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【連載①】気になって、旧優生保護法の立法背景を調べてみたら・・・



▶ この連載について

○ 大学生時代、卒業論文の執筆で、自分史上最も長い文章をしたためまし 
 た。たいそれた内容ではないものの、あるテーマを自分で調べ、まとめ、
 それに対して自分なりの意見を文字におこし、さらに教授や同期生たち
 からフィードバックをいただけるという、とても貴重な経験をさせていた
 だきました。

○ 学会発表などしたわけではなく、自己満のようなものですが、当時は自
 分の中で1つの作品を作り上げた達成感のようなものがあり、卒論データ
 は今でも大切に保管しています。

○ 社会人になってみて、自分の興味のあることを深堀して記録にまとめて
 みたいとの思いから、ど素人の真似事ではございますが、記事にしてみま
 した。

○ こちらの記録が、どなたかの
   「気づき」  「思考の整理」  「疑問のきっかけ」
  などになれば幸いです。


~ 本文始まります ~

※本記事の執筆にあたり、参照資料を踏まえ事実に沿う内容を記したつもりですが、第三者の確認等は行っておりません。本記事の内容を引用する場合には一切責任を負いかねますので、<参考>に掲載した情報をご確認いただきますようお願いします。


▶ 旧優生保護法とは

 旧優生保護法とは、1948年に施行された法律です。この法律のもとでは、精神障害や知的障害などを理由に、その障害をかかえる本人の同意がなくても強制的に不妊手術を行うことが認められていました。

 「本人の同意なしに不妊手術を行うことが許される」・・・
 現代に生きる私の感覚からすると、とても怖い法律だなという印象を受けました。
 法律になっている以上、誰かが発案し、議会の承認を得ているということですから、なぜそのような法律が成立したのか、気になって調べてみました。


>こうして立法された

 お話は明治にさかのぼります。
 
 当時の日本では、欧米列強の仲間入りを急務として、富国強兵政策と優生学の考え方が入り交じった状態となっていました。

 昭和8年、ナチス政権下のドイツで「遺伝病子孫予防法」、いわゆるナチス断種法が制定され、民族優生方策として大規模に断種が実行されていきました。

 このドイツでの出来事が少なからず日本にも影響を与えるといった土壌があるなかで、日本においても、優生政策の考えがとられていくようになります。

 そしてまず、「国民優生法」が成立しました。

 この法律は、優生政策上の見地から、健康な素質をもつ者を増やすとともに、遺伝的疾患を減らすことを目的として「遺伝的疾患を持つ者」への不妊手術を規定していました。

 戦後になると、経済的復興が進まないうちに、国外に展開されていた元軍人の復員を進めたことで人口が急速に増加し、雇用や福祉がいきわたらなくなり、子どもの出生数を抑制しようとする考え方が出てきました。

 このような考えのもと、障害などを理由に、子どもを産めなくする考えが奨励される風潮があり、このような社会背景のもと、旧優生保護法が立法されるに至ったのです。

 

💬 

 旧優生保護法成立の背景には、おおまかに
  ・富国強兵政策上の要求
  ・雇用、福祉の充実を目的とした、出生数の抑制
 という社会的要求が少なからずあったものと思われます。

 こうした流れの中で、国会の審議を経て成立したということですね。
 
 成立したのは、基本的人権の尊重をうたう日本国憲法が制定された後のことです。

 国会においても人権の尊重の観点などから批判や懸念の声もあげられていたようです。

 しかいながら、それを踏まえてもなお、成立するに至ったということを考慮すると、当時の人権の考え方受け取り方が現代とは異なっていたのではないか。前述の2つの社会的要求が相当程度強かったのではないか。といったことが考えられます。


 次の記事ではこの度判決が出された事件の概要についてみていきたいと思います。

 ここまでご覧いただき、ありがとうございました。



<参考>

(1)NHK.“旧優生保護法は憲法違反 国に賠償命じる判決 最高裁”.NHK NEWS WEB. 旧優生保護法は憲法違反 国に賠償命じる判決 障害者などに不妊手術を強制 最高裁 | NHK | 憲法(2024-07-17).
(2)衆議院.“第1編 旧優生保護法の立法過程”.
(3)宮前健太.“旧優生保護法の何が悪かったのか?当時の法律と救済制度について”.LEGAL MALL.旧優生保護法の何が悪かったのか?当時の法律と救済制度について (best-legal.jp)(2024-07-27).


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