ご無沙汰と、不惑
気付いたらえらく間が空いてしまいました。読者(いるのか?)の皆様、申し訳ない。
この2か月、色々ありました。義母の介護、妻との連日に渡る言い争い、ケアマネージャーとのオンライン喧嘩、血圧160超え、抜けかけた奥歯…。
まぁ、どれをとっても言い訳だね。
単純に言えば、書く気力が出ないほど雑多で面倒なことが多かったわけです。
ここで書くときは、割と集中していないとすぐに文は乱れてしまい、読み返すことが苦痛になってしまうのもあり、安定した気持ちを取り戻すまでnoteを封印していた、とも言えます。
いかん、これも言い訳だ。
では今は安定しているのか、と言われるとこれまた自信が無い。現に先ほども妻から義母の件で連絡があり、関係各所に報告と相談をしていますから、落ち着いたとはとうてい言えない状態です。
そんなわけで、もうまとまらないならそれでいいじゃねぇか、という半ば自棄っぱちな気分で書き連ねてみようと思いました。
お目汚し、失礼。
40にして惑わず。不惑とはよく言ったものです。
実際は様々な柵や周囲の状況に振り回される年代なんだから、そんなことが出来る訳がない。
だからこれは、昔の人が戒めとして、または過ぎ去った40代を振り返って残した言葉。そう思うと今も昔も人の営みの根本は変わらない、そうとらえる傾向が今は強いですね。
でもちょっと待ってほしい。現代の視点や寿命で物事をはかっていいのだろうか。
織田信長でお馴染みの『敦盛』の一節、「人生五十年」が当たり前だった過去の人は、不惑をどう考えていたんだろう。
医療が発達し、長寿が珍しくなくなる前は、暦を一巡する「還暦」を長寿として見ていました。今は還暦がほぼ形骸化して、よほどのことが無ければ日本人の誰しもが普通に通過できる年齢として認識されています。しかし、還暦が珍しい時代が過去にあったわけですから、その意味も自ずと変わることになります。
分かりやすいように江戸時代を例にしますと、不惑の年代はごく一部の例外を除き、概ね息子に家督を譲って隠居することが珍しくありませんでした。
言い換えれば、責任から開放されて気楽な立場になる時期が今より早いということです。
翻って、現代を見てみたらどうでしょうか。定年退職の年齢がどんどん引き上げられ、責任からなかなか開放されないですよね。そりゃ苦労する時間が増えるってものです。
まぁ、婚姻年齢も寿命も、また日々の生活すら単純比較ができない話ですので、あまり真に受けないでくださいね。
そう考えると、現代の「不惑」はまだまだ先の話で、もう少し辛抱したら別の何かが見えるのかな。そうも思えてくるから不思議なものです。
どうも自分の誕生日が近づいてくると、こんな物思いにふけることもある、そんな話でした。
47歳か、思えば遠くへ来たものだ。この先どこまで行くのやら、ですね。