【レビュー】一夢庵風流記
毎度どーも、乙楽です。
前回の投稿がクソ重い内容だったので、今回は趣向を変えて好きな小説のレビューをやっていけたらな、と思います。
今回は、我が心のバイブルであり、男の夢の一つを描ききった時代小説の傑作、
『一夢庵風流記』
です!
…あれ?そんな小説聞いたことがない、って?
仕方ない、では皆さまの良く知るタイトルで改めて紹介するとしましょう。
『花の慶次』
はい、お馴染みの方が増えたのではないでしょうか。
そう、漫画からドラマ、パチンコ等にも進出した作品『花の慶次』の原題が『一夢庵風流記』なんです。正確にはちょっと違うのですが、それは後ほど解説します。
前田利家の甥である前田慶次郎は、その奔放な性格と荒ぶる魂を持て余していた。父の死を契機に前田家を出奔した彼は、「天下人」豊臣秀吉ですら内心畏怖させる「傾奇者」として、自由気ままな、そして危険に満ちた人生を嬉々として歩んでゆく…。
ざっとあらすじを書いてみましたが、たったこれだけで魅力が伝わる訳がありません。ここからは作品の魅力を、リミッターを外して解説していきます。
なお、今後は小説版と漫画版をそれぞれ『一夢庵』、『慶次』と表記しますのでご承知おきください。
1.人物描写
この作品の主人公、前田慶次郎はほとんど無敵です。何せ個人の武勇は無双レベル(「無双」シリーズ出演は伊達じゃない)、知識と教養は公家とタメを張れるほどで、無邪気さと無骨な優しさは女性を虜にする…。非の打ち所の無い人物像です。
この完璧人間に神が与えた唯一の欠点、それは「傾く」ことでした。
自由を愛し、束縛を嫌う。負け戦を好み、個人の武勇をひけらかすことも無く、自身の無謀な突撃に釣られた味方の若手武士を死なせることもしばしば。封建体制の武士にあるまじきへそ曲がりのため、組織の中では生きられないタイプの人間です。結果、彼は「傾奇者」としての人生を歩き始めます。
柵にがんじがらめになった我々現代人には、これだけでも憧れてしまいます。そして何より、主人公自身が自らの強さと荒ぶる魂を理解しながら留まる事を考えないため、彼の行く先では様々な騒動が巻き起こります。
この主人公の強さを、作者の隆慶一郎氏は物語の冒頭で素戔嗚尊(スサノオノミコト)になぞらえています。比類なき強さと荒ぶる魂を持って生まれた者は、普通の生き方は許されない。それを日本書紀の一節から引用し、主人公の波乱に満ちた生涯を予感させています。
主人公の行動原理は至極単純です。筋が通るか否か、危険か安全か、楽しいかつまらないか。この二元論で全てを決定してしまいます。そして「筋が通った危険なことが一番楽しい」という、ちょっと何言ってるか分からない状態をこよなく愛します。
主人公を殺して出世したいと面と向かってカミングアウトする人間を従者に据え、かつての主君の奥方を寝取り、その人に振られると心の平衡を保てなくなり、戦を求める。
…あれ?主人公リアルでヤバくね?
ま、まぁ、戦乱が続いた時代の話ですから、現代の倫理観ではかってはいけません。
ともあれ 彼のその率直さと強さ、心の熱さは多くの人を、とりわけ同時代を生きる歴戦の男たちを惹きつけます。そして惹きつけられた人には、尽く心酔されます。さらに、そこに身分や立場は関係ありません。
主人公のみならず、本編に登場する主要なキャラクターは全て人間的魅力的に溢れています。武士には武士の、悪党には悪党の美学に殉ずる彼らの姿はせせこましく生きる我々には眩しく、そして気付けばどんどん物語に引き込まれていくのです。
この物語で個人的に好きなシーンはたくさんありますが、あえて2つまで絞ります。「天下人」秀吉とのタイマン喧嘩と、石田三成との対峙です。前者は双方ひたすらカッコいいですし、後者は胸を抉られるような辛さと哀しさに満ち溢れています。ネタバレはしませんので、是非この2つの場面を存分にお楽しみください。
2.物語の背景
今の40代より上の世代には、戦国時代や江戸時代を暗くてジメジメしたイメージに捉える人が多いと思います。理由は単純で、歴史の授業でそう習ってきたからです。
武士は争いに明け暮れ、農民は重税と兵役に苦しんでいた。平和が訪れた江戸時代では身分制度によって庶民が抑圧され、ギリギリの生活を強いられていた…。そんな観点で語られていたことは、ある一面では事実です。長くなるので、ここでは何故そうなったかには言及しません。
しかし最近はそういった歴史観から、海の民や山の民、職人や芸人など幅広い職種の人間が活き活きと生活していたことや、それに付随して「何だかんだ庶民も楽しくやってた」という史実もポロポロ出始め、指導内容そのものが変わりつつあるのもまた事実です。
『一夢庵』の執筆者である隆氏の歴史観に多大な影響を与えた存在が、歴史学者の網野善彦です。彼は「無縁」と呼ばれた存在である僧や神主、水陸運、職人など、封建制度に関わらない人々を研究テーマとし、それまで陰が強いとされてきた日本の中世史に、多大な彩りをもたらしました。
現在の歴史学では当たり前のように研究されている分野ですが、執筆当時はまだ世に出回り始めた頃です。30数年前の隆氏は、その鮮やかで猥雑な世界観を次々と作品に落とし込みました。その結果、陰陽入り乱れた独特とも言える時代小説の世界が展開された訳です。
『一夢庵』にもこの要素がふんだんに盛り込まれており、慶次郎という強い「光」とのコントラストで描かれる「闇」との闘争も、この作品に欠かせないおすすめポイントです。
