伝説のギタリスト

 その噂を教えてくれたのは、同じ大学に通う同級生の友人だった。チェーン店の居酒屋で、ゼミ合宿の打ち上げと称して2人で飲んでいた時だった。

 「バックケリーのギターを聴いたが最後。もしも今の世界が気に入ってるんなら絶対に聴かない方がいい。問答無用で異世界へと引き込まれるからだ」

 梅酒ロックをもう6杯も飲んでいるその友人は、いつもは寡黙なのだが、酒が入ると決まって饒舌になる。「また始まった」と鼻で笑いながらも「異世界」という言葉が何となく気になった。

 「異世界ってなんだよ?バックケリーなんて名前、聞いたこともないぞ」

 「偉大で異端なギタリストだ。俺もまだ聞いたことはないんだが、この前、軽音の先輩が教えてくれたんだ」

 「その先輩は聞いたことがあるのか?」

 「ああ、俺に教えてくれた時、もう2週間くらい前のことだけど、明後日バックケリーのライブに行ってくるって言ってた」

 「ふーん。で、異世界には無事に行けたのか?その先輩は」

 「さあな。最近、音信不通なんだ。異世界に行ったのかどうかなんて確認のしようがない。でも俺は、行ったと思ってるね。それまでこまめに連絡取り合ってた相手が何にもないのに急に音信不通になったりするか?何かあったと考えるほうが自然だろ?」そう言って友人は筍の佃煮をヒョイと口に頬張り、美味しそうに咀嚼した。

 「どうかな。実際ライブに行ってみたけど、期待外れでショボかったのかもしれないぞ。異世界だなんて吹聴した手前、お前に合わせる顔がないだけじゃないか?」

 「ったく、夢のない奴だなー」と友人はジョッキに残っていたビールを飲み干し、近くを歩いていた店員に「あ、同じやつね」と注文した。

 僕はライムチューハイを飲みながら、どうも胡散臭い話だな、と思ったが、やっぱり「異世界」っていう言葉に何となく魅かれていた。

 その後も、友人は最近売れているアイドルの事や、お気に入りの車の話など、途切れることなく話し続けていた。僕は適当に相槌を打ちながら友人にバレないように、スマホで「バックケリー」を検索してみた。思った以上にヒット件数は少なく、ホームページすら見あたらない。そのほとんどは「ライブに行った友達が帰ってこない」とか「バックケリーと共に消えた姉を探しています」などの記事で、ますます胡散臭さを感じる。

 それらに紛れて「バックケリー ライブ情報」なるページを見つけた。興味本位で開いてみると、ライブの日時と申し込みページへのリンクが貼り付けてあるだけの質素なページが表示された。と、思ったら友人から急にスマホを手渡された。画面を見るとデレデレ嬉しそうに笑った友人と、他のゼミ仲間数人とが映った写真が表示されている。

 「これ。これ見てくれよー。実は、この前のゼミの飲み会の時、ついにカオリちゃんと写真撮れたんだ。いいだろー。ん?なあ、おい、なに怖い顔してんだよ。ヤキモチやいてんのかー?」

 「あ、ああ。なんでもない。おお、よかったな。いいなー」そう取り繕いながら、僕は自分のスマホに表示されている直近のライブの申し込みボタンを押した。その瞬間、目に見えない大きな時計が、カチリ、カチリ、と音を立てて、ゆっくり動き始めたような、そんな気がした。

 

 そうして、今、僕は、ライブが行われる会場で、緊張とワクワクが混ざったような感情で、バックケリーの演奏が始まるのを待っている。そこは小さなライブハウスで、客は僕を含めて20人くらい。彼らも僕と同じ様に「異世界」という言葉に惹かれて来たのだろうか?スタッフも数名いるが、フードを深く被っていて、顔はよく見えなかった。これも演出なのだろうか。

 と、ステージがスポットライトで照らし出された。いよいよライブが始まるようだ。ライブハウスの中が、神聖な静寂に包まれたような感覚になった。

 お待ちかねの人物が、静かにステージ上に現れた。ゆっくりと音もなくステージの中央へと歩いている。会場スタッフと同様、バックケリーもフードを深く被っているため顔は見えない。スポットライトで照らされていても、俯いているため、彼がどんな顔をしているのか見ることができなかった。

 バックケリーは、ステージ上でスポットライトを浴びたまま、ただ静かに佇んでいた。まるで何かを待っているようだった。僕はじれったくなって、待ちきれなくなって、ステージへと、ゆっくり近づいていった。どうしても、彼の顔が見たかったのだ。ギリギリまでステージに近づき、バックケリーの俯いた顔を、フードで隠された顔を、下から、のぞき込んでみた。

 顔を見た瞬間、全身に怖気が走った。

 そこにあったのは、バックケリーの顔があるべき場所にあったのは、目も鼻も口も耳もない、ツルツルの物体だった。「ひっ」と僕が思わず声をあげた途端、深く被っていたフードがズレて、バックケリーの頭が露わになった。そこから表れたのは、水晶玉のような物体だった。スポットライトの光をキラキラと反射させ、ライブハウスの中を薄暗く照らし出している。

