、その変テコな時間を、まるごと楽しむこと。

それこそが、人生100年時代を生きる私たちの、新しい「逃走」の形なのかもしれない。

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