3.『一夢庵』と『慶次』の違い
さて、冒頭で『一夢庵風流記』と『花の慶次』はちょっと違う、と話しました。もちろん、原作ですから話の大筋は基本的に同じなんですが、『慶次』には『一夢庵』に無いエピソードや登場人物が盛り込まれています。何故そうなったのか、それをこれから解説します。
この違いは、元を辿れば構想段階に遡ります。
「週刊少年ジャンプ」で『慶次』を連載するにあたり、当時の編集長と作画担当の原哲夫は、著者である隆慶一郎の元を訪れます。当時病気療養のため入院中だった隆氏は、自作を基に少年漫画を描きたいというジャンプ側の申し出に対し、「慶次郎の若い頃を描いたらどうか」と持ちかけたそうです。この「原作の設定を活かした」オリジナルストーリーは、まず読み切りの形で誌面を飾り、その後本格的に連載化する準備を整えていました。
しかし、その準備の最中に隆氏が急逝したため、連載が一時宙に浮いてしまったのです。編集長と原氏は隆氏の遺族に『一夢庵』を原作とした漫画連載の許可を取り付け、生前の隆氏から馴染みやすいと短縮を許された「慶次」の名前と、贈られた副題「雲のかなたに」を正式にタイトルに加えた『花の慶次―雲のかなたに―』の連載が始まったのです。
しかし、原作をそのまま漫画化するだけでは大人ウケするだけで、ターゲットとなる少年たちの心に響かないと判断した制作陣は、様々な方法を模索します。原作本文では数行ほど触れられたエピソードを、史実を交えて膨らますことや、オリジナルのキャラクターを追加する等、原作付の漫画によくある改変を進めていくうちに、とんでもない思いつきを閃いてしまったのです。それは
「隆氏の他作品の登場人物をモチーフにしたキャラクターや、物語の一部を、惜しげもなく投入する」
というものです。もちろん、原作の慶次郎が一番強くなるようにはバランスを取っていますが、大胆な試みと言えるでしょう。
幸いなことに、隆氏の著作には様々な個性を持つキャラクターが多数いますし、時代も比較的近いものが多いこともあって、そこまで違和感なく出せたので、多少は計算の内だったと推測します。ちなみに、この他作からの引用はいくつかの例外を除いて、ほぼ全ての作品が該当します。
ここで全てを紹介すると長くなるので、一つだけ実例をあげます。『慶次』に登場する従者の一人、岩兵衛は元々原作キャラではなく、『花と火の帝』からの出演です。しかも主人公ではなく、その父親として描かれている人物です。
何故このような変更を行ったかは、後ほど私の推測を述べますが、結果的に小男の忍者である捨丸と、巨体で鬼の面相を持つ岩兵衛の凸凹従者コンビは、『慶次』の作風とその後の展開に見事ハマったと言えるでしょう。
隆氏が手掛けた数々の著作を読んだ後に『慶次』を再読すると、その引用の巧みさに気付いて思わずニヤリとすること請け合いです。これは実際に皆さまも試してみてください。
また、ストーリーもかなり置き換えています。
個人的に『一夢庵』から『慶次』への印象的な改変は、主だったところで以下の通りです。
①千利休や徳川家康、真田幸村、伊達政宗等の挿入
②朝鮮渡航の舞台変更
①では、物語の主軸に登場しないキャラクターを巧みに組み込んでいます。これは戦国末期に名の通った重要人物を登場させることで読者の興味を引くためのギミックでもありました。
また、そこで魅力的に描かれる人々は徳川家康を除き、すべからく「歴史の敗者」であることもポイントです。推測ですが、これは主人公に漂う「敗者の美学」と共通する何かを持った者を出したかったのでしょう。
そして②についてですが、本来は秀吉の「唐入り」にかかる主人公の朝鮮渡航のエピソードを丸ごと、琉球に舞台変更しています。これは、『慶次』連載当時の時事問題に配慮した結果です。
連載期間中の1990年代、日本と韓国、中国との国際問題として「従軍慰安婦」が盛んに取り沙汰されていました。ここではその詳細には触れませんし言及もしませんが、『慶次』の物語はその煽りをもろに食らったと言えます。前述した、岩兵衛への従者変更もその一つです。
『一夢庵』で捨丸と共に主人公に付き従うもう一人の従者は「えせ倭寇」金悟洞という長鉄砲使いの明(中国)人です。無骨ながら茶目っ気もある好人物なのですが、『慶次』にはこのような事情で出られませんでした。個人的に『一夢庵』漫画化における最大の被害者と言えるでしょう。
なお、この改変により舞台となった琉球ですが、これは航海する先として適当な場所であったことと、当時の大河ドラマが「琉球の風」であったことも影響しているかもしれません。
余談ですが、コミック版の作者挨拶には「原作のまま朝鮮を舞台にしなくて良かった」という担当編集の言葉が掲載されています。
いやいや、それをぶっちゃけたらダメでしょ。
4.あとがき
…とまぁ、ここまでひたすら推し語りをしてきましたが、実はこれでもだいぶ削っています。何せ原稿を起こしたときは一万字を超えていましたし、全くまとまってなかったですからね…。
『一夢庵風流記』は、冒険活劇としても深堀りするに暇のない傑作です。30年以上前の小説ですが、現在でもファンは多く、電子書籍でもお求めいただけます。
また、『花の慶次』の名前はパチスロで知っているけど、どんな内容かは分からない、という方にもおすすめです。
日に日に寝苦しくなる今日この頃ですが、夕涼みのお供に、たまにはじっくりと時代小説に向き合うのはいかがでしょうか?