名前のない祈り
青年の手から、白いハトが飛び立っていった。
ケガが完治したといっても、飛ぶのは久しぶりのことであり、初めはぎこちなく、慌てたように翼をバタバタさせていたが、本能的に飛ぶことを思い出したのか、やがて風に乗り、泉のある森の方へと飛んで行った。青年は、寂しそうに、誇らしそうに、ハトが飛んでいった空を眺めている。
そういえば人間は、白いハトを平和の象徴だとする考えがあるんだったな。ふと、そんなことを思い出した。
、、、ん?なぜ、木である俺がそんなことを知っているのか、だと?
これだから人間は困る。
自分たちこそが最も有能だと錯覚し、地球の王者を気取っているが、実のところ人間など、地球のうえに生息する、ちっぽけな存在にすぎない。自分たちが知っていること、理解できること、見えること、感じることしか信じないようだが、そんなことだからいつまで経っても進化しない。いわば井戸の中の蛙にすぎないのだ。
我々、木も、川も海も動物も微生物も花も草も鉱物も、人間には到底理解できないだろうが、すべてと、宇宙と、コミュニケーションをとっているというのに。
もちろん、人間に対しても、コミュニケーションをとろうとしているのだが、大半の人間は、そんなことには気付かず、いかに繁栄するか、富を得るか、感覚的快楽を得るか、または苦痛を避けるかしか考えていない。いま、この瞬間も、はるか彼方の宇宙からも情報が届いているというのに。
まあ、今は、そんなことは置いておこう。本当は「そんなこと」ではなく、大切なことなのだが、そうも言ってられない。
人間が、また始めてしまったからだ。
戦争ってやつを。
この銀河の中で、いまだに戦争をやってる星など、地球くらいだろう。(ん?ああ、そうなのか。情報提供、ありがとう)。たった今、送られてきた情報によると、最果ての星に、まだ幾つかあるらしい。悪いな。訂正する。
まあ、とは言ってもだ。他にも戦争をやってる星が幾つかあるからと言って、安心してる場合じゃない。そろそろ時間の問題なんだ。
うん?なんの時間だって?
決まってるだろ。淘汰だよ。淘汰。
いつだって破壊と創造は、同時に起こる。破壊と創造は表裏一体なんだ。そして、今この瞬間も、実は、あらゆるところで破壊と創造は起きている。
その先の世界が、どんな世界なのか?さあ、どうなるかねえ。
青年の手から白いハトが飛び立って、数年後、代わりに沢山の爆撃機が飛んできたのは、なにかの暗示なのかどうかは分らないし、どうでもいいことだが、人間は、また、この地球という星の上で派手に暴れ出した。
多くの星、存在が人間にメッセージを送っていたのだが、どうやら今回も届かなかったらしい。いや、受け取った人間も何人かいたようだが、人間社会を牛耳る奴らの頭の中は、おのれの進退や立場、損得勘定などで忙しいようだ。
人間は、まるで「この星は自分のものだ」と言わんばかりに破壊の限りを尽くした。
誰かの泣き声が聞こえる。誰かの苦しげな声が聞こえる。
川が、海が、石が、水が、草花が、動物たちが、泣いている。
俺の、すぐ近くにいる木が、声を出して泣いていた。芽吹いた頃からの幼馴染。いや、人間の言葉でいえば、腐れ縁っていう言葉に近い。
「なんだよ、また泣いてんのかよ?」こいつは、昔からそうだった。仲良くしてた鳥が死んだ、虫が死んだ、そんなことで、よく泣いていた。その度に、こいつの枝にくくり付けられた赤い布がユラユラ大きく揺れた。何年か前に、こいつの木陰で休んでいった旅人が、何かの”しるし”のように、くくりつけていった布だった。単なる思い付きなのか、誰かへのメッセージなのかは分からないが、「みてみて!かっこいいだろ」と、くくり付けられた本人は、赤い布をユラユラ揺らしながら、とても嬉しそうに、はしゃいでいた。
「だって、だって、あの子が,,,なんで,,,」
「泣くな。そんなことぐらいで。生きてりゃ、いつか死ぬ。当たり前のことだ」
そんなことを言ったところで、どうせこいつは泣き止まない。分かってる。長い付き合いなんだ。でも、そんなに泣かれたら、こっちまで湿っぽい気持ちになっちまう。俺は、それが、なにより嫌なのだ。
自らの手から飛び立っていくハトを、見送る青年の姿を思い出す。平和を感じる瞬間だった。あの時、青年の目はキラキラ光っていた。なのに、どうしてだ。その光は、簡単に、消えてしまった。
ぽつり、ぽつりと、雨が降り始めた。
まるで何かを洗い流そうとしているように。誰かを慰めるように。プライドの高い、強情な一本の木が、誰にも気づかれないよう涙を流すのを、優しく見守るように。
