或る男の昼下がり

 マーケットから帰ると、車から買い物袋を取り出した。指に食い込むビニール袋の持ち手を一度かけ直し、二つほどの袋をシートから持ち上げる。
 最近はエコだ何だと、有料のビニール袋に変わったが、私は頑なに購入を続けている。生ゴミをまとめる、冷蔵庫に収納する野菜や魚を入れる、こんな便利なものはない。そもそも、数百円のトートバッグを買って一年かそこらで使い潰すくらいなら、買い物のたびに数円のビニール袋を購入する方がよほどリーズナブルだ。エコの推進者には申し訳ないが、私は利便性を取らせてもらう。最終的には放置せずに燃えるゴミで出すので、どうかご勘弁を。

 家に入り、台所で冷蔵庫に入れるものと収納に入れるものに振り分ける。生モノと冷凍モノは手早くそれぞれの収納場所にしまい、冷蔵モノは適当に放り込む。
 冷蔵ものはどうせすぐ使うし、冷やしておけば問題ないからだ。これは何段目の右側、あれは何段目の真ん中奥、なんて細々と決めるほど、私も妻も几帳面な性格ではない。その代わり、お互いが放り込んだ場所には、見つからなくても文句を言わないことを不文律にしてある。話し合ったことは、特にない。
 ふと思い出して、洗面所に向かう。洗濯カゴの汚れ物を洗濯機に入れ、洗剤を適当に振り撒いたらスイッチオン。脱水が終わるまでには一時間ほどかかる、か。これから干して日暮れまでに乾くかは微妙なところだが、生乾き程度なら乾燥機に放り込めば何とかなる。
 本当は乾燥機にそのまま入れたいところだが、最近は性能が落ち気味で時間がかかるようになった。買い替えるべきか、サボらずにこまめに干すべきか。そもそも、これは今決めるべき問題なのか。そんなことを考えながら手を洗い、台所に戻って買ったものの仕分けに戻る。

 ポケットのスマホが震える。起動すると、妻からのメッセージだ。
 『二人は元気?ソラとボコはケンカしてない?』
 映し出された文字に苦笑いしながら、返信の文面を書こうとして、時間が十一時三十分を過ぎていることに気付く。少し考え、スマホを一旦ポケットに仕舞うと鍋を戸棚から取り出し、半分ほど水を入れてコンロの火に掛けた。昼飯の下ごしらえを済ませてから返信しても、特に問題はなかろう。
 鍋の湯が沸騰するまでの間に玉ネギをスライスし、そのまま放置して空気にさらす。レタスを千切り、パプリカは細切りにして、これは水を張ったボウルに浸しておく。
 フライパンにオリーブオイルを敷いておき、ニンニクを粗くみじん切りにする。唐辛子二本はヘタを取って種を出し、片方は輪切り、片方はそのままでニンニクと共にオリーブオイルに浸す。
 ここまでやれば後は作るだけだ。スマホを取り出して妻へ返信する。
 『ソラもボコも食欲旺盛。ケンカはしないが、ボコのカキカキをソラがイヤがって逃げ出すくらい』

 コザクラインコのソラとボコはどちらもオスで、それぞれ三歳と二歳。シーグリーンカラーのソラは勝ち気な腕白タイプで、シナモンカラーのボコは人懐こい甘えん坊タイプだ。ソラは妻が、ボコは私が名付けた。どちらも好きなゲームのキャラクターから取っているあたり、我々のネーミングセンスは似た者同士、といったところか。不思議なことに、彼らは二人とも名付けた者に懐いている。
 私たちは彼らを「二人」と呼んでいる。子どもがいない我々にとって、彼らは子どものような位置付けだからだ。寿命の関係で、親不孝になる運命が決まっている我が子たちだが、そうあって欲しいとも願っている。彼らを置いて、旅立つような無責任はしたくない。