 これも何かの演出なのだろうかと思ったが、あまりにも不気味だったため、仲間を求めるように、他の観客の方へと目をやった。その瞬間、僕は自分の目を疑った。そこにいる観客、すべてが僕だったからだ。顔も性別も年齢も異なるが、直感的に、「こいつら全員、僕だ」と分かった。

 「ここは」と、壁際に佇んでいたフードを目深に被ったスタッフの1人が歩み出て、話し始めた。「平衡世界、いわゆるパラレルワールドの合流地点です。この銀河を統括するスーパーコンピューターの指示の元、宇宙全体の均衡性を保つために、各パラレルワールドに存在する魂のシャッフルを定期的に行っているのです。もちろん、その都度、新たな記憶の書き換えも行われます。実は、これまで何度もあなたは魂のシャッフルをご経験なのですが、覚えておられないのは、その為です」

 「パラレルワールド?コンピューター?シャッフル?」なんだそれは。

 「パラレルワールドに存在する“あなた“は無限に存在していますが、今回、スーパーコンピューターが考察した結果、ここにいる分の“あなた”達の魂をシャッフルすることとなりました。バックケリーの奏でる音楽はパラレルワールドの扉です。“あなた”の魂は彼のギターの振動に乗り、異世界へ移動後、別の“あなた”の肉体を得て、そこで新たに生活を続けて頂くことになります」

 「な、なに言ってんだ?何のことだか訳が分からない!」

 「あなたはシャッフルの時期を迎えたのです。『異世界』という言葉に強く意識が向いたことが、その証し。ここに来たら消えてしまうかもしれない、行方不明になった人もいる、という色々な噂があったにも関わらず、あなたはここに来ることを選んだ。それは、肉体が感じる恐怖よりも、魂が望む力の方が強いことの表れ。ご自分では気付いていないのでしょうが、あなたの魂は、異世界への旅立ちを望んでいるのです。自らの成長のために」

 もしかしたら僕は、カルト宗教の集会にでも紛れこんでしまったのだろうか。救いを求めるように、ステージ上へと目をやった。訳の分からない目の前の現実の答えを求めるように、バックケリーの顔を、もう一度見た。

 すると、そこには、ハッキリと僕の顔が映し出されていた。バックケリーの顔は、水晶玉は、まるで鏡のように、驚いた表情をしている僕の顔を映し出していた。

 すると突然、キーン、と、ひどい耳鳴りがして、次の瞬間、とてつもなく強い力で、頭から全身が吸引されるような感覚になった。身体の中から何かを吸い出されるような、そんな感覚だった。助けを呼ぶことも、叫び声をあげることもできなかった。バリ、バリバリという静電気が弾ける音と共に、僕の中にあったいくつもの記憶、思い出が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。

 そうして、やがて、まるで舞台の幕が、ゆっくりと閉じるように、僕の、、、意識は、、、、、、






、、、、、、、。

、、、、、、、。

、、、、、、、。

 



 目を開けると、光の眩しさで思わず私は顔をしかめた。身体を起こそうとするが、なかなか思うように動かない。カーテンが風で揺れ、窓から暖かい日差しが入ってきている。

 見慣れない天井、ベッド、部屋。あれ?ここはどこだったっけ?私の頭は、まだしっかり働いてくれていないようだった。

 「シェリー、まだ寝てるの?学校に行く前に乳搾りだけお願いねって、昨日あれほど言ったでしょ!また遅刻するわよ!」

 1階からママが叫んでいる。「はぁい」と返事をしようとしたが、欠伸と一緒になってしまい、うまく声にならなかったので、もう一度「はぁい」と返事をした。寝起きだからか、我ながら情けない声だった。

 ベッドから降りて、思い切り伸びをする。パキパキ、コキコキと音がして、次第に身体も目を覚ます感覚があった。

 窓から外を見ると、一面、見渡す限り牧草地が広がっていた。風に乗って、草の青く甘い匂いが私の鼻に届いた。

 そして、それと共に、聞き慣れない音が、楽器の音が、どこか遠くの方から聞こえてきた気がした。いや、遠くからではない。私の頭の中で音楽が鳴っているようだった。

 あれ?これ、どこで聴いた音楽だっけ?と不思議に思ったが「まだ起きてないの!シェリー、いい加減にしなさい!」とママの怒り狂った声が1階から聞こえてきたので、思い出してる時間はなかった。

 「はーい!いま行きまーす!」と今度はしっかりした大きな声で返事をした。窓から外に向かって、すーっ、はーっ、と、思いっきり深呼吸したら、この星を駆け巡る清々しい空気が、身体中を満たしてくれるような感じがした。頭も身体も、もうスッキリ目を覚ましたようだ。

 今日もまた、新しい1日が始まる。

 太陽は、いつものように、この世界を優しく照らし出してくれていた。




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お読みいただき、ありがとうございます(^-^)

今回は、tantanzurokuさんの写真をもとに、ショートショートを描かせて頂きました。

tantanzurokuさん、ありがとうございます。

今日も、すべてに、ありがとう✨

 



 



 




 


   

 

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