防空壕は、歓喜の声で満たされた。
長く長く続いた戦争が、ようやく終結したことを知らせてくれた小さなラジオが、光り輝く神様みたいに感じられた。皆、我を忘れて喜び、抱き合い、慰めあっている。全身の力が抜けてしまい、立てなくなっている私に叔父が手を差し伸べてくれた。
「エマ、よく、本当に、よく頑張ったな」
叔父の言葉が耳を通して私の身体に染み渡り、とめどなく涙が流れ落ちた。私は叔父と叔母、まだ幼い2人の娘と抱き合い、声にならない声を出して泣いた。
「おかあさん、だいじょうぶ?どこか、いたい?」アンナが心配そうに私の顔を覗き込む。そんな妹の頭を撫でながら「アンナ、大丈夫よ。お母さん、嬉しくて泣いてるんだから」と、ルイーズは優しい声を出した。
私は、泣きながら2人の娘を抱きしめた。もう私の家族を誰一人として手放したくない。そんな気持ちが、心の底から溢れ出した。
夫が戦死したと知ったのは、一昨日の晩のことだった。
防空壕の中で、通告官から死亡通知書を手渡されたとき、頭の中が真っ白になった。まるで現実味がなく、夢や幻想の世界に自分が生きているような感覚になった。「エマ?」と呼びかける叔母の声が、私を現実に引き戻し、同時に、悲しみが私の心と身体を包み込んだ。娘たちは、スヤスヤと静かな寝息をたてていた。
「大丈夫。必ず帰ってくるから。それまでルイーズとアンナのこと、たのんだよ」別れ際、最後にそう言って、戦場へと向かっていった夫の姿が、まだ目蓋の裏に焼き付いている。
長く長く続いた戦争は、ようやく終わったが、夫は、もう帰ってこない。
その現実が、重く大きな泥の塊のように、私の身体の底に沈殿していた。
防空壕から久し振りに外に出ると、灰色の世界が広がっていた。戦争の被害は、想像をはるかに越えるものだった。
防空壕に身を隠す前まで、確かにあった風景が跡形もなく消え去り、この前まで「家」や「教会」などの建物だったはずの残骸が広がるばかりだった。まるで自分の大切な思い出を、大切な人達との思い出を、見知らぬ人間に踏み潰されたような感覚になり、私は、娘たちと繋いでいた手を、ギュッと握りしめた。
不思議そうに、心配そうに、ルイーズとアンナが私の顔を覗き込んでくる。また涙を流しそうになった。でも、もうこれ以上泣いてたまるか。そう思った。さっきまで不安や悲しみしかなかった心の、さらに奥の奥の方から、少しずつ、少しずつ、エネルギーが湧き上がってくるような、そんな感覚があった。
私たち家族は、他の村人たちと共に、村のはずれにある森へと向かった。その森には泉がある。泉が無事かどうか分からないが、少しでも飲み水を確保しておきたかった。
叔父も叔母も、疲れ切った顔をしている。「抱っこしようか?」とアンナに声をかけたが、「あるく」と言って、小さな歩幅で歩き続けていた。ルイーズも唇を噛みしめながら、しっかり前を向いて歩いている。どこか遠くの方から、誰かの泣き叫ぶ声が聞こえた。うまく聞き取れないが、大切な人の名前を呼んでいるようだった。
森にも爆撃の傷跡が残っていた。森全体が、大きなツメで何度も乱暴に引っかかれたような傷跡だった。木や草花の焦げた匂いや、火薬の匂いが鼻をつく。
泉の水は無事だった。まるで戦争なんて無かったかのように、水面が青空を、雲を、映し出している。さっきまで私たちを覆っていた悲しみと絶望の雲が割れ、少し光が差し込んだような、そんな感覚になった。
水筒に水を汲みながら、娘たちにパパが亡くなってしまったことを何と言って伝えようか、ずっと考えていた。いや、本当は、自分の口から伝えることが怖かったのだ。口に出した瞬間、それが現実なのだと認めることになる。情けないくらいに、それが怖いのだ。さっき、歩いているときに湧き出してきたはずのエネルギーは、いともたやすく恐怖によって掻き消されていた。
ふと気になって、娘たちがいた場所へと目をやる。先程までいたはずの場所に姿がなかった。慌てて周りに目を走らせると、1本の木の近くに2人が立っていた。まるで何か不思議なものでも見るように、その木を静かに見つめていた。枝にくくり付けられた汚れた赤い布がユラユラ揺れている。
「どうしたの?みんなから離れちゃダメよ。危ないんだから」そう言って、2人の手を引いて泉の方へ戻ろうとした、その時だった。
誰かが私を呼んでいるような気がした。そちらの方へ目を向けてみるが、誰もいない。ただ、1本の木に、私の意識が自然と向くのを感じた。その木は爆撃によって倒されてしまったのだろう、幹の途中から、無残にもボキリと折れてしまっている。