 そんなことより昼飯だ。水にさらした野菜の水をよく切り、深皿に盛り付ける。簡単だが、サラダはこんな感じでいい。
 コンロに置いたフライパンの中身にごく弱火で熱を入れ、ニンニクの香りと唐辛子の辛味を移したら火を止めておく。沸騰した鍋に塩を多めに振り、細めのパスタをパラパラと放り込む。フライパンを置いたコンロを中火にし、角切りのベーコンを入れたら軽く混ぜて塩を入れ、鍋の湯をお玉で掬い、フライパンに流し込んでかき混ぜ、乳化させる。パスタが固めに茹で上がったところでザルに上げ、水気を切ったらフライパンに。パスタをオリーブオイルと具材に馴染ませ、軽く鍋を振ったら皿に盛り付ける。お手軽ペペロンチーノと気まぐれサラダの完成だ。

 テーブルに着き、サラダに青じそドレッシングを振りかける。ノンオイルにしたのは、せめてもの罪滅ぼしだ。オイルパスタでなければマヨネーズにしたところだが。
 フォークでサラダをつついたら、パスタを絡めて口へ運ぶ。ピリッとした辛味とニンニクの香気、ベーコンの塩気が効いたパスタに思わず口元が綻ぶ。オイルでベタつく舌を、時折サラダでスッキリさせながら食べ進める。
 ここで冷えた白ワインでもあれば最高だが、陽の高いうちに飲むのはさすがに有罪が過ぎる。それに、今の気分では一杯で済むとはとても思えない。それに、冷たい緑茶が喉を通る快感も、これはこれで捨てがたい。

 食べ終えたら、すぐに洗い物を済ませる。妻がいればデザートタイムになるところだな、と思いつつ食器にスポンジを当てる。寸胴鍋を拭いて戸棚にしまうと、洗面所に向かって洗濯物を干す。乾燥機にまとめて放り込みたい誘惑を頭から払いながら、下着や靴下、シャツなどをハンガーに掛けていく。
 全てを掛け終わり、さて外に出そうかと窓の外を見たら、やけに薄暗い。地面を見るとアスファルトが黒ずんで見える。私は慌ててスマホを取り出し、天気予報アプリを開く。雨雲レーダーには、私の居住地一帯を分厚く覆う雨雲が映っていた。予報によれば、日暮れまでは止みそうにない。
 「おいおい」
 ため息混じりに口をついた言葉にソラとボコが反応し、呼び鳴きを繰り返した。今しがた干す準備を整えた洗濯物に目をやる。部屋干しか、乾燥機か。
 「このままでいいか」
 人は楽な道を選ぶもの。全部外して乾燥機にぶち込む手間すら面倒になってきた。幸い、今日の洗剤は部屋干し対応のものだ。このままでも問題はあるまい。

 物干しはそのままに、リビングのソファに寝転がる。隣の部屋からは二人の呼び鳴きが続くが、聞こえない振りをしてタブレットを手にする。どうせ午後は雨だ。彼らと遊ぶ時間は十分に取れるし、音楽を聴きながらの食休み時間くらいは欲しい。今朝はボーカロイドだった。ならば今は何を聞く?探る画面の一点に、私の目は止まった。
 何度かカバーされている、季節感のズレたタイトルの歌。今どきの若い人が歌うとは思えないが、動画投稿はほんの数ヶ月前。もの好きなやつもいたものだ。興味本位で画面をタップすると、時代がかった電子音と軽快なイントロが流れる。その後に続く軽やかな歌声を聞きながら、軽く目を閉じた。
 雨の午後に秋のスミレ、季節感は無いが、不思議と心地良い。

 いささか強いインコの鳴き声に目を覚ます。顔をしかめながら時計を見ると、四時二十三分を指していた。
 いかん、またやってしまった。最近、昼食後の昼寝が習慣化していたので自粛したはずが、うっかりしていた。
 私はソファから身を起こし、慌ててソラとボコのもとに向かう。これはしばらく遊んであげないと彼らの機嫌を余計に損ねそうだな。胃の重苦しさを堪えながら、彼らのケージに手を伸ばした。
 

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