桐生一馬という男

 自分が投稿したnoteで一番伸びているのが「龍が如く7外伝」のレビューだったので、大好きなゲームシリーズについて少し語ろうと思います。
 今回はそのものズバリ、「龍が如く」シリーズの主人公、桐生一馬について私見などを述べていきます。
※注意 この投稿には「龍が如く」シリーズのネタバレを含みます。未プレイの方はそっ閉じするか、覚悟を持って進んでください。


 桐生一馬は素盞嗚命である。

 いきなり何を言ってるんだコイツは、と思われるかもしれませんが、これまでプレイした中で私はこの印象が一番強いです。
 素盞嗚命(スサノオノミコト)。「日本書紀」に登場する神の一柱で、一般的にはヤマタノオロチ退治で有名ですね。しかし性格は乱暴で高天原での悪行三昧に業を煮やした天照大御神を始めとした神々から追放されます。
 スサノオの荒ぶる魂は見る者を勇気付け、或いは震え上がらせる、触れるだけでも影響を与えてしまう存在として描かれています。さらに「関わった者の運命を大きく変えてしまう」「本人は荒ぶる魂を鎮めることができず、波乱の生涯を送る」という属性を持っています。
(細かく描写すると書ききれないので、エッセンスだけ抜き出しています。研究者の皆様ごめんなさい)

 まんま、桐生一馬なんです。

 誰よりも強く、誰よりも荒ぶる魂を持ち、人情には篤いが、強すぎるが故に事に関わると全てを薙ぎ倒してしまう。そして、本人が臨むものには決して手が届かない。
 強く、そして哀しい存在。

 このイメージを持って「桐生一馬のテーマ」を聞くと、神々しくすら聞こえてくるのではないでしょうか。

 桐生一馬は強すぎるが故に、己が欲するもの全てを巻き込み、破壊してしまいます。愛する者ですら、です。
 それを分かっているからこそ、彼は関わり事が終わると身を引き、隠者のように身を潜めます。
 しかし、周囲はそれを許さず、彼を巻き込もうとして引っぱり出し、結果として彼は敵味方関係なく破壊せざるを得ない状況に陥るのです。それも毎回です。ここまでくると、もう「呪い」としか言えません。

 少しメタな話になりますが、「龍が如く」の制作チームは物語を創る際に一つの明確なコンセプトを
もって臨んでいるそうです。
 「極道に身を置いた者は、決してハッピーエンドにはしない」
 これは娯楽としてのゲーム販売を成立させるため(悪を助長する、もしくは称賛する表現はNG)の条件ですが、逆説的にこの「縛り」が桐生一馬という怪物を生み出してしまったと言えるでしょう。
 考えてもみてください。
 幸せになれない強い男が、毎回矢面に立たされ、勝利を掴む。しかしハッピーエンドにはならない。
 これを続けていたら主人公は怪物として成長し、物語は回を増すごとにどんどん歪になる。
 いみじくも、シリーズの5や6が物語として評価がイマイチ低いのは、怪物と化した桐生一馬と、歪になった物語との落としどころを探しあぐねた結果である、とも言えます。

 話を戻して、一極道を超えた強さと格を身につけた桐生一馬を、誰が止められるでしょう。正直な話、生半可な極道では歯が立たず、権力を振りかざすような相手は拳で黙らせる。これでは物語が成立しません。
 しかして、最後に戦うべき相手は姑息な手を使う並外れた外道にするか、強大な権力の操り人形にするくらいしか無かったのです。つまり、シリーズを通せば分かる「桐生一馬という怪物の行く末」という哀しい物語が、その物語単体では「これがラスボス?」という感想をプレイヤーに抱かせてしまい、カタルシスに欠けてしまうという結果になってしまったのです。

 そして、最終的に桐生一馬は死を偽装し、「名を捨て」、裏の政治家機関のエージェントになるのですが、やはりその後に表舞台に立つことになります。しかも、彼はこれまでの極道世界を根本から覆す企てに乗り、自分自身のよすがでもあった「極道」そのものを破壊する、というとんでもない行動に出るわけです。

 自分の存在のみならず、自分の原点すら破壊した桐生一馬は、本当に今後はどうなってしまうのでしょうか?
 冒頭に紹介したスサノオノミコトは、神として出雲の国に根ざし、今でも国の安寧を見守っています。
 桐生一馬は、次のシリーズ最新作「龍が如く8」で、どのように振る舞い、どのような結末を迎えるのか、本当に神となってしまうのか?
 年明けが待ちきれません!

 追伸。この理屈だと、「7」の主人公、春日一番も元極道ですから、ハッピーエンドは迎えられないかもしれません。「8」で春日を含めたメンバーがどうなるのか、そのあたりにも注目していて下さい!

 

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