気になって立ち止まり、その木に近づいてみる。幹の表面が黒くなっていて、少し焦げ臭い匂いがする。なぜか分からないが、親近感のようなものが自分の内から湧いてくるのを感じた。
恐る恐る幹に触れてみると、ひんやりとした感触が手に伝わってくる。自分の掌の熱が幹に伝わり始めると、それと同時に、自分と木が一体になっていくような、そんな不思議な感覚になった。
静かに目を閉じると、不思議な光景が浮かんできた。
戦争の傷跡なんて無い平和な森の景色、色々な鳥達が泉で羽を休めている姿、虫が花の蜜を吸う姿などが、まるで映画のワンシーンのように、次々と目蓋の裏に映し出された。
と、ある1人の青年の姿が映像のなかに現れた。森の中、怪我をした白いハトを優しく手に抱き、どこかへと去っていった。
早送りのように映像は進み、季節が移り変わるに従って、森の彩りも変わっていった。するとやがて、また先程の青年が現れた。白いハトを、手に抱いている。青年は、何事かをハトに話しかけ、パッと、空へ放した。元気に飛んでいくハトの姿を嬉しそうに、誇らしそうに眺めている。
その横顔を見たとき、私は確信した。その青年は若かりし頃の夫だった。キラキラした目、優しく微笑む目尻や口元。愛しい人の顔に間違いなかった。
夫の手から飛び立ったハトが、こちらに飛んでくるのが見えた。気持ちよさそうに風に乗り、でも時々吹く横風にフラつきながらも飛んでいる。
そうしてハトは慎重に木の枝に降り立った。今、私が触れている木だ。よく見えないが、何かを口に咥えている。ハトは咥えていた物を下に落とし、それは私の頭に当たってポトリと地面に落ちた。
本当にハトが木に止まっているのかと思って目を開けたけれど、何もいなかった。確かに頭に何か当たったはずなのにと不思議に思い、足元をみると、小さなエンドウ豆のようなものが落ちていることに気付く。拾い上げ、掌に乗せてみた。
それが何なのかは、分からなかった。でも、私は「これを植えて育てなければならない」と、そう思った。植えたところで芽が出るのかも分からないし、そもそも種なのかどうかも分からない。でも「私が、これを大切に育てなければ」と、そう思ったのだ。
どこかで誰かが、何かが泣いている声が聞こえる。バサバサと鳥の羽ばたく音が聞こえ、空を見上げるが、そこには何もなく、青い空に雲が浮かんでいるだけだった。
その時、先程まであれほど拒んでいたはずの現実が、ストンと腹に落ちたような感覚があった。夫は、死んでしまった。もう二度と会えないし、言葉を交わすことも、抱きしめることもできない。この先、どんな未来が、どんな世界が待っているのかも分からない。
でも、私は、私たちは、生きていくのだ。
この種を植えて、育てて、どんな花が咲くのかも分からない。もしかしたら大きな木になるのかもしれない。途中で腐ってしまうかもしれないし、枯れてしまうかもしれない。悲しい別れになるかもしれない。
それでも、私は、この種を植え、育てたい。いや、必ず育ててやる。そんな思いが、自分の内側から、沸々と、力強く湧いてくるのを感じた。
「,,,ルイーズ、アンナ」
自分の声は、震えていなかった。大丈夫。伝えられる。そしてまた、ここから、この場所から、歩き出していくのだ。
新しい世界が、未来が、音を立てて、ゆっくりと動き始めたような気がした。身体全身で、その音を感じている自分がいる。目に見えるもの、見えないもの、すべての存在と繋がっているような、見守られているような、そんな感覚になった。
赤い布が、まるで手を振って応援してくれているように、ユラユラ優しく揺れていた。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回、見出し画像に使わせていただいた『モルトフォンテーヌの思い出』(カミーユ・コロー作)という絵を観て、自分の内に湧いてきた物語を描かせていただきました。
この絵と出逢ったのは大阪府高槻市にある「心静まる山里古民家Galerieねこ福」という素敵な場所です。
僕がブログをまた書き始めてみようと思ったのは、一歩を踏み出せたのは、「ねこ福」さんでホロスコープ鑑定を受けたことがキッカケでした。
自分自身とゆっくり向き合ったり、ネコや場所、空間に癒されたり、色んなイベントがあったり、なによりオーナーさんがとても素敵な御仁なのです(^^♪
ピンときた方は、ぜひ訪れてみてください(❁´◡`❁)
今日も、すべてにありがとう✨
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